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論点 市場での支持、獲得する道

出典:読売新聞 2004年6月17日号

企業の社会的責任徹底

ひとつの不正行為や短視眼に過ぎる意思決定が、結果として何千、何万人という社員の人生を脅かしてしまうことになる事件が続いている。企業はどう変わればよいのだろうか。
「商品の購入」についてのある世論調査で、「品質・価格・好みを優先して購入を決める」と回答した人が三割だったのに対し、「社会的責任を果たし、倫理観を徹底させている企業のものを優先的に購入する」と回答した人が六割にのぼった。旧来の経済学が教えていた消費者像は、いまや少数派だ。
だが、企業側は、こうした市場の変化に対応できていない。「業界の慣行だから」「他社もやっている」という感覚が、社会の視線と企業行動のかい離を決定的にした。
海外でも事情は似ている。米国でも、企業不祥事からいくつもの企業が破綻した。これに対する米国流の処方せんは明快だ。不祥事に対しては、監視、けん制機能を徹底的に高めることで対処できるとするものだ。
米国で「会社は誰のものか」と尋ねると「株主のもの」という答えが最も多く返ってくる。「社長でさえ、株主の雇われ人に過ぎない」と考えられている。株主の利益を損なわないよう、雇われ人を徹底的に監視、けん制するという発想が生まれる。
「なぜ、夏休みがそんなに長いのか」と米国系企業の会社員に尋ねたところ「そのあいだに会社が不正はないか調査するのだよ」という答えを聞いたことがあるが、これは冗談だとは言い切れない。「取締役」は、米国流にいえば、株主の代理として、まさに社内を取り締まる存在なのである。
翻って、日本で「会社は誰のものか」という問いを発したとしよう。回答は「社員のもの」が最も多くなるのではないだろうか。少なくとも、これまでは「取締役」も「監査役」も出世競争の先にある「重役」の地位と見なされてきた。結果、企業には身内意識が強く形成されてしまう。
それは、組織の集団的利益のために、時に「社長の命令を無視する役員や社員がいる」状況すら生む。身内意識を優先する社内の雰囲気に社長ですら孤立を恐れて不正を黙認してしまうことになる。
しかし他方で「会社は社員のもの」という意識がチームワークの良さといった日本企業の強さを作ってきたことも否定できない。米国流の「性悪説マネジメント」がそうした良さを失わせるとの懸念もある。社内倫理規定や内部通報窓口を整備した企業さえも「これで果たして不祥事はなくなるのか」と不安や迷いを口にするのは、このジレンマがあるからといえるだろう。
米国流処方せんはなじまないと判断するならば、日本企業は、より高いハードルに挑戦しなければならない。だからこそ、CSR(コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティー)の考え方を社内に徹底して浸透させることが必要なのだ。CSRとは、法令順守はもとより、情報開示や環境保全など、社会的責任を果たすことを利潤追求とともに重視していくことが、市場からの支持を得て競争力を確立していくという意味だ。
不祥事に直面した企業の多くが、社外有識者を中心に構成される「企業倫理委員会」を設けている。ただ、取締役会への単なる助言機関では不十分だ。社員ひとりひとりの意識変化を促し、企業風土の本質的変革を確認する外部機関となることこそが求められているのである。

 

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