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第2部 パネルディスカッション
「幸福な最期」を選び取るために


(西沢) 今日は、仕事としてここに登壇させていただきましたが、わがことや私の両親のこととして聞いてしまいました。ここで五つほど申し上げたいと思います。
 一つは、冒頭、弊社のほうから「タブー」と言いましたけれども、聞いてみるとタブーではないです。オープンに語ることが非常に重要で、今日もお話を伺いながら視界がかなり開けた気がしています。例えば下河原さんのところの豚しゃぶ屋さんが開店されたとき、どんな制服にされるのかとかも興味があって、毎日着るのがうきうきするような制服になるのかな、と想像をしてしまいます。施設に両親を入れるときにも「うば捨て山」と考えるのではなく、まずはプロフェッショナルや第三者に相談に入ってもらうなど、オープンに語ることの重要性を学びました。
 二つ目は、わかりやすく選択肢を提示するということですね。「地域包括ケア」という話がありましたが、これは一体何を意味しているのかがわかりにくいです。住宅に関しても、サービス付き高齢者向け住宅、特別養護老人ホーム、療養病床、有料老人ホームといったいろんなものがあって、果たしてどれがどのような機能を果たしているのか、私たちにはわかりにくい。
 この原因の一つは、やはり供給者サイドに立った発想が根強くあるのではないかと思うんですね。療養病床でも、もともと病院だったものを住宅にしている。最近では、介護医療院というものも2018年の4月からできました。それは一体何なのかを、やはり供給者サイドではなく、需要者サイドに立って、明確にしていかないと、主権者であるはずの私たちが主権を発揮できないのではないかと思いました。
 三つ目は、現在、とくにわが国の医療制度での深刻な問題だと思うんですが、佐々木先生の悠翔会のようなクリニックが少ない。在宅療養支援診療所という診療所のカテゴリーがあって、先生のところは1クリニック当たり六人ぐらいお医者さんがいらっしゃって、24時間対応をしてくださるわけです。ところが、わが国では一人でやっている診療所がほとんどですから、なかなか先生のようなところにめぐり会えないわけです。
 また、わが国の医療保険制度は疾病保険なので、病気になって初めてお医者さんにコンタクトすることになります。本来であれば、元気なうちから、私の健康状態、あるいは働き方について、たまに先生にコンサルティングしてもらったり、話をしているという関係があったうえで、病気になったときに、改めて先生にかかるのが望ましいと思うんです。しかし、疾病保険であるがゆえに、ふだんからお医者さんにコンタクトする機会がない。「かかりつけ医を持ちましょう」と日本医師会の方々は言いますが、どうやってかかりつけ医を持ったらいいのか、という根源的な問題が全く解決されていない状況が、非常に問題だと思います。
 志のあるお医者さんが増えていくとともに、制度としても、恒常的にお医者さんとコンタクトできる制度にしませんと、「全体を診ることができる医者」は、やはり増えていかないと思います。専門的な話になりますが、出来高払いの診療報酬体系のもとでは、今日お話があったような「徐々に医療が手を引いて、ケアに力点を移していく」という形にもなりにくいのではと思います。
 四つ目は、財政のサステイナビリティです。医療・介護は国のお金や保険料で支えられているわけですが、国のお金といいましても、赤字国債に大きく依存しています。保険料も、今は協会けんぽで10%ですが、もう限界だという声も上がっているなか、このサステイナビリティをどう確保するのかという問題もあると思います。
 最後の五つ目に、人材供給ですね。やはり今後、人材供給の制約が大きいと思います。社会保障に充てられる財源は限られてきますし、人口そのものが減ってきます。さらに、今日のパネリストの皆さんは、優しい方ばかりで、単にノウハウがあるだけではこういうことはできないわけです。思いやりといいますか、常に精神的に成熟していくような人材をどうやって供給していくかは、非常に難しい問題だと思いました。
 総じてみますと、今日、話が出ませんでしたが、政治というか、国が不在ですよね。以上申し上げたようなことは、やはり国や政治の役割が非常に大きいと思います。最初の「オープンに語る」という話に返っていきますけれども、安倍総裁も三選されて、あと3年間あるということなので、こういった課題に政府として積極的に取り組んでいただきたいと思いました。
(紀伊) ありがとうございます。
 最後に、皆様から、今日会場にお越しの皆様や、そのご家族の「幸福な最期」に向けて、「今日から、あるいは明日からできることはこんなことじゃないでしょうか」ということを一言ずつコメントいただいて終わりにしたいと思います。
 下河原さんからお願いしていいですか。
(下河原) 幸福な最期を迎えるためには、自分自身の意思をきちんと誰かに伝えておくということ。まず第1に、家族に伝えておくことが大事です。元気なうちから死の話をするのは何か縁起でもないようなお話だと言う方もいらっしゃいますが、全然そんなことはなくて、今のうちから、自分はこういう形で迎えたいんだということをきちんと伝えておくこと、それがすごく大事だと思います。
(佐々木) 長生きするって、実は、私たちの根源的な欲求ですよね。ついこの前まで平均寿命は60歳代だったのに、人生100年時代と言われています。最近の推計では2007年に生まれた日本人の半分が107歳まで生きると言われているそうです。
 長生きというものは、私たちが追い求めてきたものだし、社会が成熟して、医療が進んで、せっかく実現できるようになったのに、長生きした瞬間に、いつの間にか「高齢者が増えて大変だ」みたいな話になっていて、何をやっているんだという話です。
 やはり、私たちが今、身につけなければいけないのは、解釈する力なのだと思います。事実がどう映るのかというのは、その人の価値観次第だと思いますが、若い人たちがたくさんいて活力のある国がハッピーだと思っているから、高齢者が増えると、何となくアンハッピーに感じてしまう。私たちの国は、もう人口の半分が高齢者です。ここから先1,000年、その人口構造は変わらないということがわかっているわけですから、やはり、それがハッピーなんだと思えるような新しい価値観をつくっていかなければいけないです。
 だから、先ほど、齊木乃里子さんから、「経済成長ありきではない」というお話がありましたが、豊かさの基準をただ単に経済の大きさだけで測るのではなく、成熟した人たちがたくさんいるということが幸せなんだと思えるコミュニティを、今、1からつくっていかないといけないと思います。そうしないと、歳をとるとみんなが不幸になっていくという悲惨なことになります。長寿を心から喜べる社会をどうやったらつくれるか。既存の過去へのノスタルジーを断ち切って、新しい価値観をつくっていく、そういう時代ではないかと思います。
(勝又) 今日はこの壇上でいろいろな勉強をさせていただいたと思っています。ありがとうございました。
 私は、例えば認知症のことで言うと、正しく理解をして、偏見を持たない地域にしていくことが必要だと思っています。偏見を持ったままいると、例えば自分や家族が認知症と言われたときに「絶望」になってしまうわけですよね。ですから、私どもの仕事かもしれませんが、認知症になっても役割を持って地域でこういう活動ができるということ等をいかに発信していくか。それが偏見を持たないことの大事な要素だと思います。そのようなことをやっていきたいと思いました。
(角田) 2年前に亡くなった私の母のことを言って恐縮ですが、私の母は70代で網膜剥離によって片目を失明したんですね。そのことを知って、私がすごく重い気持ちで病院に行ったら、母が「片目でよかった」とまず言ったんですよ。次に、「お父さんや子どもたちじゃなくて、私でよかった」と。よかった、よかったと言うものですから、何かすごい気持ちが楽になって、「ああ、そうね」なんて言っちゃったのです。そうやって「発想の転換」をできる母はすごいなと思いました。
 仕事と介護を両立するのは、すごくつらいこともあるけれども、絶対に“よかった”があるんですよ。だから、“よかった探し”をして、笑い話にしたり、こんなことがよかったよとみんなで言っていけば、怖いものはないんじゃないかと思っています。
(紀伊) 皆さん、ありがとうございました。
 時間となりました。「多死社会を迎える日本で、幸福な最期を選び取るため」に、今日、ご登壇いただきました皆様のおかげで、大きな方向性が見えたのではないかと思います。多様な生き切る生活の場が必要でしょうし、人生の下り坂に寄り添うような医療に全体的に変えていかないといけないし、多世代で支え合う地域があって、また、それをサポートする企業がある。こういう社会が恐らくこれから目指していく社会なのではないかと思います。
 そういったヒントをたくさんいただきました、今日ご登壇いただいた皆様に、改めて御礼申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。



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