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第2部 パネルディスカッション
「幸福な最期」を選び取るために


 齊木乃里子さんから「明るい孤独死」の話がありましたけれども、「看取り」というのは死亡診断を書くことではないです。我々の考える「看取り」は、自宅で最期まで「生活」を続けることなんです。老衰や病気によって、近い将来、死が訪れるという状況がもう変えられなくても、そこから先の人生を、その人らしく、最期まで生き切っていただけるように支援するのが「看取り」です。



 そのために大事なことが三つあります。一つは、「俺の人生、もう最期が近いんだ、どんなに医者が頑張っても、この運命は変えられないんだ」ということを受容していただくこと。そうすれば、「何かあったときに救急車」ではなくて、「何かあっても俺は最期までここにいるんだ」と言えますよね。
 多くの方がこれができないのは、これを受容するということは、人生を諦めろと言っていることと同義ではないかと思っているからです。しかし、そうではないですよと言いたい。逆に、「長く生きるための医療」を手放すことで、より元気に、最後のチャレンジ、冒険ができるかもしれません。「人生を諦める」ということと、「治らないことを受容する」というのは、意味が違います。「最期まで生活や人生を諦めない」、これが二つ目です。
 三つ目は「最期まで自宅で」と決めたのであれば、痛い、苦しいなんていうことは絶対に起こらないように、私たちが責任を持って診ます、ということです。この3点が大事です



 登山においては、登るのと下るのは違う楽しみがありますよね。ただ、人生に関して言うと、人生の登り方を教えてくれる先輩はたくさんいますが、下り切った人はみんな旅立っていきますから、下山の仕方を教えてくれる先輩はいないです。そうなってくると、下山の仕方を知っているのは、下河原さんや私とか、「最期」をたくさん見ている人たち、ということになります。
 私たちが本当のガイドになれるかどうかわかりませんが、その人が穏やかな人生の下山を送れるように、対話を通じて、その都度その都度、必要な支援をしていくということです。この準備は、時間があればあるほど周到にできますが、早過ぎると違うルートを選びたくなったりもするので、やはり「最期まで寄り添っていく」ということが、すごく大事だと思います。



 人生の最期は四つのパターンがあります。このパターンによって準備する装備品が変わってきます。
 老衰や認知症は、穏やかに落ちていきます。で、突然死する人、こういう人たちは介護が必要になりません。癌の人は、癌になって少し体力が落ちますが、ぎりぎりまで元気です。樹木希林さんも結構ぎりぎりまで映画に出ていましたよね。それから、たちが悪いのは心不全とか呼吸不全とか大きな臓器障害がある方。入退院を繰り返しながら、最後、急変するというパターンが多いです。どのパターンで亡くなるかによって支え方とか準備するものが少し変わってきます。
 いずれにしても大事なのは、自分にとっての終末期、人生の最終段階というのはどこなんだということを考えるということです。皆さんは「どこで医療を終わりにするか」は、皆さん自身が決めていいんです。
 もう転倒して寝たきりになったら、それでいいとか、肺炎を起したら、1回目の肺炎で死んじゃってもいいとか、逆に、最後の最後まで、胃瘻までつけてほしいという人もいてもいいと思います。「どこまで医療をやるか」ということは、皆さん自身が決めるということです。それが「生きる」ということなんだと思います。




 これまでは「治療できる病気を治療しないのは倫理的でない」という考え方もありましたが、最近は、「治療できるかどうか」だけで「治療するかどうかを決める」のは倫理的ではないというふうに考え方が変わってきています。検討しなければいけないのは、「治療は可能か」「治療によって人生や生活は改善するか」「本人はどう思っているか」「家族や周囲はどう思っているか」の4点だと言われています。
 98歳のおばあちゃんが4回目の肺炎になりました。肺炎だから、病院に行けば治療はできます。しかし、本人はもう入院したくないと思っている。家族も入院させるのはかわいそうだと思っている。入院したら肺炎は治るかもしれないけれども、御飯は完全に食べられなくなってしまうことがわかっている。だとしたら、入院なんかしないで、ここで行けるところまで行くという考え方だってありますよね。何が倫理的かというのは、各自が決めるということなんです。



 大事なのは「納得」です。一緒に考えるということですね。これまではインフォームドコンセントといって、お医者さんが患者さんに説明して、「わかりましたか」「わかりました」というやりとりです。「説明と同意」と書いていますが、実際には「説得と妥協」なんです。そうではなくて、自分たちで選びたい。そのためにはとことんまで話し合いましょう。「あなたたちで勝手に決めて」じゃない、「お医者さん、お任せします」じゃなくて、「私、どういう死に方をするんでしょうか」「どういう死に方が1番いいんでしょうか」というのを一緒に話し合う。そのプロセスも含めて共有をしていくというのが、アドバンス・ケア・プランニングということなのだと思います。
 「人生の最終段階」というと、何となく暗いように聞こえますが、「楽しい下山」です。荷物も大分軽くなっているし、あとは好き勝手やっていただいたら、本当にそれでいいのだと思うのです。何となく死というものが正面切って語れない、そういう人たちがまだまだ多いですけれども、でも、いつか必ずそれは受け入れなければいけないわけです。できるだけ早いタイミングで受け入れたほうが選択肢は多いです。
 是非皆さん、今日はお家に帰ったら、自分がどう死ぬかということをご家族と1度話し合っていただけたらと思います。
 ご清聴ありがとうございました。


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