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【その2】紙はいつまでも芳しいか ~新聞の今、これから~ 10. 人は、新聞の何に対価を払うのか;紙の「確定権威」の近未来
2009年05月29日 前田純弘氏 (朝日新聞社 グループ戦略本部 電波セクション 主査)、倉沢鉄也、、紅瀬雄太、西窪洋平
10. 人は、新聞の何に対価を払うのか;紙の「確定権威」の近未来
(前田)逆にお伺いしたいのですが、「オーマイニュース」に出ているニュースや当時のライブドアのニュースのように、既存のマスメディアでないところが仕上げた報道記事をどう読んでいましたか。
さらに掘り下げると、宅配される新聞の代金、1ヶ月で4000円前後のお金は、何に払っている感覚ですか。これはさきほど話に出た「紙」と「紙に載っているコンテンツ」に分けて考えたほうがいいのでしょうが、コンテンツに対するものとともに、朝夕届くから、紙というコンパクトな形になって届くから、それは利便性が高いから、ということなどでしょうか。どの辺に価値を見出してお金を払っているのか、これが単なる習慣、惰性だ、という結論になると、習慣自体が変われば、どうなるのか、と思います。
(倉沢)対価については、紙を読む習慣ということに含まれるかもしれませんが、私はこのことについて「確定権威」という造語をよく使っています。みなさんの個人的感覚として、さんざんテレビを見て、ネットで検索して、それで次の日の朝に最終確定情報として洗練されたプリントアウトを所有して満足する、というところがあるのではないでしょうか。1日2日前の新聞を読んだりはしませんから、保存というよりは、一度手にして、所有して、満足するという感覚でしょう。それが月3900円、ではないでしょうか。
(宮脇)最近あまり新聞を読んでいない30代半ばの感覚としては、かつては新聞を読むとその情報が確定するな、という意志で新聞を読んでいました。ニュースは速報から始まって、情報が増えたり一部消えたりしながらテレビやネットでどんどん流れていきますが、最後新聞に書かれた途端に「その情報は正しかった」と認識するという読み方をしていると感じます。一種の新聞信仰なのかもしれませんし、20代以下にはもうそういう人はいないのかもしれません。
(前田)その辺の議論は、私のまわりでもよく言われていることです。確定と感じるところが習慣で支えられているとしたら、そのことを広くアピールしていく必要がありますし、習慣のまま放っておくのはよくないかもしれないですね。
「確定」ということについては、ご存知のとおり新聞にも締め切りが早い「版」と遅い「版」があって、その途中で情報も更新されるし、文章の手直しもします。夕刊や朝刊の最終版というのは、部数としてはそんなに多くないですが、新聞社としてはそれが最終確定商品、確定報道ということになります。もちろん、早版に間に合わなかった情報は、翌日の早版で収録しますが。
(倉沢)「けさの日経、読んだか?」という手のプレッシャーは、世代を越えて読まざるを得ない人たちを作り出しているという側面はありますね。同じ記事はネットで探せばあるわけですが、確定権威がゆえに情報共有・認識共有の場としてサラリーマンは日経を読まざるを得ないという状況は、今もありますしまだしばらく続くのではないかと思います。
(前田)それはそうですね。ただし、そうやって日経を読んでいる若者たちも、就職活動や新人の期間が終わると読まなくなる可能性があるわけです。NHKの国民生活時間調査あたりを見ますと、以前は30代、40代が新聞読者のコアだったので、若い人たちもそれなりの年代になれば新聞を読む、というある種の期待を含めて見ていたのですが、最近のデータを見ると、これまでコアと言われてきた人たちが新聞を読まなくなってきて、高齢化していると読み取れます。
(倉沢)メディア接触時間全体の傾向で言うと、「ながら」の話もしましたとおり、時間自体が重複しているんです。だから、「ながら」を明確に描き出そうとした調査でない限り、サンプルになっている人が「何を、何分」と分けようとしたときに、新聞はおそらく意識の低いほうに行って、主に食事やテレビとかぶっていくという面はあると思います。
ただ、紙を読まずに済んでしまう、ネットでニュースチェックしたから今日何が起こったかわかった、という人が、中高年にすらたくさん出てきていることは確かでしょう。新聞紙というのはやはり、情報収集の時間をまとめてとろうとしたときに初めて手にする媒体なのかなと思います。最小限のことはケータイでチェックすれば足りるし、細かい記事は会社で読むなりPCでチェックするなりで済むので、ギュウギュウの電車の中で16折りくらいにして新聞を読んでいる人もだいぶ少なくなったかなと思います。紙の販売部数や紙の閲読時間をビジネスの指標にしていると、立ち行かなくなるという方向になってしまいそうです。ただし繰り返しご指摘しているように、ビジネスが成り立つことと、テキスト報道の社会的必要性と、広告主から見た重要性とが、全部ずれてきているのが、困ったところです。
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