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【その2】紙はいつまでも芳しいか ~新聞の今、これから~ 7. 速報素材は、素人投稿でもいい。報道機関の生命線は「掘り起こし、選ぶ」こと
2009年05月11日 前田純弘氏 (朝日新聞社 グループ戦略本部 電波セクション 主査)、倉沢鉄也、、紅瀬雄太、西窪洋平
7. 速報素材は、素人投稿でもいい。報道機関の生命線は「掘り起こし、選ぶ」こと
(倉沢)そうした構造の結果、いま地方紙やローカルテレビ局で聞こえてくるのは、住民から寄せられたテキストや動画映像を報道素材として使ってしまうという実態です。それはピープル・ジャーナリズムを志しているわけではなくて、単に記者の人手が割けないからです。
地方新聞やローカルテレビ局は、報道記者を県庁市役所と警察に配置したらもう県内の第一報を追える人材が残っていないので、事件の第一報は通りがかりの人の音声通話やFOMAの64kbpsの動画で撮ったものを速報でそのまま使って「何とかさんの撮影した画像です」というのを堂々とテレビに出してしまう、そうした形を事実上「報道モニター」などの制度化してしまうという話が出てきているようです。
蛇足ですが、韓国の「オーマイニュース」も、もともと大いなる志としてピープル・ジャーナリズムを掲げたわけではなくて、スタート時点ではプロの記者を集めるお金がないから仕方なく素人から記者を集めたら評判がよかったということのようです。
(前田)テレビのローカル報道の事情は、ある程度は知っていましたが、そこまで行っているのでしょうか。確かに報道の網羅性を確保するコストをかけたからといって、それで十分に収入を得られるかどうか、厳しいかもしれません。地域の視聴者に知らせるべきニュースをなるべく多くカバーしようとすると、県庁や市役所など行政機関、事件にまとめてアクセスできる警察、ということになります。また、社員数が少ないローカルテレビ局では、報道専任での採用は少ないのでは。報道一筋とはなりにくいでしょうから、人材育成の観点からも悩みが多いと思います。地方紙やブロック紙の場合、豊富な取材陣を持っている場合の方が多いと思いますが。
(倉沢)素人ソースを受け入れざるを得ないという状況に対して、逆に報道のプロとして大事なニュースだけ選べばいいんだ、選んだときの素材が素人ソースかどうかはいいんだ、という割り切りをすればよいということでしょうか。
(前田)そこまでは、割り切れないと思います。確かに、各新聞社とも「読者投稿写真コンクール」のようなものがあるように、以前から読者投稿の写真を使っています。、人手が足りないコストがかかるという話の前に、決定的な瞬間を撮った写真があれば、その撮影者が自社のカメラマンか否かは問わず、読者に伝えるべきものであれば掲載する、ということです。もちろん、速報性を重視して素材を判断するという側面もあります。テレビもそうでしょう。運動会の最中に突風でテントが飛んだ、というような場合、ビデオで撮っている人が必ずいるので提供してもらうというケースですね。少なくとも撮影機材はかなり性能が上がっていて、ハイビジョンでも撮れる家庭用のビデオカメラもあります。それで決定的瞬間を撮ったというのなら、そのまま流せるということです。
しかし映像や写真の捏造くらいは難しくないですから、一次情報にアクセスできていない場合に報道機関として事実の確認は、提供者の本人確認を含めて、かなり慎重にしているはずです。そこに手抜かりはないとも思っています。
でも、誤解ないように言っておきたいのですが、原則は報道機関自らが、伝えるべきニュースを掘り起こし、選び、書いたり撮影したりして、発信する、です。
一方、行政機関や警察でも、第一報をすべて自前で探知しているかというと、違いますよね。住民からの通報は重要な端緒なはずです。普段、信頼に足る活動をしているから、通報してくれる、という循環があるはずでして、極端なケースで言えば、報道機関が自前では取材に出ずに、持ち込まれるのを待っているだけだったら、そもそも通報や提供という行為はなくなると思います。
(倉沢)なるほど、素人ソースを受け入れる以前の問題として、模範となる玄人ソースが存在していて、それが大事な報道だと信頼されていることが前提にある、そのためのコストは当然かかっている、ということですね。
テキストや静止画による特ダネ的な速報が、社会にとって大事な報道だと判断できれば、報道機関の役割としてはそれで十分なのかもしれませんが、それだけでは報道への信頼というものが未来永劫続かなくなるということですか。
書き手についても、別に要領よく書けていれば誰が書いても読むほうはわからないという考えも成り立ちますが、しかしその大部分は新聞記者が自前で書き、すべての記事に責任持った状態でないといけない、ということですね。
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