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ふるきをたずねて、バイアスを壊す ~未来を洞察するヒント~

2020年01月31日 八幡晃久


世界は、「思ってもみなかったこと」であふれている

 今から、20年前の話である。西暦は2000年で、私は大学生であった。工学部の4回生として研究室に配属された私は、単位不足により、ピカピカした1回生に紛れて体育の授業でソフトボールにいそしんだ。当時の私の頭は、とにかく単位を集め、留年を避け、大学院に滑りこむ、という短期的なプランで占められていた。社会との接点は、学習塾でのアルバイト程度。就職活動もしておらず、当然、どんな会社に将来性があるのか、だとか、どのようなスキルや経験が将来的にも価値を持つのか、だとか、考える必要もなかった。
 翌2001年、何とか大学院に滑りこんだ私は、ソフトボールを卒業し、就職活動にいそしんだ。ゲームのルールは、ソフトボールよりもいささか複雑ではあったが、人生ではじめて、「将来の自分」を“リアルなものとして”考え、同時に、人生ではじめて、社会はどうなっていくのか、考えを巡らせたことを覚えている。特に「未来の仕事や働き方」について。とはいえ、しょせん社会経験も少ない大学生、考えついたことといえば、終身雇用は終わり、転職が普通になるであろうことぐらい。となれば、会社の中だけで通用する価値ではなく、市場の中で通じる価値を高められるような職業が望ましいと考え、コンサルティング職を希望した。
 同級生の大半は、学校推薦によりメーカーのエンジニア職として就職していった。折しも、シャープの亀山工場の建設が発表されたのが2002年、総合電機メーカーが花形の時代。当時の僕たちは、「日本を代表する企業が中国企業の傘下になる」とは全く思っていなかった。
・働き方改革がこんなに叫ばれるなんて
・人生100年時代”がこんなに叫ばれるなんて
・Youtuberが、子供のなりたい職業になるなんて
・データサイエンティストが新卒で1000万円プレイヤーになるなんて
・プログラミングが必修科目になるなんて
 仕事や働き方に関するものだけでも、シャープの例に限らず、2020年の社会は、2000年から見ると、思ってもみなかったことであふれていることに気付かされる。

 未来デザイン・ラボが提供する未来洞察では、①世の中には意外と思ってもみなかった(=想定外の)変化が多い、という前提認識に基づき、②10年、20年といった長い時間軸で物事を考える際には「想定外の変化」の可能性に目を向けることが重要であると考えている。具体的には、未来洞察のプロセスとして、③変化の兆しに目を向け、10年後、20年後のあり得る未来(=想定外の変化後の社会)を考え“スキャニング”(※1)というセッションを実施しているのだが、セッションの参加者から、「あり得る未来(=想定外の変化後の社会)を考えたり、うまく表現したりするのが難しい」、「どうすれば、うまく考えられるようになるのか」という意見を耳にすることがある。
 以前、「レトロニムと未来洞察」というコラム では、レトロニムをつくってみることが、固定概念(=バイアス)を外す練習になるという話を紹介した。
 今回は、「歴史を振り返ることが、バイアスを壊し、あり得る未来を考えるヒントになる」という話をしたい。

「主夫」や「イクメン」が当たり前の時代があった

 イクメンが流行語大賞のトップテンに入ったのが2010年。同じ年に、厚生労働省により、イクメンプロジェクトも始動した。イクメンという言葉の功罪はあれども、1997年以降、一貫して共働き世帯が専業主婦世帯を上回る中でも、家事・育児は相変わらず女性のものとされてきた従来の考え方に広く一石を投じた功績は認められるべきであろう。
 しかし、そもそも、家事・育児は女性がやるものであるという考え方は、どこからやってきたのだろうか?読者の中には、「子どもをあやしながら狩りに出た夫を洞穴の中で待つ女性たち」といった狩猟社会のシーンを想起する人もいるかもしれない。しかしながら、狩猟社会と工業社会の間に位置する農耕社会においては、男性も家事や育児を担う、「主夫」が当たり前の時代があったという。

 産業革命前、ヨーロッパやアメリカの典型的な世帯は、農家であった。そこでは、家庭生活と経済生活の両方が「家」を中心に営まれており、男性は、農作業に留まらず、家事や育児を女性と一緒に担っていた。
 当時の暮らしぶりを表した文章を下記に引用しよう(※2)

 ”女性が料理を作り、縫い物をしているとき、男性は家の近くに所有あるいは借りている農地を耕していた。薪割りもしていただろう。
(略)
家事はみごとなほど統合されていた。薪が無ければ料理はできない。女性が生まれたばかりの赤ん坊に付きっきりのとき、男性はゆりかごを作り、そこに敷くわらを集める。一家の仕事は数多く、男性と女性が協力してそれをこなしていた――機織り、牛の乳搾り、水運び。男性が家から離れて仕事をするようになったのは、十九世紀に工場が出現してからのことだ。だから、「家事労働(housework)」という言葉は、十九世紀まで存在しなかったのだろう。十九世紀までは労働といえば、家事のことであり、「夫」といえばほとんどが「主夫」だったのだ。
(略)
 産業革命前の男性の多くは、直接、子育てにかかわっていた。今日よりも家から遠く離れることがなかったからだ。”
 
 いかがだろうか?農作業や薪割りなど、負荷の高い作業が中心であったようではあるが、育児を含め、「家庭としての営みを維持するために必要なこと」の一部を確かに夫が担っていた様子がうかがえるだろう。

 家事や育児において夫が中心的な役割を担っていた歴史を持つのは、欧米だけではない。江戸時代の日本では、子供の教育は、主に父親が担っていたことが、太田素子(和光大学教授)および瀬地山角(東京大学教授)の寄稿文により指摘されている(※3)。寄稿文を引用すると、武士においては、”男子は武士の競争社会を生き抜き、女子は良家に嫁がせる(あるいは婿取り)ため”に父親が教育を担い、”花見などの行事や子どもの遊びに父親が関わるのもしごく普通のこと”であったという。また、農家でも、”美田を遺し、それを守る子どもを育てることが父親の役目だった”という。

 日本においても、欧米においても、父親が家事や育児において中心的役割を担っていた時代があった。では、どうしてそれらは「女性の労働」とみなされるようになってしまったのか?
 それは、「仕事が、家から父親を引きはがしてしまった」からである。

 産業革命前、ヨーロッパやアメリカの典型的な世帯は、農家であり、家事・育児以外の仕事といえば家の近くで営まれる「農作業」だった。
 江戸時代、武士の勤務時間は短く、3時間程度であったようだ。また、”陣屋という見張り小屋での宿直に、父親が日常的に子どもを連れて泊まった”という記録もあるという。おそらく職住近接が担保されるとともに、子供を職場に連れていくことのハードルも今より低かったのではないだろうか。
 産業革命前の欧米や、江戸時代の日本では、父親の仕事は家と非常に近しいものとして存在していた。しかしながら、産業革命により、ヨーロッパでは仕事場は家から離れた「工場」となり、その後「オフィス」となった。日本においても、明治以降、西洋にキャッチアップする形で「勤め人」が増えていった。結果、父親の仕事が家から引きはがされ、かつて混然一体としていた「仕事」と「家事・育児」は分離し、それぞれ父親と母親の役割として固定化されていったのである。

 では、産業革命によりもたらされた「家事・育児は女性がやるもの」という考え方は、今後、大きく変化する可能性はないのだろうか?もちろん、女性の社会進出、共働き世帯の増加等に伴い、これまでも、これからも、そのような固定化された考えは次第に薄まっていくであろう。しかし、決定的な要因を挙げるとすれば、「父親を、仕事からひきはがして、家庭に戻す」ことではないだろうか?つまり、産業革命によりもたらされた変化を、逆戻りさせるのである。すでにその兆候は幾つもある。

 働き方改革や健康経営に対する企業への要請の高まり、副業やテレワークの普及、出世や給料よりも自分の時間を大切にしたいという価値観の広がり、フィンランドで提案されている週休三日制や様々な社会実験が行われているベースインカム。これらの動きは、いずれも「父親を家庭に」戻し、結果、産業革命以前のように、家事や育児において夫が中心的な役割を担わざるを得なくさせるのではないだろうか。

 私たちは、産業革命以降、文明開化以降の社会しか知らない。その社会においては、「家事・育児は女性がやるもの」という考え方がかつての常識であった。しかしながら、少し歴史を紐解けば、それは、単なる「固定概念(=バイアス)」であったこと、「そうではないことが当たり前」の時代があったことに気付かされる。

 しばしば、経営者は歴史を好むといわれる。名経営者ほど、歴史を通じて、自身の固定概念を疑い、壊し続けることを意識していたのかもしれない。

(※1)未来デザイン・ラボでは、「想定外の変化」を捉えるための方法論として「スキャニング」という手法を導入している。スキャニングについては、コラム「未来の芽を掴み取る“スキャニング”」をご参照頂きたい。
(※2)「生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅」、ローマン・クルツナリック (著), 横山啓明(翻訳), 加賀山卓朗(翻訳)
(※3)PRESIDENT2015年1月12日号、江戸時代はなぜ「イクメンが普通」だったか、太田 素子, 和光大学教授、瀬地山 角, 東京大学教授

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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