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オピニオン メディアビジネスの新・未来地図 その4

【ブログパワーは、どこから来てどこへ行くのか】
ネタである報道をWebで支えるプレイヤーはきっと出てくる

2010年06月28日 須田 伸(サイバーエージェント コミュニケーションディレクター)、倉沢鉄也、今井孝之、今井孝之


(倉沢)ブログにとってのマスメッセージは、当分C2Cコミュニケーションの起爆剤であり続ける役割が大きそうですね。

(須田)報道ベースでニュースになったものは、やはりブログコミュニケーションの起爆剤になりますね。それはポジティブにも、炎上と表現されるようなネガティブな状態にも、です。マスメッセンジャーの定義も難しいですが、例えばマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」という映画は、見た人たちは次々とブログやSNSにエントリーし、またそれがきっかけでCDを買ったり借りたり、ということをエントリーする人が続出しました。

(倉沢)逆にCtoCなきマスメッセージ、つまり口コミまでフォローしていない1対nだけのマスメッセージは、現代ではビジネスつまり広告市場が成立しなくなるのかもしれません。

(須田)基本的にCtoCがあるから、テレビで宣伝した商品が売れてきたのだと思います。純粋に消費者すべてがテレビと向かい合って購買意欲を刺激されていたわけではないはずです。流行りは街や学校やオフィスにもあるわけですから。少なくとも現在では、口コミの追跡調査や、eコマースでの購買過程を追うことが技術的にできますから、ユーザーを動かさないマスメッセージは影響力を相対的に減らしていく、ということは間違いないと思います。

(倉沢)一方で、マスが担ってきた社会的役割、報道または番組、CMを通じての世相・トレンドは、維持されなくていいという考えもあるかもしれませんが、当面の日本人には必要な情報だと思いますので、マスコミ側で支えられないと、ネット側の誰かが支えないといけなくなるかもしれません。ブログやSNSの話題の少なくない部分がマスコミによって触発されているとすれば、ブログ側としてもそこはまったく無関心ではいられない時代が来つつあるのではないかと思うのです。

(須田)もちろん、恐竜が滅びたようにマス・コミュニケーションがいきなりゼロになるということはないでしょうし、5年、10年というスパンでも、業界再編はあっても消滅はないでしょう。そういう物言いは、あるとしてもマスコミに対するネガティブな体験や妄想を抱えた立場に過ぎないでしょう。事実、民放キー局に対してライブドアや楽天があれだけ固執したわけですから。しかし、相対的にはマスコミだけが築いた魅力は少しずつ減っていくとは思うのです。そのときに、ネタであるところの報道を誰が担うのかというと、それは既存のマスメディアプレイヤーが多く残るでしょうし、マスメディアモデルに頼らないような形でまったく新しく作られた報道の担い手も参画して、一定の影響力を持ち続けると思います。市民ジャーナリズムということでなく、現在のマスコミと変わらない品質の記事を送り出せるのなら、十分に可能性はあるでしょう。GoogleやYahoo!といった既存のネット側の大企業も、単独で報道をやるかもしれないし、これまでどおり記事を買うかもしれないし、そのときそのときで手を結んだり、また別れたり、の新陳代謝をしながら、少しずつ報道に関わる力を持っていくのではないかと思います。ここもいろいろな見解があろうかと思います。

(倉沢)インターネット上のコミュニケーションとマス報道の関係は、少なくともマス報道側から見ると、無許可の引用も盗用も含めてほとんど無償で、一方的にネタに使われている、その引用されているページでの広告収入は何も入ってこない、という現状です。マス報道がビジネス面で疲れてきた中で、報道をネタにインターネット広告ビジネスの恩恵を受けているプレイヤーが報道そのものを担ってしかるべき、というものの見方もあります。ホリエモンのように報道を自社事業として取り組む、あるいは資本傘下とする、というアプローチは、結果として挫折しましたが、取り組んだ「気迫」は記憶に残さねばなりません。
一方で、ビジネスモデルの探求について、誰かうまいこと思いつくのではないか、という楽観的な見方もあります。たとえば広告代理店の電通は、日本電報通信社という名前でスタートしました。戦時体制の折に情報統制目的でニュース通信の各社が国策として統合されるまでは、現在の時事通信社と共同通信社が同じ会社の中にあったのです。ニュース報道記事を売るというビジネスは、共同通信社が現在も社団法人であることが象徴しているように、当時もビジネスとして割がよくないものだったのです。そこで新聞社にニュースを売ってお金をもらう代わりに、広告枠をもらって、手数料を乗せて、2度儲ける、収益上は広告代理業がニュース通信業を支える、というビジネスモデルを始めたのです。電通の初代社長がその組み合わせを思いついた背景には、ニュース報道は社会の役に立つので必要だし取り組みたい、しかしそれでは食っていけないから、少なくとも当時あまりハイグレードな職業とは認識されていなかった広告代理業を裏方のビジネスとして持つことで、「通信社」を名乗りながら規模を拡大させていくことに成功し、ニュース通信社と分割させられたときも業界のトップの状態から広告事業単独会社になることができました。現在広告会社で「通」の字のつく会社は多いのは、電通と同様に実際にニュース通信事業をしていた企業の場合と、当時の日本電報通信社などにならって広告代理店というのは「通信」と名乗るのだという一種のブランドに乗った企業の場合と、の2種類だったはずです。長くなりましたが、そういう面白いビジネスモデルを考える企業は必ず出てくるだろう、ということです。

(須田)おっしゃるとおり、楽観的に考えていていいのかしれませんね。史上初のビジネスモデルという点では、かつてリクルートという会社が電通や博報堂も目をつけなかった求人情報を有料雑誌として売るという発想で急成長しました。今は聞いたこともない会社が、ジャーナリストを自前で雇う、あるいはコンテンツプロバイダー的な資金と人を投入することで、新しい勢力となる可能性があります。

(倉沢)報道のコアコンピタンスについては、この「メディアビジネスの新・未来地図」の第2回でも議論をしたのですが、実はTwitterなりインターネット上から出てくるファクト情報は、本当にファクトなのかということを誰も保証してないのです。無記名で編集されているWikipediaは大変便利ですが、これ自体は誰かが制作責任を持って著述しているものではないわけです。ニュースは膨大なボツ記事の中から選ばれて届けられており、その選ぶ能力、言葉は悪いですがエリートとしての能力こそが報道の中核のパワーであろう、という話になっています。何が大事かを選ぶためには高い倫理観と見識が必要で、しかし収益構造としてそこが対価として示されていない、紙だから払う、何軒に配達されるから広告を出す、という仕組みが、インターネット上で対価を生まなくなったときに、しかし誰かが続けなければいけない、という問題点になっていました。インターネット側がゼロからこうした人材をつくるのは時間と手間がかかりますので、報道の収益構造をどううまく作るかという異業種の提携は必要なのかもしれません。

(須田)プロの作った価値あるコンテンツに一定の規模の人がお金を払うというビジネスは、未来永劫健全に続くと思います。あとはどこで回収するかはメディアの技術と趨勢によって変わっていくので、たとえばマイケル・ジャクソン追悼という世界のム-ブメントが、映画上映だったり、CDやDVDだったり、ダウンロードサイトだったり、という形で回収されていく、ということです。

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