クローズアップテーマ
【その1】テレビの未来を見据え「ながら。」 ~真説・メディアの同時利用論~ 13. 広告主だって、そう簡単にテレビから離れられない
2009年06月19日 井上忠靖氏 (電通総研 コミュニケーション・ラボ チーフ・リサーチャー)、倉沢鉄也、、叶内朋則、紅瀬雄太
13. 広告主だって、そう簡単にテレビから離れられない
(大木)制作会社がテレビ局からすごく絞られてきたわけですが、その手前にキー局自身の中抜きもあり、また大手広告代理店に大幅に中抜きされている、それらの利益は制作会社に回されるべきだ、よいコンテンツを作るための適正な費用が制作会社に行くべきだ、中抜きは不当ではないのか、という議論が、広告主からは出ないのですか。この流通構造はこのままずっと続くのでしょうか。
(井上)広告主が仮に番組制作費にもっとお金を使ってくれと言いたい場合は、タイム枠の広告主から直に制作会社に制作費を補填するというやり方があります。番組制作費はテレビ局が広告収入から換算して固定額で決めますが、たとえば20時台のゴールデンだと3000万だとか、深夜のここだったら700万だとか、あらかじめ予算が決まっていることが普通です。それに対して、広告主として「あともう何百万積めばいいのができるのか、だったら払うよ」というやりとりが存在します。ただし、ないわけではない、という程度です。
テレビ局や代理店に対して配分比を修正しろという件については、これは広告主には見せていない部分で、収益性の肝の部分でもありますので、通常は広告主からは言えない性質のことです。広告主の関心は中抜きでどれくらい儲かっているかではなくて、広告効果が妥当に出現するのか、広告効果を引き出す面白い番組が作れているのか、にあります。たまにあるケースは、前任者が転任になり、後任で日本のことをまったく知らないマーケットディレクターがやって来たときに、利益率を全部開示しろ、実績ベースで商品が売れていないならテレビ広告を撤収しろ、という話が出て、広告主側で周りが諫める、ということがあります。
(倉沢)テレビ媒体枠もピンきりです。とにかく安く売って枠を埋めなければいけないという時間帯もあれば、広告主として広告効果をとやかく言うような時間帯は、キャンセル待ちの行列状態です。欲しい媒体枠がそこかしこに空いているわけではないのです。だから、売っている側が強気には出られませんが、値引き交渉はあったとしても、広告主が撤収を決めたところでほとんどの場合は「わかりました。次の方、どうぞ」となるだけです。
むしろテレビ広告を出さなくなったことによる売れ行きの損失が計り知れないということを広告主は感覚的にわかっているから、テレビ広告から撤退できない、という広告主側の弱みもあるのです。実際にそうしてみた大手広告主はいませんし、撤退してしまうといまお話しした「行列」の最後尾に並ぶか、より高値で買うと言うかのどちらかになってしまいます。
教科書的に言うと、数百万世帯のテレビ周辺にいる人を、たとえテレビに背を向けていても一瞬で振り向かせて、買う気のないものでも買いたくさせる映像と音声をぶつけることができて、しかもCPM(1世帯あたり到達コスト)が非常に安い、という媒体からおいそれと離れて同じマーケティングの成果を成り立たせることは難しい、ということです。
つまり、広告主も媒体側もお互い逃げられなくなっているという事情があります。その「おつきあい」の中の値引きですから、まさに景気次第で広告媒体の収益性は元に戻るとも言えますし、もし既存広告主が撤退して「次の方」が来ても事情はわかっていますから再び値引き交渉がはじまるだけで、構造的に広告収入が減っていく実態はありますが、それは別にテレビだけの問題でなくあらゆる広告媒体について言えることでしょう。
だいぶ前にも議論しましたが、広告効果を広告主が正確に計るのは自由ですが、取引条件として合意された広告効果の相対指標として視聴率が存在していれば十分だということなのです。
だからテレビ広告をいじめすぎると、広告主自身が本業で苦しくなるという部分もあります、というのは、もう電通でもレトロロジックですか。
(井上)レトロロジックではありますが、現在でも交渉ごとの落としどころは結構それに近いことだと思います。ネット上でバナーを何千本か買いました、これで3000GRP(延べ視聴率)に相当します、新商品で同じ数売りました、という壮大な社会実験をやるような勇気ある広告主はまだ出てきていないということです。
(倉沢)もともとテレビ広告を使わずに売上を持っていたところがネット販売促進を成功すると、テレビ広告なんかいらない、という言い方になりがちです。テレビ広告を支えてきた広告主の商品は、テレビ広告が決定的な購買の後押しになるような商品であった、ということを認識して、この議論をする必要があります。
楽天やアマゾンがテレビ広告費を食ったのではなくて、もともとテレビと関係なく買われていた商品の情報と店舗そのものがネット上で集約されて、計り知れない販売促進効果を生んだ、という整理をする必要があります。
(井上)本当はネット等の他媒体でやるべきものを、1990年代までは無理やりテレビでやっていた時代もあったので、その印象が強いのでしょう。たとえば金融関係のテレビCMで、テレビ画面に文字が大量にあって、ろくに読めないうちに15秒が終わるというものが多くあったと思いますが、ああいう無形の商品の詳細を説明する責任をまっとうする媒体は、インターネットや紙媒体であるべきでしょう。テレビとネットでは上位広告主の業界自体が大きく違うことからも、今後一層媒体の使い分け棲み分けが進んでいくことは間違いないです。
続きへ
このページの先頭に戻る
目次に戻る
関連リンク
- 1. テレビ視聴時間の減少が本質的な問題なのか?
2. テレビ視聴率という「通貨」の「信用危機」こそ重大問題
3. 「メディアバトルロイヤル」という現実と向き合う議論があまりにも少ない
4. 立ち位置先にありきの議論は、ビジネスの今後を見失う
5. 極限のコストカットと「面白さが命」の狭間に、コンテンツ二次利用の現実を見よ
6. 番組の質の低下?それは視聴者とビジネスの必然
7. 真剣に見ない、見せない、社会の雰囲気を浴びる、というビジネスの重さ
8. DVRのCM飛ばしは、正確な知識の上に、体験と切り離して議論すべし
9. インターネット広告をいかに見せるか、の工夫は続く
10. テレビを見ない女性、は依然マイノリティー。自己体験を消してデータを見よ
11. 不思議なメディアの国、ニッポン;欧米も個々に特殊。実情を踏まえて比較すべし
12. 制作費削減の煽りは、いずれローカル局問題へ
13. 広告主だって、そう簡単にテレビから離れられない
14. 見逃し視聴はユーザーが望むが、ビジネスにできるかが問題