オピニオン
協創DXにおけるイノベーションとプライバシーの両立
2024年05月14日 若目田光生
データ連携が実現する日本型協創DX
経団連は2021年「。新成長戦略」において、DXを通じた新たな成長を掲げ、「生活者の価値実現に向けた企業横断の協創」、「徹底した規制改革とデジタル化・データの共有」等の推進を訴えた。加えて「Digital Transformation (DX)~価値の協創で未来をひらく~」において、わが国が目指すべきはデータの一極集中ではなく「日本型の協創DX」であり、あらゆるステークホルダーによるデータ連携が各分野において不可欠という点を強調した。また、広島AIプロセスでも掲げられた信頼性のあるAIの開発や、基盤モデル等AIの性能や品質の向上のためにも、データ連携に基づく大量かつ良質なデータは不可欠である。
国境を越えたデータ流通による協創は、わが国だけに止まらず、世界経済の成長やSDGsの達成にとっても重要な原動力であり、その推進を主導すべく安倍晋三元首相は2019年1月のダボス会議でDFFT(Data Free Flow with Trust:信頼性のある自由なデータ流通)を提唱した。その後のデジタル・技術大臣会合で「DFFTの具体化のための国際枠組み」としてIAP(Institutional Arrangement for Partnership)をOECDに設置することが合意され、その中心を担う「DFFT専門家コミュニティ」の第一回会合が2024年4月に開催されたところである。
データ連携の課題
データが連携する価値は、おしなべて誰しもが容易に理解できるといえよう。ただ、それが理由で、サプライチェーンなど企業間データ連携、スマートシティなど行政と民間データ連携、研究開発における産学データ連携、情報銀行など個人を中心としたデータ連携など、様々な計画や構想がデータ連携ありきで語られ、データ連携基盤という魔法の箱さえあればそれが容易に実現するかのような資料を見かけることも多い。しかし現実には、2023年に経団連が実施した会員企業を対象としたアンケート(※1)に示されているように、分野を跨いでデータ連携を行っている企業は17%にとどまる。個社におけるデータ活用だけで言えば。すぐに名前が思い浮かぶ企業はあるが、データ連携により新事業領域を創出した、あるいは業界再編を牽引したという事例はなかなか浮かんでこない。この事実を謙虚に受け止めるべきであろう。
パーソナルデータの流通に関して言えば、第三者提供に関する本人同意取得の負荷や受容性のリスクから更に状況は厳しい。加えて、業界を代表する企業による不適切な利用や安全管理措置の不備から起因した漏洩事案などは、生活者の懸念や不満をより根強いものにしてしまっている。また、AIやセンシングデバイスの進化により、企業側が法を犯しているとは言い切れないが、利用者本人が気付かない、本人が望まない、本人が想定し得ないパーソナルデータ活用が可能となっていることも国民の不安要因であろう。
また、パーソナルデータの流通や活用において知っておくべき課題がある。生活者がプライバシーを重視するとしながらも、自身の実際の行動や判断基準が伴わないというギャップ、すなわちプライバシーパラドックスである。自身のプライバシーが脅かされることに不安を感じていながらも、SNSで自身の行動や情報を安易に発信してしまうというといったリスクの高い行動を続けること、もしくはリスクに対し自ら対策を講じないことなどもプライバシーパラドックスといえよう。情報銀行の認定を受けていた事業者が次々とサービスを終了していることが話題となっているが、ビジネスとして成立しにくくなった背景にプライバシーパラドックスが少なからず起因しているものと筆者は考えている。
協創DXとプライバシーのトレードオフ
先に述べたように、協創DXを通じた新たな成長を目指すに当たり、ステークホルダーによるデータ連携が進めば進むほど、またパーソナルデータの活用する技術が進化すればするほど、プライバシーリスクは拡大し、生活者とのギャップは拡大する。すなわちデータ連携とデータからの価値創造を基本とする協創DXの推進は生活者のプライバシーとトレードオフの関係に見える。
もちろん今までもこのトレードオフを解消し、両立を目指した様々な取り組みが行われてきた。制度的なアプローチとしては官民データ活用推進基本法の制定、個人情報保護法における匿名加工情報や仮名加工情報制度の導入、GDPRにおけるデータポータビリティの権利、情報銀行と情報銀行認定制度の導入、銀行法改正によるオープンAPIの導入などがある。技術的なアプローチとしては、電子署名やeシールなどのトラストサービス、データ自体とデータのやり取りを検証できる次世代の技術であるTrusted Web、そして今最も注目されている技術がPETs(Privacy-enhancing technologies:プライバシー保護技術)であろう。筆者が「データ流通無きデータエコノミーを目指して~我が国のデータ流通の課題と秘密計算への期待~」(2022年10月)で意見を述べた後も、連合学習や合成データなどPETs関連技術において具体的事例が登場してきている。また、冒頭述べたOECDのDFFT専門家コミュニティにおいて、DFFTの“T”を担保する技術としてPETsのグローバル実装に向けたガイドラインやサンドボックスについての議論が開始されてもいる。
また筆者が「プライバシーガバナンスとAI時代における企業価値」(2023年05月)にて紹介した企業のプライバシーガバナンスの取組についても、組織的なアプローチとしてトレードオフ解消に有効である。ポリシー策定や専門組織の設置、責任者の指名など主体的取り組みを開始した企業が増えてきたが、受容性の拡大や生活者理解の為に必要があれば自らルールメーキングを主導するなど、更なる拡大が期待される。
プライバシー問題に対するデザインアプローチ
最後にプライバシー問題に対するデザインやアートを活用したアプローチを紹介したい。武蔵野美術大学と日本総研は社会デザイン推進に向けた戦略パートナーとして協業しており、その共同研究として取り組んだ「プライバシーをテーマとしたトランジションデザインの研究」の事例がある。プライバシー問題を具体的なテーマと設定し、技術と人の自律協生(コンヴィヴィアリティ)に向けた手法を確立することで、当社が掲げる「自律協生社会の実現」に向けた取り組みの具現化を目指した研究である。
トランジションデザインとは、明確な答えがない「厄介な問題」に対し、現在を「過渡期」だとする前提のもと、長期的な「望ましい未来」を描き、それに向けた社会や価値観の変遷をデザインするアプローチである。「厄介な問題」とは地球環境問題、貧困問題などに代表される、正解が無く、解き方も不明、何をもって解決したかの判断もできない、トレードオフの問題がありコンセンサスが得にくい問題のことを示す。まさにプライバシー問題はデジタル社会における「厄介な問題」の象徴である。武蔵野美術大学のトランジションデザインのアプローチは、理解を促す表現方法としてスペキュラティヴ・デザイン(※2)の手法を用い、トランジションの象徴を制作・表現し、課題への関心を具体的に対話できるようアートの力を活かしたことが特徴である。
昨年共同研究で開催したワークショップは、武蔵野美術大学のデザイン、アートを学ぶ学生と企業関係者でチームを作り、それぞれ「プライバシーの未来と□□」について「家族」「恋愛」「恥」などのテーマを□□に設定し、プライバシーと□□について過去から未来の価値観の遷移(Transition)をとらえ、そこから未来の姿を思索した。アート作品の制作後の成果報告には憲法、哲学、技術などの専門家も招へいしたが、それぞれの専門領域におけるプライバシーの論点に対しオルタナティブな世界の可能性が示唆されたといった講評を得た。アート作品を通じ各領域の専門家を触発できたということは、プライバシーパラドックスにおける生活者の価値観と行動のギャップ、技術や法制度だけでは解決できないプライバシー問題に対しての有効なアプローチであったと確信している。
まとめ
日本総研内では先端技術ラボがPETsに関しグループ金融機関等とも連携し実装課題の研究も行っている。また、ユースケース創出や社会実装の促進を目指し、PETsに関するイベントへの協力(※3)や情報発信(※4)も積極的に行っている。
そして、武蔵野美術大学との共同研究によりプライバシー問題に対する有効性を確認したトランジションデザインのアプローチについては、事業領域や社会課題などから□□に該当する社会課題を設定し「プライバシーの未来と□□」というワークショップを継続開催予定である。例えば少子高齢化は我が国が優先すべき社会課題であると同時にパーソナルデータの活用なくして対峙することはできない「厄介な問題」である。例えば「こども」や「認知症」といったワードを□□にあてはめたワークショップを通じ、高齢化社会におけるプライバシーの望ましい未来について問題提起してはどうだろう。それらの成果は、また機会を改めて紹介していくことにしたい。
(※1) データ利活用・連携による新たな価値創造に向けて― 日本型協創DXのリスタート ―
(※2) スペキュラティヴ・デザインはRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)の教授であるアンソニー・ダンが提唱した「未来について考えるきっかけを提供する」デザイン手法である。
(※3) 一般社団法人データ社会推進協議会が主催するセミナー「プライバシー保護技術が実現する安心・安全なデータ連携 へ協力(2024年3月)。
(※4) 先端技術リサーチ「プライバシー保護合成データの概説と動向」(2023年06月)
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。