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【その2】紙はいつまでも芳しいか ~新聞の今、これから~ 12. 既存資産のマネタイズの道は険し; 金に代えられないもの、金にならないもの

2009年06月12日 前田純弘氏 (朝日新聞社 グループ戦略本部 電波セクション 主査)、倉沢鉄也、、叶内朋則、紅瀬雄太


12. 既存資産のマネタイズの道は険し;金に代えられないもの、金にならないもの‥‥

(倉沢)私はそういう作る側の意図がわかって、「どらく」を見ています。徹底しているというか、その意図がわかるだけに、読めば読むほど自分がターゲティングされている感覚になって、これはターゲットの中でも好き嫌いが出るだろうと思って見ています。

(前田)「どらく」は、立ち上げ責任者が「シニアサイトと言わない」と言い続けていました。一般読者にシニアサイトと言われると来なくなると思います。当初からビートルズ世代という言い方をしています。このコピーも含めて、かれこれ3年続いています。このサイトは今後も続けられるでしょう。

(倉沢)雑誌的という表現がいいかわかりませんけれども、PC上のウェブにきちんと読み込む雑誌的な記事を載せていくのは、ケータイと差別化して独自性を打ち出す一般解としてあると感じます。
ストレートニュースのページについては、各社のサイトを見ていると、時々、右側からバナーが横に伸びてきて、ニュース見えなくなってしまうことがあります。ネット広告の自主規制の類はまだ確立されているとは言えませんし、テレビも含めてみんなぎりぎりのところで工夫していますが、やはり習慣としてPC上で文字呼んでいるのを隠すのは勘弁してほしいなと思っています。新聞広告に習慣として感じている品の問題を、ネットにも期待してしまうということのように、自分では思えます。

(前田)私が関わっていた頃のasahi.comとしては、技術的にはいろいろできても、そういう視点もあるだろうと思って、ずっと慎重でした。徐々に、音が出たり、横に飛び出すバナーを扱ったりと、範囲を広げていたところでした。このへんは、広告主や代理店の要望に応じて実験的にやっているところもあります。ニュースを見てもらってページビューが増えることも大事ですが、やはり広告収入で持たせているサイトですので、クリックしてもらったり、ページビューに付加価値をつけたりしないといけない事情は察して下さい。

(紅瀬)先日、ある新聞社の方と話をしました。曰く、新聞社には著名人のネットワーク、継続させるスキル、といった無形資産がある、電話一本で協力してくれる関係を築けている、だから本気でマネタイズしようと思えば、やりようはかなりある、という話でした。

(倉沢)新聞社の広告企画のイベントやシンポジウムは、そういう流れからでき上がっている節もあります。なぜ新聞社が自社でホールを持っているのか、イベントをするのか、というのは、その無形資産を二次利用しているということがポイントです。
(前田)その無形資産という感覚は、記者の体験からもありますね。一例で言えば、私が神戸支局の一記者だったときも、ある有名な作家に電話すると、コメントをもらえる、ということはありました。会ったこともないのにです。ありふれた言い方ですが、営々と築かれた報道機関に対する信頼ということでして、前田という記者の力量とはまったく関係ないわけです。もちろん、新人記者として配属された場合に、初めて接する取材先との関係もそうです。ただ、そういう関係をビジネスの前面に出してしまうとか、混同してしまって、もしビジネスのあざとさが見えてしまうと、途端に取材に応じてもらえなくなると思います。

(倉沢)それは、かつて新聞社のシンポジウム事務局をよくやっていた時期の反省としてあります。これはあくまでも人脈の二次利用というか、対価なしに情報交換の関係を築けていた著名人に感謝して利用するものなので、そのシンポジウムやイベント先にありきの登壇者対事務局の関係になっていくのが非常に嫌でした。新聞社側の人脈もありますが、シンクタンクとしても調査研究や情報収集をお互いにする関係がまず先にあり、それでたまに、すいませんが安いギャラでアコギな仕事にも付き合ってください、全国紙で露出もしますから、ということにしていないと、単に呼び屋の事務局に成り下がってしまうんです。ああいった仕事は、金に代えられないものを金に替えて失っていくものを感じて、そこが悲しかったですね。

(前田)同感です。シンクタンクで言えば、社会的な調査研究での異分野の深い情報を交換できるという部分が人間関係を背負っているので、たまの講演も快く応じてくれるということですね。新聞でも、記者として持っている情報の交換が人間関係の大前提になっていて、取材に応じてくれたりするのですが、この関係をビジネスに載せてしまうと、出演料よこせ、コメント料よこせ、という関係になって、やはり持続可能なマネタイズの道はかなり遠いと思いますね。

(倉沢)新聞社一般のビジネスとして、読み物をじっくり読ませることの逆もあってもいいと思います。逆というのは、極端に言うと「続きはウェブで。QRコードはこちら」といったやり方や、新聞のプライドをかなぐり捨てたようなテレビとのメディアミックスもありうるのかなと思います。広告だけでなくて編集面でもそれをやるということです。
書くものは書き切っておいて、もっと知りたいならこちらです、という仕組みです。新聞は長らく新聞でテキストを完結させてきたのですが、続きはほかにある、というスタンスもあっていいのではないかと思うのです。新聞としてのプライドにかかわるところでしょうか。

(前田)その点は、プライド云々の問題ではないのでは?特殊な例ですけれども、例えば皇室の会見は、記者会見の概要を伝えて、一問一答の全文はウェブで、というのは、各新聞社ともやっています。
テレビとの連携については、「報道ステーション」でご覧のとおり、ニュースの解説者を提供する側とされる側の関係はあります。ローカル局に行くと、朝日新聞の総局のデスクや総局長が同じ関係になります。
メディア間でユーザーを回遊させて、それぞれでお金をいただくという理想が語られますが、個々のメディアでやろうとしていることが、本当にできるのか、できた場合にそれで金がつくのか、というのが形にならないので、結局、どちらかのメディアをおまけにして広告が売られてしまうのが、広告主と面と向かったときの現実だったというのが、実感でした。

(倉沢)そうですね。インターネット同士でない限り、媒体を移動した瞬間に、広告効果がうまく説明ができなくなるのです。そうすると、売り物件としてもそれが新聞なのかテレビなのかネットなのかを明らかにした売り方と単価設定しかできなくなって、残りがサービスになってしまうのです。そこは困ったところですね。

(西窪)新聞記事を徹底的に少額課金することはできないですか。PCだと難しいですが、ケータイであれば技術的にも容易だと思います。記事1本何円、という単価で無意識に読み進めてもらう可能性についてはどうでしょうか。

(倉沢)それは、新聞社側を弁護したいです。報道機関のコストの話をさきほどしましたが、ヘリコプターまで飛ばした記事の全単価を平均して割り算していくらかかったのか、ということをきちんと表現した価格にしたいです。そうでない値付けを最初にネットポータルにしてしまって、その値段を変えていない、朝日でない新聞社の罪は大きいです。

(西窪)1本数円というのは言い過ぎにしても、今まったく新聞を読んでいない人、ケータイでの新聞社のサービスに月間300円すら払おうとしない人に対して、新聞記事というものに接触してもらう、障壁を下げる、という方法論として意義はあると思いますがいかがでしょうか。

(前田)ただ実際には、過去記事のデータベースの世界ですけれども、見出しいくら、記事1本いくら、という形で値づけはされています。それがそのまま、初出段階での値段になるはずもありませんが。その記事1本に新聞社全体のコストとしていくらかかっているのか、という計算は、自分でやろうとしたことがありますが、事業として計算したことはないですね。

(倉沢)少なくともコストベースで平均単価をつけるなら、記事1本が10円とか50円とかではあり得ないですよね。そこはネットビジネスの将来のためにも、ちゃんと値付けしたいですよね。
そういう意味では、もうここまでインターネットが成熟してきた時代で、少なくともネット上で、新聞社同士が競り合っている場合じゃない時代と思います。共同で何かをしなければならない時代に来た感じはあります。

(前田)日経・朝日・読売による比較サイト「あらたにす」の立ち上げは、その一つのあらわれだと思います。最初の記者会見では、「Yahoo!のようなポータルサイトばかりが儲けている時代じゃないでしょう」という趣旨のことを言っていました。

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