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【人的資本経営】
【第3回】 人的資本経営概論 ~As is - To beギャップの定量把握~

2022年09月21日 下野雄介宮下太陽、二宮拓太


1.はじめに
 「シリーズ:人的資本経営」は、人的資本経営の基本的考え方を示し、その実践に向けて企業が取り組むべきポイントを体系的に提言する連載である。連載は、経済産業省が2020年9月に公表した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書〜人材版伊藤レポート〜」(以下『人材版伊藤レポート』)において、「人的資本経営のあるべき人材戦略を特徴づけるもの」として掲げられている3P・5Fモデルに沿って、解説を進めている。
 第2回目の「経営戦略と人材戦略の連動」の次のステップとなる「As is - To beギャップの定量把握」について、今回解説する。

2.「As is - To beギャップの定量把握」とは何か?
 『人材版伊藤レポート』では人材アジェンダ(※1)の「As is - To beギャップの定量把握」の意義と概要について、自社の経営戦略上重要となる人材アジェンダごとにKPI(※2)を設定し、現在の姿(As is)とあるべき姿(To be)のギャップを定量的に把握することで、PDCAサイクル(Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)の仮説・検証型プロセス)を回し、人材戦略を不断に見直していくことが必要である、と触れている。それは「経営戦略を実現する為の人材戦略の有効性を検証するKPIの設定とモニタリング」を指していると言える。
 理解を進めるべく、具体的な例を紹介しておきたい。図表1はあるITベンダーにおける、経営戦略からAs is - To beギャップの定量化までの一連の流れを示したものである。新中期経営計画において、経営戦略では、新領域・新市場に対して、新しいソリューションにより挑戦することを掲げている。この経営戦略に基づき人材アジェンダでは、新市場・新ソリューションに挑戦する為の人材像と要員数を、将来的な組織や職務分掌も踏まえ定義している。
 「As is - To beギャップの定量把握」ではこの人材アジェンダを受け、「定量的に把握可能なKPIを設定し現状を測定し目標を設定する」ことになる。このケースでは、人材の質を人事制度上の等級・職種による職務定義や役割定義で表現し、量を人数で表現することでKPI化しているのである。平たく言えば、経営戦略に基づく長期要員計画の策定がAs is - To beギャップの定量把握となっているケースである。



 図表1の例では、要員の質・量を人事制度に当てはめAs is - To beギャップを定量把握しているが、特定の経営課題にフォーカスしたKPIを設定し、As is - To beギャップを定量把握するということも当然考え得る。例えば、従業員エンゲージメント、研修時間、離職率や定着率、女性管理職比率といったKPIである。現在、内閣官房非財務情報可視化研究会にて、「人的資本可視化指針(案)」が検討されているが、この資料の中においてもさまざまなKPIが参考事例として掲載されているので、こういったKPIから検討を開始することも取りかかりやすいのではないだろうか。
 いずれにせよ、As is - To beギャップの定量把握とは、人材戦略を定め、また人材戦略をモニタリングするため、「経営戦略に必要な人的資本のあるべき姿と今の姿をKPIにより表現すること」であるとおわかりいただけるだろう。

3.As is - To beギャップの定量把握 ~実践のポイント
 以降、As is - To beギャップの定量把握を進める上で、昨今よく聞かれる実務上でのネックとその対応について解説していく。
 一つ目のネックは、経営戦略に基づき、As is - To beギャップの定量把握が可能なKPIを設定しようとする際、「KPIを設定するのに必要な情報がない」という問題である。
  近年HRテックの隆盛により人的資本情報の蓄積が進みつつあるとはいえ、いまだ「自社の人的資本情報データベースには社員の基本情報と報酬情報のみしか存在しない」という企業は珍しくない。給与・賞与・社会保険等の計算に必要な情報のみ給与計算システム内に保持され、それ以外の情報は紙やExcelのようなスプレッドシートの形で属人的かつバラバラに管理されている。このような状態の下で、例えば「ハラスメントリスクの高い層におけるコンプライアンス研修の受講割合」というKPIを設定したケースを考えてみよう。一部の従業員の基本情報と報酬情報のみが人的資本情報データベースに保持されている状態で、このKPIを算出しようとした場合、以下のような困難に即座に直面する。
・ハラスメントリスクの高い層を特定するデータが存在しない、または所在の探索に相当の時間を要する
・特定された属性別の研修受講履歴データを持っていないので現状(As is)がわからない
・諸々のデータが仮に存在したとしても、データ化されておらず入力から実施しなければならない
 この難しさに対する対応として、『人材版伊藤レポート』の続編となる「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~ (案)」(以下、『人材版伊藤レポート2.0』)では、「人的資本情報データベースを整備しようとする際には、自社が重視するKPIや対象とする人材の範囲を限定しスモールスタートとすべきである」としている。「さまざまな分析が可能となるよう、最初から包括的な人事情報システムの整備に着手しようとすると、時間ばかりかかり、うまくいかない可能性が高い」とも述べている。具体的には、「経営戦略に沿って設定された、あるべきKPI」を、「測定可能かどうか」という視点で評価することがまず必要である。その上で、「経営戦略上重要だが、現状では測定が難しいKPI」を対象に、人的資本情報データベースの整備、つまりHRシステムへの投資とKPIの重要性を天秤にかけた上で、KPIに優先順位をつけて取り組んでいくべき、と解釈できる。
 とかくKPIというものは一見容易に算出できると考えられがちであるが、実際には相応の労力を要するケースも少なくない。設定側の経営陣と算出側の人事部門の間の認識ギャップが存在することも難しさの一因であろう。したがって、経営戦略に沿ったあるべきKPIの実現可能性評価(図表2)を通じ、HRシステムへの投資判断とともにKPIの優先順位を定めていく、というプロセスを踏む事が重要であろう。



 二つ目のネックは、「形骸化する懸念のあるKPIが設定される」ということである。人的資本経営では、人材アジェンダに即して設定されたKPIに基づき「As is - To beギャップの定量把握」を行った上で、「仮説検証的に」人材育成、人材調達、人材配置や各種制度の整備運用まで多岐に亘る人材戦略を立案し、実行し、振り返り、改善する、いわゆるPDCAサイクルを回すことが求められている。この人材戦略のPDCAサイクルについて少し具体例を挙げてみる。ある会社が「30代女性の離職率を15%から10%に低下させる」というKPIを設定したとする。まず人材戦略を立案する上で女性の離職率に繋がると言われる要因指標を、学術的背景等も踏まえつつ明確にした上で、自社において重要と考えられる要因指標を、実態調査等を活用しつつ特定するとともに、この要因指標の改善に有効な施策を立案する。(※3)(P:Plan(計画))このように立案された人事施策を実施し(D:Do(実行))、その後、「30代女性の離職率」というKPIと「離職要因の分析指標」という要因指標を、アンケート調査等に基づき、その改善状況を確認し(C:Check(測定・評価))、離職率というKPI自体の改善状況、要因指標の改善状況と施策の有効性検証を行うことで改善策(A:Action(改善))を検討することになる。つまり一連のPDCAサイクルには「仮説検証型」かつ「科学的な態度」で臨む必要がある。勘による施策立案ではKPIの改善につながらないケースも多く、仮につながったとしても再現性に乏しいものとなることは間違いない。
 一方で、人的資本経営において求められるPDCAサイクルを実践しようとすると、上述した通り、仮説設定に相応の時間をかける必要があり、checkのためには人事・人材管理情報システムのみにとどまらない、さまざまな情報を適宜収集する必要があるなど、相当の労力を要する。つまり、人事部門に対して、これまで経験したことのない負荷が常にかかるのである。この問題を解決しないままに、最初は無理に行ったとしても、その労力を確保するだけの十分な人員がいない等、持続的に実施することが困難になってしまう。最初はあるべき論で設定したKPIも、途中から取るだけのKPIになり、取った後の対応も「できることに終始する」ことにより本質的解決に繋がらないといった形で形骸化に陥ることになるのだ。
 この問題の対応策としては、HRトランスフォーメーションが最適と言える。HRトランスフォーメーションとは、人事機能が、オペレーションのプロフェッショナルから戦略人事に転換することを指している。本稿でもその一端に触れた通り、戦略人事への転換は困難を伴うが、上述したHRシステムの導入はこれを推し進める契機となることは間違いない。2019年以降、ビッグデータやクラウド、IoTやAIなどの先端的なテクノロジーを取り入れ、人事・人材管理システムは急速に進化した。既存のオペレーションの徹底的な効率化と必要な人的資本情報の保持の2点から戦略人事への転換を大きく支えるポイントとなりつつある。また人事・人材管理システムの隆盛により、ライトに利用可能なシステムから、自社における追加開発を前提としたシステムまでその選択肢も非常に幅広くなっている点も見逃せない変化である。

 このように、As is - To beギャップの定量把握を適切に推し進める上では、以下の3点が重要であると考える。
①重要なKPIに限定し、スモールスタートで進めること
②人的資本情報の収集・入力や加工(できれば分析)はHRシステムで行うこと
③オペレーションの効率化まで含めたHRシステムへの投資戦略を検討すること
 少なくとも、戦略人事の実践に当たっては、人的資本情報の収集・入力や加工(できれば分析)に多大な労力を割く事はどう考えても非現実的であり、持続性に欠けると考える。

(※1) 経営陣と取締役会での人材に関する議題。具体的には、経営戦略に必要な人材の質と量に代表される、人的資本に関する課題を指す。
(※2) Key Performance Indicator。重要業績評価指標。
(※3) 要因と施策について例示すると、勤務形態がとりわけ問題視されているのであれば「多様な勤務制度の導入と公平に利用可能な環境整備・推進」等が考えられる。業務上の自律性・責任・権限の狭さ等が問題になっているのであれば、「要員配置やキャリアパスの見直し、自律的キャリアの形成支援」等の施策が考えられる。
以上

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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