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いま、求められる「環境経営力」 第1部 環境経営の変遷と今後の課題

出典:週刊東洋経済  2004年11月27日号

流れは「生産」から「製品」へ

企業の環境保全対策の焦点は、時代の変化とともに変遷を遂げている。当初は古典的な「環境リスク」の予防的回避に焦点が置かれていたといえよう。古典的な「環境リスク」とは人為活動によって生じた環境の汚染や変化(環境負荷)が、環境の経路を通じて、ある条件のもとで人の健康や生態系に影響を及ぼす可能性、またはそうして引き起こされた環境汚染によって被害補償を求められる可能性を指す。米国のラブキャナルにおける土壌汚染(1978年)、インドのボパールにおける化学工場の爆発(1984年)、アラスカ湾におけるタンカー(バルディーズ号)の座礁(1989年)などの大きな環境事故がこうした関心を高めた。 90年代に入ると、地球の人間に対する許容量や持続可能性への関心が高まり、企業の環境保全対策の焦点は、企業の生産活動における総物資、エネルギー、水、化学物質の使用を適切に管理、削減し、いかに生産プロセスの環境負荷を低減させるかというところに移行してきた。狭義の「エコ・エフィシエンシー(環境効率)」や「ゼロエミッション」というキーワードは、こうした時代を象徴している。そして、いま、環境保全対策の焦点は「生産」から「製品」に移っている。電気製品や自動車に代表されるように、いかにクリーンな工場で生産したとしても、その製品が使用される段階や廃棄される段階での環境負荷は、製品の大型化や部品・素材の化学物質使用によって、逆に拡大してしまうことはいくらでもありうる。一部の発展途上国における消費爆発が現実のものとなっていることも相まって、キーワードは「製品アセスメント」「LCA(ライフ・サイクル・アセスメント)」「環境適合設計」「拡大生産者責任」に変化している。

マーケットから支持される環境経営の実現

3つの事例を紹介しよう。いま社会的責任投資の関係者から「炭素制約経済(Carbon Constraint Economy)」や「カーボン・リスク」という言葉を耳にするが、ここでは、生産プロセスにおける温暖化ガス排出対策(たとえば工場における投入エネルギー原単位)の巧拙ばかりでなく、企業の脱炭素化への事業再編の取り組み、製品の省エネ特性などの評価が重視されている。今年9月末、PETボトル容器入りビール新商品の発売見合わせが話題となった。気体透過性、光線透過性の観点で画期的な技術革新に成功したメーカーがPETボトル容器入りビールの発売を計画したが、自治体が処理を行うPETボトルのリサイクル問題を一層深刻化させ、すでにあるリターナブルビンの流通システムに影響を与えると、消費者や環境保護団体から指摘を受けた。発売見合わせはメーカーの英断として評価されるが、これも企業の「拡大生産者責任」が問われた典型例である。 2002年2月、SVTC(シリコンバレーの環境保護団体)とBAN(バーゼル・アクション・ネットワーク)が『危害の輸出/アジアのハイテク廃棄物』(Exporting Harm/The High-Tech Transhing of Asia)と題する報告書を発行した。この報告書では、米国内で回収された電子廃棄物の50~80%が、リサイクル業者やブローカーを通じて中国、インド、パキスタンといった開発途上国へ輸送され投棄されていると述べられている。 中国のある村では、有価金属を回収するために、鉛が含まれる電子部品が素手で解体され、ふたのない大桶に入った酸の中から部品に使われた金が回収され、取り出されたワイヤーは野焼きされて、発ガン性物質を含んだ煙が村に充満している実態が告発されている。従来の感覚であれば、「有価物として買い取られ、解体される製品の責任まで、当初の製品メーカーが責任を取られなければならないのか」と疑問の声も出ようが、米国のあるメーカーは世論の圧力からすでに対策に乗り出している。これらの事例に共通しているのは、環境負荷をもはや「企業の外部コスト」として扱うことが決定的に不可能になっていることを示している。「環境リスク」の予防的回避も「生産プロセスの環境負荷の低減」も「環境コストの企業への内部化」に他ならないが、その範囲が工場などの「手の届く」範囲から、ユーザーやサプライヤー、廃棄物事業者などの「必ずしも制御が容易でない」範囲に一気に拡大している点が重要である。こうした流れが、地球環境問題の深刻化に伴って不可逆なものであるとすれば、企業に残された選択肢は、このような「従来はタダと考えてきた環境コスト」の自社への内部化圧力を回避できるビジネスモデルを構築するか、新たなコストを吸収できるだけの、製品の環境側面からの高付加価値化を図るしかないということになる。「環境経営」という用語の定義も、こうした脈絡からいえば、「卓越した環境配慮を自社のビジネスで実現し、マーケットからの圧倒的な支持を獲得して、競合他社に対して優位性の構築を目指す」ということになろう。特に「環境配慮」ということよりも、「マーケットからの支持」や「優位性構築」ということのほうがクローズアップされる。

CSR経営と企業競争力の強化

こうした考え方は、昨今のCSR経営という考え方とも、同義であると考えられる。CSR経営の背景要因としては、NGOなど企業に対しプレッシャーを与える利害関係者のプレゼンス増大が挙げられることが多いが、それも本質的には「社会的課題解決コストの企業への内部化」ということであって、本来政府が担ってきたそうしたコスト負担を、企業にも迫るものであるといえる。もちろん、企業に対するプレッシャーには過度な期待も多分に含まれるのだが、それでも、「法令順守、企業倫理、顧客満足向上、環境対策、人材育成の強化、地域貢献といった取り組みを統合して、企業競争力を獲得していこう」「企業を取り巻く利害関係者からの監視や期待に敏感であり、それに的確に対応していくことで、企業競争力を獲得していこう」という経営判断が企業の側から出始めていることは興味深い。

環境立国を目指して

2000年12月に、経済同友会は「21世紀宣言」を発表し、「われわれは、市場機能のさらなる強化とともに、市場そのものを『経済性』のみならず『社会性』『人間性』を含めて評価する市場へと進化させるよう、企業として努力する必要がある。市場は、価格形成機能を媒介として資源配分を効率的に進めるメカニズムを備えているが、社会の変化に伴い市場参加者が『経済性』に加えて『社会性』『人間性』を重視する価値観を体現するようになれば、それを反映して市場の機能もより磨きのかかったものとなるダイナミズムを内包している。いわば市場は社会の変化と表裏一体となって進化するものである」と述べている。「環境経営」とは、「卓越した環境配慮を自社のビジネスで実現し、マーケットからの圧倒的な支持を獲得して、競合他社に対して優位性の構築を目指す」ことだと先に述べたが、この経済同友会の「21世紀宣言」は、そのためには環境配慮が的確に評価されるマーケットを作っていくことが重要であり、企業も自ら進んでそうした動きをリードすることが肝要であることを示している。一方、産業界には依然として「環境コストの企業への内部化」への抵抗感もある。「環境をアピールしても結局は買ってもらえない」「国際的なコスト競争が一層深刻化するなかで、環境保全対策は企業の足かせになる」という感覚がそれである。しかし、環境負荷をもはや「企業の外部コスト」として扱うことは決定的に不可能になっているという現実を直視すべきではないか。こうした潮流は不可逆であるという認識に立脚すれば、「卓越した環境配慮を自社のビジネスで実現し、マーケットからの圧倒的な支持を獲得して、競合他社に対して優位性の構築を目指す」方向を選択するしかない。そもそも「環境立国」を目指すというのは、こうした「環境経営」の成功例を数多く生み出し、企業の「環境経営力」とでもいうべきものを国の競争力としていくことではないだろうか。

 

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