コンサルティングサービス
経営コラム
経済・政策レポート
会社情報

経営コラム

クローズアップテーマ

【その2】紙はいつまでも芳しいか ~新聞の今、これから~ 4. 新聞報道のトータルコストを、ネット事業が背負えるのか

2009年04月10日 前田純弘氏 (朝日新聞社 グループ戦略本部 電波セクション 主査)、倉沢鉄也、、紅瀬雄太、西窪洋平


4. 新聞報道のトータルコストを、ネット事業が背負えるのか

(前田)そうなると、新聞社として販売でも広告でもない別の収入源を探しつつ、同時進行で合理化を推し進めていく、という話になっていくのかもしれません。ただ、今、この瞬間にウェブやケータイで社の経営を支えろと言われると、「難しい」という話になります。

(倉沢)その収益という論点ですが、紙か液晶画面かにかかわらず、新聞社のテキストコンテンツを読むという行為をする人が一定の規模を保つことと、新聞社の収益が、直接結びつきにくくなっていることを大きな問題と捉えています。とくに新聞広告を読もうとしていない、広告効果があやふやだ、部数でカウントするしかない媒体に大金は払えない、という流れは止められないでしょう。液晶画面に出せばページビューやクリックといった概念がすぐに持ち込まれて、これも広告ビジネスとしてはより手間のかかる苦しい道に入っていきます。

(前田)紙に載ってきたコンテンツであるニュースを営利事業として誰が担うのかという問題については、実際の担い手がどこであれ、訓練された人と組織が報道を担っていかなければならない、私は新聞社であり続けてほしい、と思いますね。
韓国の「オーマイニュース」をはじめいろいろな動きがあるのは承知していますし、専門家や一般の方のブログに、ある種の真実や早い情報や正しい情報が載っているケースもあることはわかります。個別ケースでそういうことは起こりますが、24時間365日全国からニュースを拾って、ある種のフィルタリングをして、これは大事だなと思ったものをコンスタントなレベルのテキストにしていくという点では、いろいろ批判はあるけれども、訓練された組織と人が対応することが必要だと思います。

(倉沢)いわゆる第四の権力であるがゆえに、自前で営利事業としていなければいけないというところの苦しさと、コンテンツビジネスで少しでも儲けようという流れの中でニュース報道という多大なコストを要する事業をどう位置づけていくのかは、新聞社だけでなくて本当は日本の社会全体でもっと悩まなければならない性質の事柄なのではないかと思います。

(前田)ビジネスと社会的責任のどちらが大事か、というふうには分けられないですね。両方大事と言わざるを得ないかなと感じます。ビジネスだけを追求するなら受けるコンテンツだけをどんどん載せればいい、ということになります。同じ新聞社が出したニュースでも、その日の紙の一面を飾った、地味だけれどそれなりに大事な記事と、同じ日に社会面に載った人気俳優の結婚の記事と、その両者がウェブサイトに載ったときにどちらが読まれるかというと、たいてい後者のほうになるわけですね。世の中はそれだけで成り立っているわけではないでしょう。ニュースを選ぶ基準が人気投票になってはいけなくて、ある種の基準あるいはフィルターを通して書かなければならないし、書いてはいけない事柄もあります。そうした判断を、どこかの訓練された人と組織が担う以外にはないのですが、その事業をどうマネタイズし続けるか、が我々に課された部分です。

(倉沢)テレビですら視聴率と広告との関係をたたかれる中で、まして、報道を支えているという社会的役割と広告収入ということが、たぶん100年以上説明しなくて済んだのですが、いよいよ、そういう説明を正面切って国民にしないといけない時代になったのでしょうが、問題は広告主の論理ですね。報道は「たくさんの人に見てもらえる」という結果を利用して広告が成立しているわけですが、報道のコストの部分を支えるために広告を出しているだけではありませんから、「紙ではない、たくさんの人に見てもらえる報道媒体」に出される広告の収入が、報道を支える組織に直接流れないと、社会に必要な仕組みが壊れてしまうことになりますね。もちろんネット広告媒体自身が報道機関を担っていればいいのでしょうが、不幸にもそうなっていませんね。

(前田)新聞広告の売り方という問題も関わってきますね。私自身は広告の実務に深く携わったことはないのですが、「××新聞に全面広告を出すと、こんなに効果がある」という合意が媒体側と広告主との間で形成されていたはずですが、ネットや携帯など広告主にとっての選択肢が広がることで、いわば広告費のアロケーションに変化が出た、と。でも、ネット広告媒体、例えば新聞社等から記事提供を受けている大手ポータルサイトが、自前の取材組織を持つという意味での報道機関の役割を担うはずもないですよね。コンテンツに貴賎はないですが、金と人をむちゃくちゃかけたコンテンツもそうでないコンテンツも、クリック数等のひとつの基準で測られて、フラット化される。ネット部門で仕事をしてきましたが、「それがある面でネットの本質だ」と頭で分かっても、「はい、そうですか」とはならない。何とかしたい、というのが本音でした。

続きへ

このページの先頭に戻る

目次に戻る
経営コラム
経営コラム一覧
オピニオン
日本総研ニュースレター
先端技術リサーチ
カテゴリー別

業務別

産業別


YouTube

レポートに関する
お問い合わせ