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第2部 パネルディスカッション
「幸福な最期」を選び取るために


(紀伊) 皆さん、こんにちは。株式会社日本総合研究所リサーチ・コンサルティング部門の紀伊でございます。第2部、パネルディスカッションの進行を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
 最初に、このパネルディスカッションで議論したいテーマとあわせて、ご登壇いただきます皆様をご紹介したいと思います。
 本日のシンポジウムは「《多死社会を迎える日本》国民一人ひとりが『幸福な最期』を選び取るために」というタイトルをつけています。
 タイトルにはポイントが幾つかございます。一つには「幸福な最期」と書いていますが、まさに「幸福」については、「何をもって幸せと感じるか」は、お一人おひとり、非常に多様なのではないかと思います。後ほど、看取りの場所の話も出てまいりますが、私たちは、例えば「病院での死が悪で、在宅での死が善だ」というふうに決めつけるつもりはなく、むしろ、個々人の価値観に沿った最期が迎えられるかが大事だと思っています。そういった意図を込めて、「選び取る」という言葉をタイトルに入れました。
 これから、非常に多くの方がお亡くなりになる社会になります。一方、医療・介護の資源がそれほど十分ではなさそうなことが見えています。この先を見据えたときに、本当に私たちは自分の最期、あるいは親の最期をきちんと選び取れるのだろうか。このままいけば、「選択の余地なく」最期を迎えてしまうのではないか。その危機感がこのシンポジウムを開催した根底にある問題意識でございます。
 したがって、私たち一人ひとりが個人の価値観に沿った幸福な最期を選び取るために、国民の意識を含めて、私たちはどう変わっていけばいいのか。四つのトピックを通じて、これから考えていきたいと思います。一つ目は「幸福な最期」に向けた「生活の場」あるいは「住まい」です。そのなかには当然、要素として「介護」が含まれます。この点に関して、シルバーウッド代表取締役の下河原様にご登壇いただき、お話をいただきます。
 二つ目が「医療」です。「最期」ということを考えますと、当然、医療は切っても切れないものでしょう。また、日本の人口構成も非常に大きく変わってきています。これからは高齢の方が増え、病気を持たないで暮らしていらっしゃる人の方がかえって少ない社会になっていきます。そのなかで、「治す」のではなく、「どう病を持ちながらも幸福に生きていけるのか」が医療の大きな役割になっていくはずです。そうした「幸福を支える医療」を実践されていらっしゃる悠翔会の佐々木先生をお招きしております。医療制度の在り方とともに、私たち国民として、医療にどう向き合っていったらいいのかなど、議論ができればと思います。
 後半の、三つ目のパートでは、地域やコミュニティについて考えてみたいと思っています。先ほどの齊木からのプレゼンテーションにも「明るい孤独死」という言葉がございました。未婚率も非常に高くなってきておりますので、お子様がいらっしゃらなくて、身寄りなく終末期を迎えられる方々は、これからどんどん増えていくのではないかと思います。そうしたなかでも幸福を感じられるためには、恐らく、人とのつながりなどで、孤独感を感じないことが必要なのだろうと思います。とはいえ、とくに都市部においては、かつてのような「地縁」を持ちにくいのが実態です。そんななかで「地域コミュニティ」というものを再度どう考えていくのかを議論したいと思っておりまして、武蔵野市の勝又様に「まちぐるみの支え合いの仕組みづくり」についてプレゼンテーションいただきます。
 最後の四つ目のパートでは、「働き方、企業の在り方」について議論したいと思います。本日お越しの皆様もそうかもしれませんが、恐らく、これからたくさんの方が仕事をしながら、ご両親や義父母の方の介護や最期に向き合うことになると思います。そのときに、働く人間としてどう向き合っていったらいいのか。あるいは勤務先の企業は、それをどう捉え、どう支援していくべきなのか。「働き方改革」の議論も進んでいますが、看取りを含めた「仕事と介護の両立」について、近い将来、団塊世代、団塊ジュニアがそういう年代に差しかかってまいりますので、避けては通れない議論ではないかと思います。そこで、企業の「仕事と介護の両立支援」をサービスとして提供されているwiwiwの角田様をお招きしております。
 それから、弊社の西沢もパネリストとして参加いたします。社会保障を専門とする研究員でございます。政策面・制度面を中心に、西沢のほうからは発言・コメントをさせていただきたいと思います。
 では、早速、最初のパートに入ってまいります。「最期を迎える場所」、その生活の場の選択肢をどうつくっていくのかを議論したいと思います。
 プレゼンテーションいただく下河原さんのシルバーウッドでは、「銀木犀」というサービス付き高齢者向け住宅とグループホームを運営されていらっしゃいます。サービス付き高齢者向け住宅(「サ高住」)は、ご高齢の方が、併設もしくは外部の介護サービスや看護サービスを使いながら暮らしていく、賃貸形式の集合住宅です。
 銀木犀での「看取り率」は非常に高い、つまり、最期まで銀木犀でお暮らしになる方が非常に多いそうです。そういうところは、なかなか現状は少なく、体調が悪くなったり、病気になると、場合によっては、救急車で搬送され、やはり最期は病院で迎えられるという、老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅がまだまだ多いのが今の日本の実態でございます。そういったなかで、非常に先進的に「最期」「看取り」に取り組んでいらっしゃる事業者様でございます。それでは、下河原さん、よろしくお願いいたします。

(下河原) 皆さん、こんにちは。株式会社シルバーウッド代表の下河原と申します。どうぞよろしくお願いします。 先ほどご紹介いただきました通り、私は銀木犀というサービス付き高齢者向け住宅の運営を行っておりまして、現在、10棟ほど、直轄の運営をしています。そこでの出来事を写真をまじえて皆さんにご紹介していきたいと思います。



 結論から申し上げますと、これからは多彩な共同住宅が必要な時代だと思っております。主流は、「多様な住まい方」とその延長にある「死」へ、フェーズが移ってきています。本人の希望通り、元々の自宅で最期まで暮らし続けられることがベストではありますが、なかなかそうも言っていられない現状があります。
 実は、今までの10年は介護する人たちがいました。でも、これからの10年、20年は介護する人たちがなかなかいない。仮にいたとしても、介護をするのは無理だという話があるんです。実際、肌感としても「私、最期は高齢者住宅で、家族には迷惑かけずに亡くなっていきたいわ」というふうにおっしゃる方が非常に多くなってきています。これからは高齢者住宅での看取りが進んでいくと思います。
 ただ、看取りだけを考えると、非常に悲しい人生になってしまいます。看取りは生活の延長にあります。まさにその生活をエンジョイしていくことが大事だということを自身の高齢者住宅を例にご紹介していきたいと思います。








 写真でご覧いただける通り、建築に非常に力を入れている高齢者住宅です。サ高住の運営をする前に、日本中の高齢者施設を視察して回ったんですが、どうも「セクシーな高齢者住宅」がないな、と思ったんです。どこも画一的で、正直、「こういうところに住みたくないな」と思ってしまって、自分がつくるんだったら、「ここだったら住みたいな」「ここだったら最期まで生活してもいいな」と思えるような高齢者住宅をつくりたいという思いで、とにかく建築に非常に力を入れています。
 厚生年金の範囲内で生活ができるということも重要です。これで入居一時金1,000万円、2,000万円というのではなく、このクオリティでも厚生年金の範囲内で生活し続けることができる月額費用、ということが重要だと考えています。正直、1,000万円、2,000万円の一時金をとったほうがもうかるんですけれども、そういうことをせずに、料金も低い設定でやらせていただいております。
 人生を彩り豊かにするためには住環境というのは非常に重要で、とくに我々の高齢者住宅は入居者の9割ぐらいの方が軽度認知障害を含めた認知症症状のある方々ばかりです。そういった方々にとっても住環境、まさに環境というのは非常に重要なんだということを運営を通じて深く理解しました。
 そして、「介護を介護士と要介護高齢者だけの話にしてはいけない」という考え方を持っておりまして、我々の高齢者住宅にはたくさんの地域住民が入ってくる仕掛けがあります。そのなかでもおもしろい仕組みが駄菓子屋さんなんです。めっきり減ってしまった駄菓子屋さんを、高齢者住宅の1階に併設しまして、毎日のように子どもたちがワーッと訪れてきます。
 店番は、当然、うちの入居者さんたちがやるんですけれども、とくに認知症のある方々に店長になっていただいています。万引きをした子どもを認知症のおじいちゃんがつかまえる、みたいなすばらしい功績が生まれていたりもします。




 店番のおばあちゃんは、もともと銭湯の番台をやっていました。認知症があるとかないとかは関係ない。駄菓子屋は大繁盛してまして、何と1カ月の売上が50万円近くいきます。彼女は社会のお荷物でしょうか。違いますよね。
 やはり「役割」がその人らしさを取り戻す、ということを僕たちはすごく感じています。どうしても高齢者住宅に入居することは、「とうとう入居してしまう」とか、「とうとう親をそういうところに預けてしまう」というネガティブなイメージが強かったんですね。でも、そこをきちんとアップデートして、「私は最後、あそこに行きたいの、あそこで生活したいわ」、そんな魅力的な場所をつくることはきっとできるんじゃないかと考えています。
 放課後になると、本当にわいわいと子どもたちが自由に家のなかに入ってきます。宿題をやっている子もいれば、ゲームをやっている子もいます。できれば入居者さんと交流してほしいんですけど、あまりにも子どもたちがうるさいので、入居者さんがお部屋に帰っちゃいます。そのぐらいわが物顔でみんなギャーギャーやっているわけです。
 家のなかに子どもたちの声がしているだけで、入居者たちは地域住民としての暮らしが実感できるんですね。従来の高齢者施設というのは、どうしてもスタンドアローンで、玄関の鍵を締めて、誰も近寄らせないみたいな雰囲気があるじゃないですか。それだと、「暮らし」とか「自分がここで生活している」という実感がなかなか湧かない。それを変えていきたいということで、我々は地域にどんどん開放しています。お祭りもしょっちゅうやっていますし、そういう高齢者住宅を運営しています。
 お祭りのときに、その方が認知症かどうかは、この場合において関係ありません。やはり、そういう機会があったほうがいいと思うのです。お祭りでスプーンを差し出しているおじいちゃんは、実は、パーキンソン病という病気を持っています。パーキンソン病の方の手は、カツカツカツカツッて結構揺れることがあります。あまりにも揺れるもので、子どもが怖がる、ということもあったりします。
 でも、こういうことが地域にどんどん広がっていくと、地域の子どもたちや地域住民たちは、病気のことを知ることができるし、認知症があっても楽しく生活できるんだということを知る機会になるんです。これはすばらしい勉強の機会だと考えています。だから、僕らはどんどん開放していて、認知症を隠したり、障害を隠したりしない。「それは恥ずかしいことじゃないよ」ということを地域の人たちに知ってもらう活動と考えています。





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