オピニオン メディアビジネスの新・未来地図 その4
【ブログパワーは、どこから来てどこへ行くのか】
ユーザーのバランス感覚:純粋な気持ちの発露と、商売臭さの受容
2010年07月05日 須田 伸(サイバーエージェント コミュニケーションディレクター)、倉沢鉄也、今井孝之
(須田)いい広告や、いい参加プログラムは、やはりユーザーがちゃんとわかってくれるのです。これはテレビCMも同じです。今でもYouTubeで昔のCMが投稿されていて、「これいいよね」というコメントが記されているのを見ると、ユーザーは、たとえCMであっても、いいものはいい、と判断するスマートさを持っていると思います。だから媒体側としては、ユーザーの期待をよい意味で裏切るようなクオリティを追い求めていく仕掛けをつくっていくことが大事だと思います。
(倉沢)運営する以上は、商売はしなければいけませんからね。

アメーバブログも2009年時点では単年度の黒字化が実現し、あくまでヘルシーなプロフィットの範囲ですが、今までの累積赤字の解消も目途がついた状態ですので、やはり持続可能性という観点からのヘルシーなプロフィットをビジネスとして上げることの重要性は、ユーザーと運営者の両方にとってますます高まってきています。
(倉沢)インターネットというパワフルな道具を多くの人が手に入れて、「そうだそうだ!」というのが始まったこの5年間で、この2回の衆院選がエキセントリックな結果を起こしました。ああした事態を見ると、個々人の自主規制が目標ではあるけれど、千万人単位の国民に強要するのは難しいのだなあと感じました。裁判員制度になってからの判決の出具合も根っこは同じところにあると感じます。エリートが判断すればすべていい結果になるわけではないのは明らかですが、国民投票的な場面におけるエキセントリック状態の怖さを、例えば20世紀前半に日本は国際的に何をしてしまったのかを考えつつ、気をつけ続けなければいけないと思うのです。
(須田)インターネットがそういう国民の雰囲気をつくったわけではないと思います。まさに20世紀前半の出来事のように、エキセントリックな合意形成というのは、日本人の中にもともとあったのでしょう。選挙区制度の違いもありますし、もちろんインターネットも後押しの原因ではあったと思いますが、総じて複合的な原因の結果ではないでしょうかね。

(宮脇)倉沢さんの言う「商売臭さ」はかなり多面的な意味を含んで使っているのですね。運営者のプロフィットと、ユーザーのプロフィットと、非営利との対立概念と、ですか。
(倉沢)それら3つはそれぞれ、コントロールできる部分と、できない部分がありますよね。ただしこと消費者保護や青少年保護に関しては公権力が入りやすい分野なので、商売臭さの加減は難しいですね。
(須田)アメーバブログで書いて、読んで、自分は明らかに不利益を被った、という人がいっぱい出てしまうとしたら、それはサイト運営事業者としての信頼の低下を生むので、ブログの削除や退会の強要という最終手段もあることは利用規約でもうたっています。しかしそんなことが次々に起きるようではユーザーも広告主も減っていきます。内容そのものは、さわやかなもの、かったるいもの、温度差は幅広く受け入れながらも、明らかに人を騙して商売をしようとか、公序良俗に反するような内容に対しては、通報を受けたらすぐ対応する、自分たちでパトロールもする、という取り組みは、多少苦しくても続けなければいけないところです。ユーザーを失わないために、広告主を失わないために、ビジネスと倫理観のバランスをとっていく、というのが基本的なスタンスです。その意味では、現状のバランス程度は、いい方向に回る理由になっていると思います。
(倉沢)アメーバブログで行っている、ブログユーザーへの話題提供、いわゆるネタ振りも、アメーバブログとしてはビジネスとしてやっているわけですが、ネタを振られているほうも、実は心の底から楽しいから振られて反応しているわけですよね。そうした軽やかな気持ちは規制してはいけないでしょうし、一定のネタを提供しないと考えを発露しない人も少なくないという前提で運営をするお立場でもあるのですね。
(須田)そうですね。ある映画を見て、1円のインセンティブがなくても一生懸命睡眠時間を削ってレビューを書くという行為は、同時体験を共有したいというピュアな気持ちがあってこそ、でしょう。もちろん自腹で入場料を払っていて、レビューを見た人が新たに入場料を払うというビジネスのサイクルもあれば、見た人が自分以外に感動している人の存在を確認できるサイクルもあります。その2軸を支えるのはもちろんサイト運営上のビジネスですが、サイクルのエネルギーとしては個人の発信欲、享受欲、共感欲などが渾然となっているのかなと思います。
(倉沢)ですからユーザー側にもそのヘルシーさのバランスは必要で、純粋にノンプロフィットで意見を述べるぞ、という場面と、ネタを振られないと好きも嫌いもわからない場面の両方があって、今うまく成り立っているのだと思います。このままうまく続いてくれればいいなというのが、50年、100年の思いだったりもするところですね。
マスメディアも、100年、200年しかたっていません。その登場時も印刷や映像の技術が人々にインパクトを与えてきました。人の情報の発信・受信の形態は技術に後押しされながら、うまく変わっていくかなと思うのです。

逆にインターネット上のコミュニケーションがネガティブに論じられ、インターネットなんて存在しなければいいのに、というニュアンスで語れられるケースも増えました。先日もある新聞の社説で、「婚活詐欺女」の話について「インターネットに狡猾な網を張らせて男どもを次々とかけて殺していった」というように、明確にインターネットという道具が悪者だと読める表現を見ました。インターネットだけでなく、自動車が犯罪者や交通戦争を生んだというような物言いも昔からあります。しかしそれもこれもすべて人間のしわざであって、何百年も前から人間のしわざは変わっていませんので、それを数百万人からの目に触れる場所にそれだけ強い意図で書くことでどういう改善策を世の中に求めているのかが読み取れず、危険なにおいを感じます。
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