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オピニオン メディアビジネスの新・未来地図 その4

【ブログパワーは、どこから来てどこへ行くのか】
日本人にもブログの気(け)はあった

2010年06月21日 須田 伸(サイバーエージェント コミュニケーションディレクター)、倉沢鉄也、今井孝之、今井孝之


(倉沢)古くさいメディア論で言うと、もともと、手紙から始まって電話、メールに至るまで、人は会わずに済むために通信をする以上に、直接会うために通信してきた、という歴史があります。サイバーコミュニティーが充実してきて、一度も会わずに成り立つ、会わずに済む、というプライベートな人間関係がたくさん出現してきています。会うためのブログ、会った人同士のブログもあるはずなのですが、会うことと、コミュニケーションをとることが、ブログの出現によって史上初めて関係を持たなくなってきたというのか、会うためにも会わないためにもコミュニケーションが行われるようになったという印象を持ちます。


(須田)ブログが日本人の史上初のムーブメント、というわけではなく、言わばその予兆はあったのだと思います。サラリーマン川柳などにみんなが応募して、自分の珠玉の作品を出す、というキャンペーンは普遍的に存在しますので、自分が考えたことを手短に表現してみたい、という気持ちは常にあった、機会が与えられていなかっただけ、選ばれたものしか載らない機会しか与えられていなかった、と思っています。

(宮脇)情報の発信者は、以前はマスコミに就職したり取材されたりすることに限られていたのですが、インターネットによって、ブログよりまずホームページを開設して発信者になることができるようになりました。ブログという型が提供されることで発信と受信をホームページ上で容易にできるようになった、という流れで現在に至っていますが、現在ブログを書いている人たち自身は、それを発信メディアだと思っているのでしょうか。それとも誰か友だち同士で会話をするためにやっていて、究極的には通話やメールでもいいのでしょうか。よくSNSで会員全員に実名で公開されているにもかかわらず、友だちに話すようなグチとか悪口を書いて社会問題化する、といううかつな話が出るのですが、これは書き手がメディアの性質を認識しないで使っている例だと思います。書き手の意識にギャップがあるように思いますが、例えばアメーバブログユーザーにとって、発信メディアなのか落書きなのか通信手段なのか、という傾向は読み取れますか。

(須田)インターネットによって、どんなにつまらないものでも、誰も見ないとしても、世界中に対して確実にアクセス可能な場所に掲載することができる、という機会が与えられたのだと思います。自分ひとりのために部屋でノートにずっとつけて書きためるよりは、世界の誰かが見てくれる可能性がある、というほうがモチベーションを保ち続けることができて、裾野は広がるのだと思います。そのときの自己認識として、「こんなの誰も読んでないよ」という完全な一人称でやっているのか、「学校の友だちにだけは読んでほしい」という二人称複数でやっているのか、それが実は日本中世界中から見られていて「炎上」してしまったときに「あ、おれってメディアなんだ、いいも悪いも含めて」という気づきをはじめてするのだと思います。アメーバブログでその傾向は、多様と言うしかないですが、体験しながら認識が拡大していく、ということではないでしょうか。

(倉沢)知らない人からサイバー上で叩かれる免疫がある人は希少です。叩かれないようにできる人、叩かれても対処できる人は、マスコミの仕事の経験者など特殊な訓練を受けた人たちの延長上、だと思います。潜在的にそういう能力のあったたくさんの人たちが、発信をして炎上もしないように、自らメディアとしてある種の自主規制をできるようになるなら、確かに人は「革新」していると言えると思いますが、その手のコミュニケーション・トラブルは10年20年と変わらずサイバー上で起きているという事実に照らすと、そうそうまだ人は「革新」していないなと思います。1980年からの遠い昔、パソコン通信の時代は、倫理的にハイレベルな人だけの集団でやりとりされていたから騒ぎは小さく済んでいたのでしょうが、裾野が広がることによる問題は解決に向かっていないと思うのです。

(宮脇)パソコン通信は、当時シス・オペという人たちがいわばすべて監視をした上でジャッジをしていました。インターネット一般にしてもブログにしても、運営事業者ですべてを監視するというのは不可能で、管理者はいなくなってしまった、発信者の自己管理だ、だから運営事業者の責任は軽減される法律(プロバイダー責任制限法)もできたのだ、というのが現在の状態でしょう。

(須田)先日(2009年10月)、winnyの裁判で高裁による逆転無罪判決が出ましたが、判決の後に弁護士が、NHKの人が被告に対して『どうせこんな裁判負けるのだから、NHKに出て自分の主張をしたほうが裁判にも有利ですよ』と持ちかけていた、という事実をブログで明らかにして、NHKは謝罪しましたね。あの事件は、マスメディアのパワーがすべてのサイバーコミュニケーションに勝るわけではないこと、力ずくで来たら力で返せる、というブログのパワーを証明した事件でもありました。

(宮脇)テレビで言ったことは直接返ってこない、それをブログに書かれると途端にやり玉に挙がる、という現象でもありますね。

(須田)それだけではないです。テレビで言ったことも監視されているのです。例えば「24時間テレビ」でマラソンを走りますというときに、CMの合間やほかの放送現場の映像が流れているときに、ほんとうに走り続けているのか、ということを検証する視聴者達がいて、彼らが検証結果を世界中に発信してしまうのです。
マスメディアに対しての監視的な意味合いも含めて、今までは大人の常識、業界の約束事、として行われてきたことにもある種無邪気に介入し透明性をチェックして発信する人が定着して10年以上たつ状態まで来ました。もちろん悪意をもって謀議に近い動きをすることもありますが、そのパワーバランスを意識しないで現在のメディア環境を過ごしていくことはできないでしょう。

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