オピニオン
社会課題を起点とした個人情報保護政策への期待 デジタル社会と個人の権利利益の保護に関する包括的な議論
2024年11月26日 若目田光生
2025年度の通常国会での成立を目指し、昨年11月より個人情報保護法のいわゆる3年ごと見直しの検討が開始されている。本年6月に公表された「中間整理」の内容を踏まえ、課徴金制度や団体による差止請求制度及び被害回復制度の議論が先行して行われている(※1)が、残念ながら制度導入の是非をめぐっての消費者団体と事業者団体の対立構造ばかりがクローズアップされている。個別論点の議論に偏りすぎている点はひとつの要因でもあり、本稿ではデジタル社会全体を俯瞰した個人データ政策の検討の在り方や、関連する日本総研の取り組みについて述べたい。
1.データ連携に関するわが国の課題
人口減少や少子高齢化がもたらす諸課題や激甚化する自然災害など、我が国が優先すべき社会課題へ対峙する為に、パーソナルデータの利活用が必要とされることについては衆目が一致するところであろう。そして多くの課題の解決に向けては、幅広いステークホルダー間でパーソナルデータ含むデータを共有、連携させ、さらにAIやビッグデータ分析により高度な知見を獲得することが不可欠となっている。課題先進国であるわが国は、言い換えれば多くのステークホルダー間のデータ連携先進国、データポータビリティ先進国でなければ立ち行かない。実際に国の政策や企業のDX戦略においても“データ連携”、“データ流通”、 “データ共有”といったキーワードが目につくことからもそのことがうかがえる。
しかしながら、筆者が「協創DXにおけるイノベーションとプライバシーの両立」でも指摘した通り、企業間の壁、分野間の壁、生活者と企業の壁などを乗り越えデータ連携が進んでいるかといえば答えはノーである。パーソナルデータの流通に関して言えば、第三者提供に関する本人同意取得の負荷や受容性のリスクから更に状況は厳しい。国際的な比較調査(※2)においてもデジタル後進国、データ活用後進国であることが露呈しているが、政府肝いりで始まった「情報銀行」の低迷や、能登半島地震の際に個人データ連携が十分に機能したとは言い難い事実からも、実態を謙虚に受け止めなくてはならない。
2.社会課題を起点とした包括的な議論への期待
前述の状況について、筆者は個人情報保護法が全ての原因であるかのような短絡的な考え方には賛同できない。しかし、目指すデジタル社会の実現に向けた共通の課題認識や、それを踏まえた個人情報保護政策の基本的事項についての共通の視座なくして、課徴金の是非、特定の技術に対する規制の是非など個々別々に問われれば、消費者を代表する団体と事業者を代表する団体がそれぞれの立場を主張するのは道理であろう。
他方、国家の根幹にも関わる社会的課題に対しデータ連携による価値創造が待ったなしのわが国、その道筋をつけることは全てのステークホルダー共通の目標であり、その目標達成に向けては立場に関わらず知恵を出し合い建設的な議論を行う責任がある。社会課題を起点とした包括的なアプローチは、現在の対立構造や近視眼的な議論を脱し、デジタル社会における個人の権利利益の保護と個人データの利活用に関する俯瞰的な規律のあり方を展望するシンプルな解決策ではないか。
このアプローチについては筆者も検討会などを通じ意見してきたところ、第304回個人情報保護委員会において「個人情報保護法のいわゆる3年ごと見直しの検討の充実に向けた視点」及び「今後の検討の進め方」が公表された。前者は現在の検討の枠組みに加えて個人情報保護政策の基本的な在り方を並行して検討することが明記され、後者はその進め方やスケジュールの説明に加え、デジタル社会の進展を前提とした新たなデータ利活用ニーズや、発生しうる新たなリスクに基づき法のアップデートを行うとしたフレームワークが示された。顕在化した個々の課題や海外との平仄を主な根拠として見直しの論点を示した中間整理に物足りなさを感じていた筆者としては、委員会が新たな検討のフレームワークを示した英断を歓迎している。特に基本的事項について整理がされることで、一般法としての個人情報保護法が全ての関係者にとって理解しやすいものとなり、課徴金、生体データ、こどもの個人情報といった個別論点の検討における関係者の検討の視座が一致することも期待できる。
3.全体を俯瞰した検討の推進に向けて
但し、新たな検討のフレームワークについては大きく二つの課題を感じている。一点目は、先行している課徴金制度等の議論や個別論点の議論と、この基本的事項の検討が並行して行われる点である。基礎的な事項はいずれも個別論点の検討や優先順位に大きな影響を及ぼすものであり、基礎的な整理無くして果たして適切な個別課題の整理や制度見直しが可能となるのかという懸念である。理想を言えば、個人情報保護法制の在り方や法の基本的事項が整理された後、それを踏まえて生体データやこどもの個人情報、第三者提供やAI活用、課徴金などのサンクションといった主要論点の議論がなされるべきではなかっただろうか。確かに直ちに対処すべき課題に対するスピードは問われるところ、基礎的な議論と個別の論点に対する制度見直しを並行することで、むしろ相互の不整合リスクや調整工数の増大、時間的ロスが発生するのではないか。
二点目は、社会課題に対峙し新たな価値を創造するデータ連携戦略、流通戦略の必要性であり、その検討の枠組みやアプローチ方法の確立である。これは個人情報保護委員会や個人情報保護法に閉じた問題ではなく、AI戦略やサイバーセキィリティ戦略などとも密に連携し、デジタル社会全体をスコープとした政府横断的な機能であり、関連政策、社会情勢、技術、個人の受容性、企業の製品・サービス動向などの調査やモニタリング結果などからエビデンスに裏付けされた戦略が求められる。それぞれの社会課題に対し必要なデータ連携対象やデータの具体(種類、形式、量、粒度、品質など)、関連技術、新たなリスクなどが整理され、個人情報保護委員会などへ能動的にインプットされることが望ましい姿ではないか。また、中長期的な視座も有し、生活者の価値観の変化、生活者とのコミュニケーションの在り方、社会のインセンティブ設計などもスコープに入れるべきであろう。今回の見直しにおいては関係団体や有識者ヒアリングに基づき中間整理が作成されたが、上流の課題から戦略を立案し各論点のエビデンスに加えるべきであったと思料する。
課題についても触れたが、今回個人情報保護委員会から示された新たな検討のフレームワークに基づき、デジタル社会を視座高く展望したうえで、個人情報保護法の基礎的なところから議論することは極めて重要である。惜しむらくは「いわゆる3年ごと見直し」という時限、すなわち2025年度の通常国会に法案を提出する事を前提としたスケジュールである。基礎的な検討を踏まえた整理、社会課題を起点としたデータ戦略とも重要であると同時に、各論点の検討の土台をなすものである。並行して検討を進め、必要に応じ各論の判断材料とするという方針とのことであるが、国民や事業者がこれだけ関心を有する課題でもあり、一時的ではなく継続的な検討の組織体制やフレームワークの整備も求められるところ、ある程度の時間を割いて骨太の議論をすることを選択してはどうだろうか。
また、データ連携戦略、流通戦略の必要性については、経団連において筆者が主査を務めるデータ戦略WGが中心となり作成した提言「データ利活用・連携による新たな価値創造に向けて― 日本型協創DXのリスタート ― 」や、自民党の「デジタル・ニッポン2024 」においても力強く提言されたてきたところ、この度デジタル行財政会議の枠組みの下で我が国のデータ利活用制度の在り方についての基本的な方針を策定することが表明された。大いに期待されるところではあるが、今回の個人情報保護法見直しの議論へも影響が大きく、二つの検討がいかにハーモナイズされるかについては注視したい。また、わが国のパーソナルデータに係るデータ流通、連携の課題は、単なるAs-Isの調査や、形式的ともいえる有識者会議を開催するだけでは解決するような単純なものではなく、先に述べた検討のスコープ、アプローチなどを多面的に行うことが望ましい。
4.関連する日本総研の取り組み
パーソナルデータの連携、流通戦略については多面的なアプローチが並行して実施されることが望ましいことを述べてきたが、最後にそれらに関連する日本総研の取り組みを紹介したい。
ひとつはプライバシーガバナンスに関する支援である。本稿では触れていないが個人情報保護法の3年ごと見直しに際し、事業者サイドが利活用に向け最も期待する論点は第三者提供の在り方である。生成AIのモデル策定、統計的なデータ分析の過程におけるデータ結合など、実質的に個人の権利利益の侵害が無い場合は第三者提供の同意によらず活用できるようにすべきという要望である。データ連携による社会価値創造に向けて最も重要な論点であるが、他方データの結合などを行う企業や行政機関のガバナンス、特にプライバシーガバナンスを前提とする考え方である。
現在日本総研では、技術、法制度、および消費者の受容性の3つの観点から、専門的知見や調査手法に基づき、プライバシーガバナンス態勢の構築やプライバシーリスクを伴う新技術やサービスの社会実装に関わるポリシーやルール策定を支援している。
さらに、プライバシーを守備的な要素としてだけではなく、自社の製品・サービスの品質と同様に競争力の源泉と捉えることは企業価値の向上に資する。日本総研は金融グループの一員として、金融の手法を通じたインセンティブなどで社会課題の解決に貢献してきた実績がある為、プライバシーガバナンスの巧拙が企業価値の評価指標に取り入れられることを目指した活動も視野に置いている。
二点目は「協創DXにおけるイノベーションとプライバシーの両立」でも紹介した、プライバシー問題をテーマとした武蔵野美術大学との共同研究である。トランジションデザインとスペキュラティヴ・デザインの手法を用いて、正解のないプライバシー問題に対し過去からの価値観の遷移をとらえ未来の姿を思索し、アート作品として社会に課題提起する取り組みである。子どもの権利とデジタルに関わる国際的議論も活性化しており、また3年ごと見直しにおいても「こどもの個人情報に関する新たな規制の在り方」が論点に上がっていることも受け、「こどもの未来とプライバシー」をテーマにトランジションデザインを活用したワークショップを開催し、単なる規制の是非の議論ではなく、こどもや家族の価値観の変遷などもステークホルダーで議論し、アート作品として社会へ課題提起していく予定である。
三点目はPETs(Privacy-enhancing technologies:プライバシー保護技術)に関する取り組みである。既に日本総研では先端技術ラボがPETsに関しグループ金融機関等とも連携し実装課題の研究も行っており、ユースケース創出や社会実装の促進を目指し、PETsに関するイベントへの協力や情報発信も積極的に行っている。3年ごと見直しにおいてもPETsの位置づけの整理が論点に掲げられ、データ連携を安全管理で支える技術としての期待も高まっており、本格的な社会実装に向けた課題の解決に向けて座組の提案なども行う予定である。
日本総研は以上のような取り組みを一例として、データ連携戦略、流通戦略の検討や推進、プライバシーガバナンスの普及やインセンティブ設計、デザインやアートの力を活用した消費者コミュニケーション施策などを通じ、今後もわが国が対峙する社会課題の解決に貢献していく所存である。
(※1) 有識者及び消費者団体、事業者団体から構成される「個人情報保護法のいわゆる3年ごと見直しに関する検討会」
(※2) IMD世界デジタル競争力ランキング2023(国際経営開発研究所(IMD))
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。