Economist Column No.2026-012
経済安保分析に関する新たな展開:注目すべきは国家間「パワー」と世界経済の「分断」
2026年04月27日 野木森稔
■古くて新しい経済安保の研究分野:ジオエコノミクス
経済安全保障を分析する分野にジオエコノミクス(地政経済学または地経学)というものがある(注1)が、これは決して新しい学問ではない。アダム・スミスが1776年の著書『国富論』にて国防を富よりも重要と指摘したのをはじめ、1920年代~1970年代には様々な著名経済学者が経済的強制、軍事競争、さらに製造業サプライチェーンにおける重要なボトルネックに関する研究をしており、これらが基礎となっている(Mohr and Trebesch [2025])。なかでも、経済力と政治力の相互作用を示したHirschmann [1945]の考察は、近年の研究で取り上げられることが多い(注2)。ジオエコノミクスは、自由主義経済が重視されるなか停滞したものの、再び脚光を浴び、今、古くて新しい研究分野となっている。
■国家間の「パワー」と世界経済の「分断」が近年の重要課題
2026年4月には、ジョンズ・ホプキンス大学とジョージタウン大学が共催したジオエコノミクス・カンファレンス(注3)にて、同分野の新たな展開が示された。近年、これまでグローバル化における協力を志向してきた国家間の「パワー」(権力、勢力、影響力など)の変化と世界経済の「分断」が新たに重要になっているとされ、とくに「パワー」については政治学のフィールドであったものが、経済学の分野で重視され始めたという大きな変化が指摘された。ただ、この指摘をしたプリンストン大学のヘレン・ミルナー教授は、その変化の重要性を語りながらも、実際に「パワー」が経済にどう影響しているのかなど論争は続いているとしている。例えば、仮に人民元が世界で流通することになっても今の米ドルと同様の役割を持つかはわからないなど、覇権争いなど注目される分野において、「パワー」の影響については議論の余地が残されているということになろう。
その「パワー」で今最も注目される「ミドルパワー」(大国ではないが一定の国際的な影響力をもたらすことができる程度の力をもつ国家、中堅国)も論点となった。ルールベースなど方向感の一致した力になる協力に向けては議論の途中であり、まだ多くの課題がありながらも、米中とのバランスをとるための「第三の道」として評価され、この「ミドルパワー」についても今後の展開に注目する必要がある。
一方、もう一つの重要分野である「分断」については、上記「パワー」が過去のグローバル化のような協力ではなく、新たに今は対立を生み出している現実に対し、その影響について様々な分析が行われている。具体的には、輸出規制や関税など貿易面での影響分析が急速に発展し、企業の個票データの利用に加え、AIを用いた分析(LLMを用いたテキストデータ解析で、文章で示される企業の行動を詳細に分析)も行われ、分析精度は高まっている。カンファレンスでは、経済制裁はサプライチェーン再編を促進している、関税は価格転嫁可能な一部企業にとってはプラスになっている、などの研究結果が示された。
■日本の経済安保政策においても「パワー」と「分断」の分析が重要に
日本は、米中関係の中でバランスをとるためにも、「ミドルパワー」の中核として外交を進めていくことが求められよう。その場合、自律性の確保と国際的な不可欠性のさらなる向上が重要になる。ただし、国家間の「パワー」がどのように経済に影響を与えるかが不透明な点も多いなか、どのような分野(たとえば産業)に力点を置くかといった分析がより一層重要となろう。また、分断が進む世界経済のもとで、どこの依存を低減し、どこで相互依存を維持するかを見極めつつ、サプライチェーンにおけるリスクをどのように低減していくことが可能かという観点が不可欠である。日本においても、「パワー」と「分断」という二つの論点を踏まえた分析の進展を注視し、その成果を今後の政策判断に活かしていくことが重要となろう。
(注1)ジオエコノミクスは、国際的な政治的競争(戦争を含む)が経済政策や経済結果をどのように形成するか、またその逆についても研究するもの、とされる(Mohr and Trebesch [2025])。アプローチは①攻め(経済武器化やエコノミック・ステイトクラフト)と②守り(経済安全保障)の2つに大きく分けることができ、それらが貿易、金融といった分野にさらに分けられ、具体的な分析対象となる。もっとも、サービス取引のみならず、近年はAIも含まれるなどさらに範囲は拡大している。なお、例として、貿易分野において①には禁輸措置などの制裁措置の影響の分析、②においてはサプライチェーンの多様化など政策の有効性の検証、が挙げられる。
(注2)1930年代の保護主義政策を基に、経済的威圧がいかにして国家の覇権の道具になるかを分析。関税による貿易の従属という視点でトランプ関税の理解にも使われている(2025年4月9日付日経新聞「[FT]「「地経学」で読み解く米関税 貿易は従属させる手段」)
(注3)Hopkins-Georgetown Geoeconomics Conference (HG2C), April 17-18, 2026,
https://mediahost.sais-jhu.edu/saismedia/media/web/geoeconomics-conference-2026/index.html
【参考文献】
・Mohr, Cathrin and Christoph Trebesch [2025]. "Geoeconomics," Annual Review of Economics, Vol. 17 (2025), pp. 563–587
・Hirschman, Albert O. [1945]. “National Power and the Structure of Foreign Trade,” Berkeley and Los Angeles, Calif.: University of California Press.
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