オピニオン
聞くことの、その先へ 〜社員を野に放つフィールドワークの可能性〜 (後編)
2026年07月28日 井上岳一
企業の人とフィールドワークをするプロジェクトが続いていること、企業の人とフィールドに出て、市井の人の話を聞くことを繰り返す中で、聞くことには情報収集、自己の探求、関係づくりの3つの目的があることに気づいたというところまでを前編で述べた。
フィールドワークの3つの目的のうち、企業の人は、当然、情報収集をフィールドワークの一番の目的と考える。ただ、実際にフィールドでの実践を重ねるうちに、自己の探究や関係づくりの意義や効果があることにも気づき始める。気づき始めるが、それはあくまでも二義的なものと見做す。上司の求めるアウトプットは、あくまでもフィールドで収集した情報や知見にあるからだ。
企業の人達(大手企業ばかりである)とフィールドワークをしていると、大企業の社員も政治家と同じで、大文字の世界を生きているのだな、ということに気づかされる。銀河と星の喩えに即して言えば、銀河について語るのは得意だし、銀河系を幸福にしたいのだとも言うが、個々の星々に対する解像度は高くない。そんな企業人達にとって、フィールドワークは、銀河が無数の星々から成ることを実感し、一つひとつの星の視点から世界を捉え直す格好の機会となるはずだ。だが、なかなかそうはならない。上司の大文字の眼差しがそれを許さないからである。
この「上司の眼差し」問題は根深い。大文字の価値観・論理を生きる上司の認識を変えるのは容易ではないし、変えることを目指すべきでもない。既に相当の地位を得て、もうあと一歩で役員というようなポジションにいる今の中間管理職達の認識を変えようとするのは無理筋だからだ。そこを変えるより、未来を担う若い社員達に賭けたほうがいい。いきなり大文字の世界を変えるのでなく、市井の人の話を聞き、関わり続ける社員を増やすことを通じて、大文字の価値観・論理に染まらない人達をじわじわと増やし、未来に備えるのである。
フィールドワークはそのための手段と割り切る。それは情報収集をフィールドワークの第一の目的にせず、社員の自己の探究や関係づくりにこそ本義があると捉えようということだ。社員を野に放ち、細かな報告はさせず、仕事に支障のない範囲で、探究し、関わり続けることを許し、認め、むしろ積極的に称揚する。そうすれば、未知の人や事物と出会い、現地のリズムに身を浸す中で、新しい認識や関係を構築する社員が自然に増えてゆくだろう。そうやって小文字の社会に開かれ、関わり続ける社員を増やすことが、大文字の価値観・論理で凝り固まった企業の未来を救うことに、きっと役立つ。フィールドワークは、組織の未来を守り、手繰り寄せるための方法なのである。
情報収集よりも、自己を探究し、人との関係をつくることを目的に社員を野に放つ。そういう企業が増えれば、大文字の世界と小文字の世界が交差する。「ぼんやりと白い銀河」の中に「たくさんの小さな星」を見ることのできる視力・想像力を持つ人が増えれば、「世界がぜんたい幸福」になることと「個人の幸福」とが重なり始める。
政治も事業も一つ一つの星の声に耳を傾けるところから始まったはずだ。だが、活動が大きくなるにつれ、組織の論理や集団の力学、拡大への要請などが優先し、個々の星々の声に耳を傾け、それに応えることはどうしても二の次になってしまう。そういう状態になった政治や事業を、再び個々の星々の視点から捉え直す契機となるのが、情報収集よりも自己の探究や関係づくりを目的とするフィールドワークである。
このような情報収集を一義的な目的としないフィールドワークの持つ意義と可能性を更に押し広げてくれるのが、コンステレーションという概念・方法である。
コンステレーション(constellation)は、通常、「星座」と訳される。これをユング派の心理学では、人が物事や現象の中に意味を見出すための鍵概念として用いている。ユング派心理学の実践者である河合隼雄によれば、コンステレーションとは、関係の中に意味や物語を見出す心の中の深い動きのことを指す。因果論的なものの見方に対置するものの見方、心の使い方とも説明される(河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫、2013年)。
例えば、子どもが不登校になったとする。親は何とか学校に行かせようと、不登校の原因を探る。これが因果論的なものの見方であり、反応である。因果論的見方の根底には、因果関係を探り出せば、物事や事象をコントロールできるという考えがある。この時、「私」は、因果関係の外にいる。外にいるからこそ、コントロールできると考える。
これに対し、子どもの不登校という現象をコントロールしようとせず、それが持つ意味を読み解いていこうとするのがコンステレーションである。コンステレーションでは、「私」もまた不登校という現象の中にいる。要は、自らを子どもと同じ銀河の星の一つと見做し、他の星々との関係を読み解いてゆくのである。家、社会、子どものそれぞれはどんなコンステレーションを形成しているのか。星座を見つけるように、星々の関係を読んでいくと、次第に不登校という現象の意味が浮かび上がってくる。自分の心の中の深い部分が動き出し、全人的な関わりをしようという姿勢も生まれる。そうやって自らの関わり方が変化する中で、子どもの不登校という現象との向き合い方が変わり、あるいは現象自体が自然に解消されている。このように、自分自身をも含む関係の網目の中から意味や物語を見出すことを「コンステレートする」とユング派心理学では言う。
河合隼雄は心理療法家の役割は、当事者がコンステレートするのを手伝うことだというが、その時に最も重要なのは、ただ聞くこと。開かれた姿勢で、黙って聞くことであるという。助言も批判も解釈もせず、ただ黙って聞いていると、相手の心の中の深い部分が動き出し、その人自身も考えたことがなかったこと、心の中にしまっていたことが語られ始める。更にその先にも一緒に行くよ、という姿勢で聞いていると、次第にその人の心の奥底にあるコンステレーションが浮かび上がってくる。こうして、その人自身の物語が見出されてゆくのである。話を聞く側が見出すのでなく、あくまでも話している当人が、自ら見出すのがコンステレーションである。
つまり、私たちは、人の話を聞くことを通じて、その人がコンステレートするのを手伝うことができる、ということだ。そのつもりがこちらにはなくとも、ただ真摯に、開かれた姿勢で耳を傾けているだけで、話し手が自分の人生の意味や目的を自ら見出してゆくお手伝いができる。聞くことには、それだけの力があるのである。これは凄いことではなかろうか。
このように、フィールドワークは、聞くことを通して、話し手に、自分の人生を振り返り、それを受け入れ肯定し、人生の意味や寄る辺となる物語を編み直すきっかけを与えるものとなる。大文字の世界を生きる組織が、自らの未来を手繰り寄せるためにもフィールドワークが有用だと述べたが、同時にそれは小文字の世界を生きる人々にとっては、自分の人生を話すことを通じて、寄る辺となる人生の物語を見出す機会となるのである。
銀河はたくさんの小さな星から成る。中にはとても小さな星、暗い星もある。それら一つ一つの星が、自分のコンステレーション(星座)を見出すことができたら、「世界がぜんたい幸福」な状態に近づくと言えるのではないか。「世界がぜんたい幸福」になることを目指す企業や政治家は、だからこそ社員を野に放ち、市井の人々の話を聞かせよう。それは社員にとっても、市井の人にとっても、自らのコンステレーションを見出す契機となるはずだ。聞くことは、世界の可能性を開いてくれる。その先への道を開いてくれる。そういう意義と可能性を持つフィールドワークに取り組む企業や政治家が増えれば、と願う。
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※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。