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【その2】紙はいつまでも芳しいか ~新聞の今、これから~ 14. 新聞社の百年後?;残すコアコンピタンスと切り出すコストの行方

2009年06月26日 前田純弘氏 (朝日新聞社 グループ戦略本部 電波セクション 主査)、倉沢鉄也、、叶内朋則、紅瀬雄太


14. 新聞社の百年後?;残すコアコンピタンスと、切り出すコストの行方

(倉沢)最後に、新聞社の遠い未来について話をさせてください。
新聞社は、ここまで150年近く、紙にニュースを書いて売る企業として存在しているのですが、新聞社という企業は、何十年か先、百年先、なくなりはしないでしょうが、そのときにも紙を売る企業なのでしょうか。

(前田)たぶん、媒体フリーの報道機関のようになっていくかもしれないな、と個人的には思っています。では共同通信と同じなのかというと、それも違うと思います。新聞社のコアコンピタンスとは、結局24時間365日取材して、一定以上の品質のテキストニュースを流し続けられます、という部分に尽きると思います。全国に届くという看板を外したら、広告価値は崩壊するでしょう。ただ、ニュースと広告を表現する媒体は時々によって変わっていくかもしれません。もし本当に紙という媒体が廃れていってしまうならば、うまく別の媒体を使ってニュースを発信する方法を考えていくことになるだろうと思います。何十年後を想像した場合に、そういう方向性までにしか想定できないです。

(西窪)アメリカでは、もう紙をなくしてネットだけにした新聞社も出てきています。

(倉沢)紙でニュース報道を受け取るというのは、紙が貴重だった明治維新以前からあって、その前は木の板を立てていた時代もあります。通信手段としては千年以上前からあったわけで、百年後に世の中から紙という物質がなくなるわけではないでしょう。
そのときに新聞社という名前は外れて、「朝日○○コーポレーション」という社名なのだろうと思うのですが、そのときに今の新聞紙を宅配するビジネスは、何分の1かに小さくなって、確実に存在しているように思えます。その規模になったときに、新聞社が新聞社という体裁で報道を支えられるのかという問題が残るでしょう。
報道機関が競争することで、報道機関たる客観性や正当性が担保されてきたのでしょうが、全国紙だけで5社も争っている場合ではない、民放テレビも同じようなことを言われている中で、5社で2グループくらいに連携して、何かのコスト要因を括ることになるのではないか、と思います。「大政翼賛」になってはいけませんが、アメリカの連邦政府では、放送事業の参入のための競争基準として2社あればいい、競争になっている、という基準すら最近出ています。乱暴に言えば、全国紙は2社あればいいんじゃないか、ということも理論的には検討可能です。それは極端な話としても、さきほど話に出た「あらたにす」のように、業務提携でコストを共有し収益を最大化する方向性は、もっとやっていかなければならないと思います。

(前田)新聞社のビジネスを分解していったときに、今は一気通貫で内製しているのですが、コスト削減の圧力が高まってきたときに、どこに何を任せられるか、どの機能の汎用化と規格化ができるか、という議論が始まるでしょう。私自身はそこを詳しく検討したことがないのですぐに答えは言えないのですが、少なくとも取材して記事を書く部分は代替してはいけないところであろう、共同通信や時事通信からすべての記事を買えばいいというのは未来永劫ないと思います。

(倉沢)輪転機で何か別のものを印刷すればいい、他のものを印刷できる輪転機を作ればいい、というのも正論ではあります。しかしすでに新聞を猛烈なスピードで印刷することを前提に作られていて、ほかにあれだけのスピードが必要な印刷物はないのです。逆に新聞社としては印刷のスピードダウンは締め切りの前倒しを意味するので、それこそコアコンピタンスにかかわる部分になります。

(西窪)テレビがいま経営難の中で、真っ先に削るコストが制作費だと言っています。それはおかしいだろうと思います。新聞やテレビ、雑誌などから、情報の制作者、編集者がいなくなってしまったら、結果的にインターネット上で流通する情報の過半はなくなってしまうでしょう。手間のかかるコストである制作と編集を誰かが支えなければならないのですが、テレビが制作費を削るというのは墓穴を掘っているように見えてならないのです。新聞についても同じことを危惧していて、それで新聞社が何を残して何を外出ししていくのか、気になります。単なる広告業になってはいけないのだと思います。

(倉沢)テレビ局自身は、コアコンピタンスを、編成と営業が裏表一体で経営を支えていることにあると思っています。営業パートナーとして広告代理店がいますが、編成と営業の2つの部署は、ほぼ社員のみで仕事をします。一方編成される個々の番組は、多くの外注で支えられています。本当であれば、送信技術の部署なども何とかしようはあるのですが、最初に外注の習慣がついている制作を最初に削ることになります。弱いものいじめに近いものがありますよね。
そこでテレビの制作局に、さっきの記事を選ぶ人間と同じで、プロデュースできる人間が十分育っているのか、外注をうまく制御できるのかというと、この人材が枯渇している、高齢化していていつか絶滅してしまう、というのが今テレビ局の最大のピンチだと考える関係者は多いです。
新聞は同じような道に入ってしまってはいけないし、記事を書くということについて投げ出すはずもないので、記事を書いて訓練しながら、記事を選ぶ能力を持った人材を確保していくことが、何十年かしてシェイプアップしてしまった「元・新聞社」の課題なのだと思います。

(前田)記事を選ぶだけでなくて、一人の記者が記事を書くときも、大量に仕入れた情報から、書くべき情報を選んで文字にしている、という側面もあります。いらないと思ったニュースはそれ自体を書かないことで記者がボツにしています。だから選ぶ能力は書くことで身につくのです。選ぶ、選ぶ、というと各社の編集局で整理部と呼ばれる部署が一番大事だという話になってしまうのですが、そうではなくて、整理部含めた記者総体として、情報を選んで書いている、紙面で重要度に応じて表現しているということをイメージしていただくほうが、この議論には適切だと思います。

(倉沢)長い時間、ディスカッションにおつきいあいただき、どうもありがとうございました。前田さんに刺激のある話がこちらからあまりできなかったかもしれません。またご懇意にさせてください。

【完】 

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