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第2部 パネルディスカッション
「幸福な最期」を選び取るために


 (紀伊) 佐々木先生、どうもありがとうございます。お聞きになられた皆さんにとって、明日から非常に役立つお話だったと思います。
 一つお聞きしたいのですが、先ほどスライドの左右で「治す現役世代向けの医療」と「下り坂に寄り添ってケアしていく」というところを分けていらっしゃいました。印象としては、これだけ高齢者が増えているにもかかわらず、まだ現役世代向けの「健康な人生をより長く」が主流な気がします。医療側もそうかもしれませんし、国民側もやはり「治しにかかってしまう」ことがあるように思います。そこを転換していく、つまり、「残る人生をより楽しく」を支える医療に変えていくために、どのあたりが課題だと先生はお感じですか。
(佐々木) 医療提供者側と患者側の双方に課題があると思います。医療提供者側に関して言うと、資料(P.16)右側の「残る人生をより楽しく」を支える医療というのは、実は、医学教育にまだ十分含まれていないんです。例えば私が生まれたのは1970年代です。そのころの日本の平均寿命は60歳代だったわけです。急速に高齢化が進んでいます。
 日本だけではないですが、急性期医療というのは、若い人たちを中心につくられてきた。薬にしても、臨床試験は64歳未満の人たちを対象に考えられている。そういう薬を80歳とか90歳の人が飲んでいいのかどうか。そもそも80代90代のご高齢者たちを治療するべきなのかどうか。実は、これまで検討されたことがないんです。
 その状況で患者さんたちは軒並み高齢化していく。若い人たちを治療していたのと同じように治療してきているけども、これでいいのかどうかというのが、まず医療者の間でもきちんと評価が共有されていない。ただ、ここ数年、高齢者向けのいろいろな病気のガイドラインや薬の考え方が相次いで発表されているので、徐々に浸透はしていくと思います。しかし、完全に教育に反映された人たちが医者になるまでには、あと10年ぐらいかかるので、しばらくは混乱が続くと思います。
 それから、医療を受ける側の人たちにしても、「きちんと医者にかかっているのが1番安全なんじゃないか」「大きい病院にかかっているのが安全じゃないか」といった、病院志向、ブランド志向があるんです。そして、歳をとると病気が増えてくるので、病気ごとに主治医を持っている人が多いです。「心臓は東大の循環器、肝臓は慶應の消化器、整形外科は九段坂病院」みたいな感じでかかっていて、病気がどんどん増えていくと、かかる病院がたくさんあるので、みんな、「忙しい、忙しい」と高齢者は言っていますよね。
 そんなばかなことはおやめなさい、ということです。その先生たちはあなたのことなんて診てくれてないですよ。あなたの「臓器」しか診ていないんです。だから、「血圧をちゃんと下げていれば大丈夫だよ」と言うんだけれども、例えば、気がついたら、おばあちゃん、98歳になっている。血圧を下げ過ぎて、転んで骨折するんです。寝たきりになってもその先生が責任をとってくれるのでしょうか。
 病気を1個々々診るのではなくて「たくさんの病気を持ったその人」を診る。だから、「主治医を一人決めなさい」ということが、すごく大事だと思います。日本はもともと「かかりつけ医」という制度がなく、しかも、フリーアクセスといって、どの病院にかかってもいいことになっています。だから、「いい先生に診てもらおう」みたいな感じの方が多いんですが、それが歳をとると逆効果になっていくんです。
 大病院に対するブランド志向は、若い人は持ってもいいかもしれませんが、高齢者になり足元が不安になってきたら、「大病院にかかっていたら危険だぞ」と思ったほうがいいかもしれないですね。
(紀伊) 医療側は、教育も含めて、そういう価値観と専門性を持った人たちをつくっていくことが非常に大事だし、市民側も意識を変えていかないといけないということですよね。
 勝又さんにお聞きします。いまお話にあったような「医療との向き合い方」や「在宅でも看取りができる」とか、市民側も発想を変える必要があると思うのです。しかし、冒頭の齊木大の話にもあったように、「選択肢があっても、見えていない、イメージできない」という状況がある気がします。そのあたりの啓発に関して、武蔵野市でお取り組みのことや、市民側の反応としてこんなことがあるよということがあれば、是非教えてください。
(勝又) 武蔵野市のごく最近の取り組みですが、「自宅で最期を迎える」ことを経験した方を講師に講演会を開催しました。「もしあなたが望むなら、自宅で最期まで過ごせます」というタイトルでしたが、非常に人気がありました。
 先ほどの佐々木先生のお話のなかに四つのパターンが出ていましたが、癌でお亡くなりになる方と、老衰や認知症でお亡くなりになる方の最期の姿やケアの在り方は大きく違います。今、「看取り」という言葉が、いろいろなところで使われていますが、それに対するイメージはばらばらで、多死社会を迎えるにあたっての「看取り」について、きちんと解説し伝えていく必要性を、今日、この場でも改めて感じたところです。
(紀伊) 佐々木先生から「下山にはガイドが必要」というお話もありましたが、皆さん、看取りに関してイメージがなかなか湧きづらいし、そのイメージは一つでもない。そこをしっかり伝えていく必要があるということですね。ありがとうございます。
 最後は、「医療を少なくしていって、ケアで支える」ということで言うと、下河原さんのところのような住まいや介護が重要になるわけですが、なかなか介護職が医療の方と連携するとか、一緒にやっていく、というところは、ハードルが高いようにも思います。一般的には「医療側は敷居が高い」と感じる介護や高齢者住宅の方も多いような気がするんですが、そのあたりはどう対応していらっしゃいますか。
(下河原) 僕はお医者さんばかりが問題だと思っていなくて、介護士たちのメンタルの問題だと思っています。お医者=偉い人、お医者=絶対言うことを聞かなくちゃいけない存在という決め付けがあるのですが、そうではない。生活をきちんと面で支えている介護士こそがアドバンス・ケア・プランニングを1番やっているし、その情報がものすごく貴重なんだという認識さえ持てれば、お医者さんに対して、「いや、本人はこういうふうに言っていました」ぐらいのことが言えると僕は思うのです。
 だから、変わるべきはお医者さんたちではなくて、介護の人たちです。また、それを活用していこうという、ご本人も含めたご家族たちの考え方こそ、しっかり変わっていかなくちゃいけないと思います。
(紀伊) ありがとうございます。家族という話が出ましたが、角田さん、いかがですか。家族にとっては「在宅のお看取り」というのもなかなかイメージしづらい部分もあると思いますし、医療との向き合い方や最期の迎え方について、角田さんから佐々木先生にご質問などありますか。
(角田) 介護家族が仕事をしているような場合ですと、「親が家で亡くなったんです」という話を聞ときには、やはり突然死のパターンだったり、癌などで急激に悪くなって「最後の1週間、2週間でした」という人に限られる印象があるんです。
 そういった印象があるので、先ほど、佐々木先生が「一人暮らしでも」とおっしゃったのがすごく衝撃的でした。家族が仕事をしていて日中留守とか、同居して介護する人が本当にいないとか、そういうパターンでも「自宅での看取り」は可能なのでしょうか。そのときに、すばらしい医療チームのいる地域に住んでいないとなかなか難しいものでしょうか。
(佐々木) 実は、これは医療ではなくて、介護の話なんですが、昼間一人にして大丈夫なのか」と、皆さん、すごく心配するんですけれども、皆さん、日曜日など、家にいるときは一人ですよね。心配だからといって、老人ホームに入った人たちも、実は、みんな居室は独立しているから、基本的には日中独居ということ自体は、別にそれほど変わらない場合もあるわけです。
 ただ問題は、3度の食事がちゃんと提供できるのかとか、排泄のケアは誰かやってくれるのとか、ちゃんとお風呂に入れるのかという部分です。その部分は介護サービスや、地域の食事を提供するサービス等と組み合わせれば、できるんじゃないかと思うんです。その3度のお食事と身体のケアと排泄ケアが家にいると大変だからというので、老人ホームを選択する人もいます。ただ、最近は、例えば定期巡回・随時対応型訪問介護看護とか小規模多機能型居宅介護支援事業所など、定期的なケアに加えて、必要なときは呼べば来てくれて、通いも使える、泊まりも使える、といったフレキシブルなサービスも増えてきています。そういうものがない時代からでも一人でも暮らしていた方がいるわけですしね。
 逆に、一人暮らしのほうが、「あんた、危ないから、病院に行ったほうがいいわよ」とか、そういうことを言う家族がいないので、最期まで自宅でいられる人が多いかもしれませんね。
(角田) そうですね、退院するときに、一人暮らしの人は自分の家に帰れるけど、家族のいる人は施設に入れられてしまう、ということを聞いたことがあります。
(佐々木) その通りです。
(角田) でも、仕事をしている人が、介護する人が自分しかいないというときに、本当に在宅で親が望んでいるように暮らしを支えられるのかというのは、「大丈夫だよ」と言ってくれるケアマネージャーさんや、地域の支援者、お医者さんがいるかどうかにかかわっていますよね。
(佐々木) 結局、家族の生活も含めて、「その人の暮らし」ですから、家族に負担がかかって生活が破綻するというのは、全然ケアプランになっていない、ということなんですよ。「独居でも暮らせるんだ」という前提で、家族がどこまでケアにかかわれるかを考えたうえで、できる範囲で協力をしてもらう。
 そうしないと、先ほどの事例みたいに、お母さんのことを一生懸命思っているつもりなんだけれども、ストレスで、ついつい「死んでしまえばいいのに」みたいに思ってしまうとなったら、それこそ悲劇です。その人の生活が「家族単位できちんとエコシステムとして回る」状況をつくっていくのが、在宅ケアではすごく重要なポイントです。「家族が私一人しかいないから頑張らなきゃ」という思い込みで自分を追い詰めることで、逆に環境が悪化することが、とくに認知症ケアの場合に多いです。そこは気を付けることがとても大事だと思いますね。
(角田) 仕事に行っている間は一人暮らしという形でケアしていただいて、夜は家族が帰ってくるからちょっと心強い。そう思うと、すごく気持ちが楽になりますね。
(佐々木)そうですね。日中、一人が心配だったら、デイサービスに行ってもいいし、近所の人に遊びに来てもらうなり、近所の人のところに遊びに行ってもいいわけです。恐らく、そういうことが、今後、介護だけに依存しない仕組みという意味で、すごく重要になってくるのではないかと思います。
(紀伊) ありがとうございます。
 やはり医療に関しては、私たち自身もパラダイムシフトというか、考え方を大きく変えないといけない、そんな印象を持ちました。


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