オピニオン
【人的資本経営ステークホルダー調査 ―「対話」としての人的資本開示―(2024年度)】
第1回 調査の背景・概要
1.はじめに
近年、企業価値の源泉は有形資産から無形資産に移行しており、中でも人的資本に対する関心が高まっている。日本では、2021年6月に公表された改訂版「コーポレートガバナンス・コード」において人的資本の開示が求められ、また、2023年1月の「企業内容等の開示に関する内閣府令」(以下「内閣府令」)の改正により、有価証券報告書等において人的資本や多様性に関する開示が求められるようになったところである。
こうした法令・指針の考えに沿って、この数年、各企業は人的資本の情報開示への対応を進めてきた。内閣府令の改正によって、上場企業は2023年3月末日を決算期とする有価証券報告書以降、一律に人的資本の開示が求められ、本稿執筆時点において、すべての上場企業が有価証券報告書における開示に対応したことになる。その意味で、2023年3月末日決算期の企業が有価証券報告書を開示した2023年6月末からの1年間は、言わば「人的資本開示元年」であったと言えよう。
筆者は、こうした企業に対し、人的資本経営の実践から人的資本の開示に至るまで、さまざまな支援を行ってきた。人的資本の開示の観点で言えば、「どのような情報を」「どのような媒体で」で開示し、そのために「どのような準備を行うか」という一連のプロセスについて、多くの企業と議論し、検討する機会に恵まれた。この1年間の議論・検討を振り返って感じることは、「開示することの意義を考える時間もなく、指針・法令の要請に従って形式的に対応した企業が多かったのではないか」という点である。法令・指針の要請によって、日本全体として情報開示が進んだことは評価できる。しかしながら、義務感や強い負担感のある情報開示はIR・人事の実務活動の負荷になるのみで、得られる効果は少ない。むしろ、持続性を妨げ、一過性の対応になってしまうだろう。実際に、各企業からは「これらの多量な開示情報をステークホルダーはどのように見ているのか」「もう少し効果的な開示の方法はないのか」等の声が聞こえてくる。人的資本開示元年を経た今、今後はステークホルダーが真に求めている情報を吟味し、情報量よりも情報の質を重視した開示を行うべきであろう。人的資本の開示は、中長期的な企業価値向上を目的とした、ステークホルダーとの対話である。そのためには、各企業にとってのステークホルダーが必要としている情報を開示する必要があろう。
2.本調査の概要・意義
このような問題意識のもと、当社は、「日本総研 人的資本経営ステークホルダー調査」(以下「本調査」)と題し、大きく分けて3つの調査を行った。
調査1 投資家インタビュー
調査2 人的資本投資対効果現状調査
調査3 人的資本情報 認知・利活用状況調査
調査1の「投資家インタビュー」は、企業活動において代表的な対話の相手である投資家に対して、「どのような観点で人的資本情報を見ているのか」「どのような情報に着目しているか」等をインタビューしたものである。人的資本経営は「人材を『資本』として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」(※1)であり、企業価値向上を考える上で投資家の目線は欠かせない。この点、人的資本経営に関する企業活動の実態や企業の意向に関する調査は既に多数実施されているが、投資家の声を確認した調査は本稿執筆時点において必ずしも多くないと考える。今回は、投資家の代表である資産運用会社数社にインタビューを行う形で、人的資本情報について特に重視している内容やその背景を確認した。
調査2の「人的資本投資対効果現状調査」は、人的資本を財務的に可視化し、投資対効果を検証する取り組みを行っている企業がどの程度存在するのか、調査を行ったものである。前掲「人的資本可視化指針」においても、「企業経営者は、自社の人的資本の投資と関連する経営戦略・施策、そして財務指標や資本効率の向上につながる一連の相互関連性を分かりやすく示し、投資家の理解を得ていくことができれば、短期的な利益確保に対するプレッシャーを乗り越え、自社の人的資本への投資と長期的な企業価値向上の両立を目指していくことができる」 旨、示している。既に財務的な数値によって人的資本への投資と効果の相互関連性を示す取り組みを行っている企業はあるが、説得力をもって相互の関連性を述べることは相当な難しさがあろう。今回の調査は、今後、このような人的資本投資と効果との関連性を示そうとする企業が一定程度増えていくことを想定し、現時点において開示している企業がどの程度あるのか、日本企業の全体の現状を確認した。
調査3の「人的資本情報 認知・利活用状況調査」は、企業が対外発信する人的資本情報を、各種ステークホルダーがどのように認知・活用しているか、その実態を把握するためにアンケート形式で広く調査したものである。前掲調査1・調査2は、企業価値向上の観点から投資家から見た人的資本情報を主眼に置いたものであるが、人的資本の開示による対話の相手は、投資家だけではない。自社の社員、労働者全般、就職を検討する学生など、さまざまなステークホルダーが情報に接することになる。対話の相手が異なれば、対話の場面や対話内容も異なる。ゆえに、どのようなステークホルダーがどのような情報を欲しているのかを知ることは、今後の情報開示を考える上での参考となろう。
以降、3回に分けて、これら3つの調査についてその結果を紹介する。
(※1) 経済産業省「人的資本経営~人材の価値を最大限に引き出す~」
以上
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
関連リンク
人的資本経営ステークホルダー調査 ―「対話」としての人的資本開示―(2024年度)
・第1回 調査の背景・概要
・第2回 人的資本の投資対効果の開示に関する実態調査
・第3回 投資家インタビュー
・第4回 人的資本情報の認知・利活用動向に関する定量調査(前半)
・第5回 人的資本情報の認知・利活用動向に関する定量調査(後半)