コンサルティングサービス
経営コラム
経済・政策レポート
会社情報

経済・政策レポート

Economist Column No.2026-038

社会主義から挑戦される資本主義 ~修正することで資本主義の維持・発展は可能~

2026年07月13日 石川智久


■資本主義か社会主義か~蘇る論争
最近、経済論壇で時折話題になるのは、資本主義を見直すべきではないか、というテーマである。例えば、かつての岸田政権は「新しい資本主義」を唱え、石破政権は幸福度やウェルビーイングに目を向けるなど、新自由主義的な資本主義の修正を目指す動きはわが国政府内にもあった。また、一部の論者においては、資本主義の修正にとどまらず、いっそのこと資本主義を辞めるべきではないかと言うものもあり、一定の支持を集めている。
米国に目を向けると、ニューヨーク市長のマムダニ氏は自らを民主社会主義者と称しているほか、ワシントンD.C.でも民主社会主義を標榜する候補者が市長となる可能性が高まっている。連邦議会の中間選挙に関しては、ニューヨーク州の予備選で民主社会主義の候補者が圧勝している地域がある。さらに、コロラド州等のその他の地域における民主党予備選でも民主社会主義の候補が躍進している。彼らの中には私有財産の廃止を主張する極端な考えの人物もみられる。 
また、イギリスで次期首相就任が有力視されているバーナム下院議員も、かつて民営化した水道・エネルギーへの公的関与の拡大を訴えているほか、躍進している右派政党・リフォームUKにおいても、公約を随時修正しているものの、当初はインフラ企業等の国有化を主張していた。世界各国で政府が積極的に関与する産業政策が復活しているが、これは社会主義とは言えないまでも、自由主義を見直す動きであり、国家主義的な方向に向かう動きといえる。
ソビエト連邦崩壊後、フランシス・フクヤマ氏の著書「歴史の終わり」等が示したように、「民主主義と自由主義は社会主義に勝利した」という見方がこの30年間主流であったが、足元でそうした考えに修正を迫る動きがあちこちで顕在化しているといえるだろう。
この背景として、世界中で広がる経済的格差の拡大が指摘できる。各国で実施されているアンケートなどをみても、若い人を中心に社会主義への関心は以前よりも高まっている。筆者は経済について様々な議論が起こることは良いことだと思うが、資本主義や社会主義について誤解もあるように思える。以下では、この論争をどう捉えるべきかについて、私見を述べたい。

■わが国は資本主義と社会主義が混ざった状態
まず、わが国の状況を考えてみよう。わが国は確かに資本主義の国である。一方で、完全な資本主義国ではない。町内会や保険といった共助の仕組みもあるし、当然ながら、政府といった公助もある。共助や公助は社会主義的な発想に近しいものであるが、自由主義経済のリーダーである米国ですらこれが存在する。その意味では、資本主義国と一口に言っても一定程度は社会主義的な要素も含んで成立している。加えて、格差や環境問題のように、市場に任せきりにすれば不均衡や外部不経済等の問題が生じる「市場の失敗」と言われる分野があり、そこについては公的セクターの役割が重要になる。さらに、税制にみられる累進課税も、実質的な格差を小さくしようとする制度的対応であり、社会主義的な側面がある。
わが国で徴収された税金や社会保険料は、公共事業や福祉の形で社会全体や国民に還元される。その税金と社会保障料が国民所得に占める割合は年々上昇を続け、今や5割弱となっている。その意味で、わが国は社会主義度が上がっており、反資本主義ではないとしても、「半資本主義」的な国家であるといえるのかもしれない。
一方で、社会主義が本当に素晴らしいものか、という問いについては、歴史を見る限り首肯しがたい。まず、経済的に見れば、ソビエト連邦は破綻し、その実験は失敗した。自由主義の韓国は発展し、社会主義の北朝鮮は経済発展が遅れている。確かに、ノーベル賞を受賞したエリノア・オストロムの研究等のように、市場メカニズムを活用しなくても、皆が共有することで資源を効率的に配分することは可能であるが、それは同氏の研究等が示したように、相互監視と、村八分のような厳しい罰則があって初めてうまく行く可能性がある筋合いのものである。実際、旧共産圏の国家は総じて全体主義や監視社会になってしまったし、そうした抑圧的な体制が続く下では真に成功した社会と言えないだろう。そうした国家では、体制批判を行うことが憚られ、中国の文化大革命やベトナムのポルポト政権時のように、より良い社会に向けた変革を志向する知識人が弾圧されることもある。このように、歴史を見れば社会主義の行き着く先は必ずしも桃源郷ではない。
足元の社会主義を支持する動きの裏には、ソ連崩壊から30年以上経過し、社会主義の失敗に関する記憶が風化したことと、資本主義が長く続くなかでその悪い面が目立ち始め、資本主義から逃走したいと考える人々が増えたことがあると推察される。エーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」の中で、資本主義は個人を解放し、人々は経済的政治的な束縛から自由となったが、その結果、孤独で孤立することとなり、それが人々を再び自由を失う行動に駆り立てるという趣旨の警鐘を鳴らした。ある意味で、足元はフロムの警鐘が一部とはいえ実現しつつある状況かもしれない。ノーベル経済学賞受賞者のハイエク等の多くの知識人は、計画経済が独裁や全体主義を招くことを指摘している。社会主義的な政策の推進や体制の追求は、それによって人々が自由を失うリスクがあることに留意する必要がある。

■資本主義の発展に向けて~効率性と公平性のバランスが重要
そのように考えると、資本主義に問題があるからといって、一足飛びに社会主義に走る事は得策とは言えない。それよりも資本主義を適切に修正していくことが望まれる。資本主義が第二次大戦後長らく生きながらえた理由は、資本主義の果実を追求する傍らで福祉国家と言う概念を生み出し、それをうまく取り入れたからである。戦後に共産主義が影響力を増していくなか、このままでは体制転換も起きうると懸念した資本主義国家側が自らの至らない部分を反省したからこそ、福祉国家が実現したのである。現在のように社会主義を求める声が出てくる状況は、資本主義のあり方を今一度省みるタイミングにあることを示していると言える。
確かに、ソビエト連邦崩壊後、経済政策面で自由主義的な考えがほとんど無批判に取り入れられてきたことは問題があったといえるだろう。そして、経済学の世界においても、洗練された客観的な理論や手法の開発が進んだ一方、経済のあるべき姿といった骨太な議論は置き去りにされ、その結果、多くの国で格差の拡大や固定化といった問題が生じてしまったことも反省すべき点である。当然、こうした状況は是正すべきである。政治が人々の不満や場合によっては声なき声に耳を傾けて、資本主義的な要素と社会主義的な要素、言い換えれば効率性と公平性をうまくバランスさせていくことが、資本主義の維持・発展のために必要である。

<参考文献>
・フランシス・フクヤマ (著), 渡部 昇一 (翻訳, 解説), 佐々木 毅 (解説)「新版 歴史の終わり〔上〕: 歴史の「終点」に立つ最後の人間」 三笠書房(2020年)
・エリノア・オストロム (著), 原田禎夫 (翻訳), 齋藤暖生 (翻訳), 嶋田大作 (翻訳)「コモンズのガバナンス―人びとの協働と制度の進化―」(2022年)
・エーリッヒ・フロム (著), 日高 六郎 (翻訳)「自由からの逃走」東京創元社(1952年)
・F.A. ハイエク (著), 西山 千明 (訳)「隷属への道〈新装版〉」 ハイエク全集[Ⅰ-別巻]春秋社(2008年)


※本資料は、情報提供を目的に作成されたものであり、何らかの取引を誘引することを目的としたものではありません。本資料は、作成日時点で弊社が一般に信頼出来ると思われる資料に基づいて作成されたものですが、情報の正確性・完全性を保証するものではありません。また、情報の内容は、経済情勢等の変化により変更されることがあります。本資料の情報に基づき起因してご閲覧者様及び第三者に損害が発生したとしても執筆者、執筆にあたっての取材先及び弊社は一切責任を負わないものとします。

経済・政策レポート
経済・政策レポート一覧

テーマ別

経済分析・政策提言

景気・相場展望

論文

スペシャルコラム

YouTube

調査部X(旧Twitter)

経済・政策情報
メールマガジン

レポートに関する
お問い合わせ