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子ども向けの商品は「子どもの最善の利益」にかなっているか(第5回)

2012年06月05日 村上芽


・おせち料理を食べることの意味
 第5回の今回は、子ども向けの食品を取り上げてみたい。ここでは特に、おせち料理を入り口に、外食や中食における子ども向けメニューについて考察する。外食での子ども向けメニューと「子どもの利益」に関連して有名な出来事には、子どもの肥満への懸念による批判を受けた米国マクドナルドが、カロリーや脂肪分を減らした内容にセットメニューを衣替えしたという例がある。こうした事例は象徴的でかつ深刻だが、子ども向けメニューが抱える課題は、肥満防止にとどまらない。
 百貨店やホテル、専門店のおせち料理というと、毎年工夫を凝らしたセットが販売される。2011年末は家族で過ごす時間への注目が高まったこともあり、「予約が好調だ」という報道が目立った。そのようななかで、ある百貨店の担当者を取材した新聞記事には、「から揚げやハンバーグを入れたセットも用意した。子どもが喜ぶといって顧客にも好評である」という趣旨のことが述べられていた。これは衝撃的だった。「子どもが喜ぶから」という理由で、こうした商品を企画・販売する側、喜んで購入する側の、双方が実に短視眼的で、真剣に子どもの利益を考えていないと感じられたからである。
 このセットからは、おせち料理という伝統文化への尊敬や「大切にしよう」「次の世代に伝えよう」という姿勢が感じられない。伝統文化だからといって従順にそれを守ればよいということは決してなく、伝統こそ時代により洗練されてゆくものとの主張もあろう。しかし、あらゆる「子ども向け」メニューに登場しがちなから揚げとハンバーグを出して「おせち料理」という冠をかけるのは、まだ文化を学ぶ途上にある子どもに対する欺瞞とすら言えるのではないだろうか。
 親や祖父母は、いつものお皿ではなく重箱風の容器に入っていて、お正月に食べるものはすべてがおせち料理だと、子どもに教えるつもりなのだろうか。グローバル時代を生き抜く人材が必要だと声高に叫ばれるが、海外に出れば国内にいるよりも一層、自分の出身国(または出身地)の文化に対する理解と教養を求められる。自らの文化について、雄弁に語ることが出来なければ、将来、恥ずかしい、居心地の悪い思いをするのは子どもである。にもかかわらず、1年に1回しかないお正月という学びの機会を、おとなが子どもから奪ってしまっていることなりはしないか。

・お弁当を食べる場面でも
 デパート、高級スーパーなどでよく見かける仕出しや少し改まったタイプの弁当といった分野でも同様のことが言える。1,000円前後のいくつかのメニューを見比べてみたが、「お子様弁当」の中身は押しなべて「エビフライ」「ハンバーグ」「ミートボール」「シュウマイ」「から揚げ」「卵焼き」「コロッケ」「ソーセージ」「フライドポテト」「ポテトサラダ」「マカロニサラダ」「プチトマト」からの数品目となっている。やわらかくてカロリーや脂肪分の高くなりがちな内容で、栄養値としてはハンバーガーチェーンの子ども向けセットメニューと大差はない。バランスのよい食事の覚え方に「まごはやさしい」というものがあるが、肝心の孫世代には、「豆、ごま、わかめなど海藻類、野菜、魚、しいたけなどきのこ類、いも類」の豊富なメニューが用意されることはなかなかない。
 仕出しや高級弁当を食べるシーンとしては、おとなの都合で開催される冠婚葬祭や、運動会や音楽会などのイベントの前後が考えられ、子どもには喜んで(かつ、おとなしく)食事を済ませてほしいというニーズもあるだろう。それにしても、例えば仏事では精進料理を食べるという風習(最近では、仏事で選ばれるメニューでもお刺身付きが相当多いが)や、家庭料理では登場しにくいような種類の食材に、子どもはいつ触れることができるのだろうか。おとなになって初めて好きになる味というものは、誰にでもあるものだが、「小さい頃食べてみたがあまり好きになれなかった」という原経験なくして、突然味覚が成人化することはあるのだろうか。筆者に味覚の発達そのものに関する専門知識はないものの、上述のメニューからは、食べ手である子どもの経験や成長に対する配慮はほとんど感じられず、「人気があって、コストを抑えながら満腹感の大きいもの」が単純に選択されているような気がしてならない。

・お客の舌を育てる意識、子どもの舌を鍛える意識
 年間1,095食(3食×365日)のうち、ごくわずかな回数を占めるに過ぎない食事だけを取り上げて「子どもの最善の利益」について議論をするのは、大袈裟に過ぎるというお叱りを受けるかもしれない。冒頭に挙げた肥満を始めとする栄養の問題や、朝食の欠食や個食化の進行など、子どもの食生活を巡っては、いくつもの深刻な課題が山積している。
 それでもなお、おせち料理やお弁当、またレストランの子ども向けメニューに関連して「子ども向けの商品」としての存在意義や、それが子ども自身に与える影響を突き詰めて考えていくことを怠るべきではない。
 これは売り手の側から見れば、長期的なニーズの育て方、「どのような客を育て、我が店に来てもらおうとしているのか」という経営戦略につながっていく話でもある。例えば、子ども向けのセットメニューでも、おとなとまったく違うものを用意するのではなく、辛さのみを抑えて本場の味をさりげなく、かつ着実に紹介している小さなインド料理店がある。子どもは自分が「適当に扱われていない」ことに敏感だから、こうした店の「子ども用」は好きになる。逆に、新しいショッピングモールにある豪華な店構えのレストランでも、子どもと見るや自動的に、プラスチックのスプーン、フォークに持ち手つきのお皿を出すところでは、「僕、落とさないって約束できるから、大きいお皿がほしい」という反応が出る。果たして、この子の舌が記憶するのは、どちらのレストランの味になるのであろうか。
 子ども向けのメニューはあくまでもおとなに付随的なものだという割り切りもあろう。おとなのメニューがきちんとしていれば、子ども分は人数に応じて追加してもらえるもので、必要以上に付加価値を追求して、開発コストをかける必要はないという考え方ももちろんできる。
 ただ、これが短期的には理にかなっていたとしても、10年後、20年後も「おとな向け」に付加価値の高い商品を売るつもりであるのならば、10年後、20年後におとなになる現在の子どもの舌に、味と文化という経験をさせておく投資の意味は大きい。「今、求める人がいるから作る。売れればよい」という短期的な思考ではなく、「同時に、将来にわたって求めてくれる人を育てる」という長期的思考こそ、百貨店、ホテル、高級専門店などの企業としての持続可能な経営につながるのではないかとも思われる。
 同時に、おとなの客(親)の側にも、子どもメニューだからといって、その内容を軽視するな、と店側に伝える姿勢がこれまで以上に必要であろう。それが、子どもの舌を鍛えることになるのである。フランスの地方都市の菓子店を訪れる母親が、大量生産ではない菓子を求める理由として、「子どものうちからよい舌に育ってもらわないといけない」と話している様子を取り上げたテレビ番組を見たことがある。優れた作り手を目指すのなら、自分の舌を肥やさないといけないという話はよく聞くが、買い手側にも同じ発想があるわけだ。このような親が多いから、この地方都市では家族経営の菓子店を中心とした伝統菓子が切磋琢磨のうえに守られ、それが結果的に観光資源にもつながっている様子であった。
 「子どもがおやつばかり食べる」「野菜を食べない」「煮物を食べない」「魚を食べない」「骨や種のあるものは食べない」と嘆く前に、自分がそう仕向けていないかを省みる必要があるだろう。子どもを、いくつになってもハンバーグやから揚げばかり選ぶおとなに育てたいのか、健康や栄養、文化について経験に基づいて語ることのできるおとなに育てたいのか、選択肢には限りのない現在だからこそ、よく考えておきたい。

・子どもからの「もしもひとこと」:
 「売っているお弁当に、エビフライもハンバーグも両方入っているのはうれしいよ。でも、おとなのと子どものがなんで違うの? 辛子とか、関係があるの? もう赤ちゃんじゃないのにね。ママのに入っていた、ごぼう、おいしそうだったね。今度の遠足のお弁当には、れんこんを入れてね」


※執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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