Economist Column No.2026-001
中東危機で深まるアジア経済の「中所得国の罠」
2026年04月02日 細井友洋
中東危機は、化石燃料の価格上昇や供給不足を通じてアジア経済を短期的に下押しするのみならず、長期的な成長の足かせとなる恐れがある。具体的には、技術移転の停滞、財政の悪化、脱炭素化の加速が、アジア各国の「中所得国の罠」脱却を困難にする可能性がある。
■アジア経済は「中所得国の罠」に直面
アジア主要国、とくにASEAN諸国とインドは、所得が一定水準に達した段階で伸び悩む「中所得国の罠」に直面している。インド、インドネシア、フィリピン、ベトナムの一人当たり所得は、高所得国の水準の2~4割に過ぎない。相対的に所得水準の高いマレーシアとタイについても、直近10年間の所得の成長率はそれぞれ7%、26%に過ぎず、中国の80%に比べて顕著に低い。対照的に、中国は高所得国入りが目前に迫っている。
ASEANとインドにおける所得の伸び悩みの背景には、産業高度化の停滞が挙げられる。例えば電子機器分野において、ASEANとインドはグローバル・サプライチェーンにおける組立工程への特化が進んでおり、より技術集約度が高く付加価値の大きい中間財の輸出競争力は停滞したままである(細井[2026])。
■アジアの長期停滞リスクを高める中東危機
長期化しつつある中東危機は、以下の3つの経路を通じてASEANとインドの長期的な成長環境を悪化させ、「中所得国の罠」からの脱却を妨げる可能性がある。
第一に、グローバルな技術移転の停滞である。2010年代以降、安全保障を優先する動きを背景に各国政府が経済への関与を増大させた結果、グローバルな財・労働・資本の国際移動の自由度が低下し、技術の伝播が停滞している(井上・村瀬・西岡[2026])。今回の中東危機による経済混乱を受けて、各国は経済安全保障を一段と優先し、重要なサプライチェーンを自国内または同盟・友好国圏内で完結させる動きを強める可能性が高い。これにより、ASEANやインド向けの対外直接投資が鈍化し、それを通じた技術やノウハウの流入も縮小する恐れがある。この場合、これらの国々における産業高度化は遅れ、中長期的な生産性向上の制約要因となる。
第二に、ASEAN・インドの財政悪化である。各国では、コロナ禍で政府債務が大幅に増大しており、債務残高の対GDP比は多くの国で6割以上に達している。中東危機が長期化した場合、エネルギー価格抑制策や家計・企業向け支援の継続を通じて、各国政府の債務が増大するリスクが高まる。こうした財政負担の拡大は、研究開発や産業高度化への支援など、イノベーション促進策に振り向ける財源を圧迫し、各国の生産性向上を阻害する恐れがある。また、政府債務の増大は財政の持続性への懸念を招き、通貨安圧力を強める可能性がある。とくに、経常収支赤字と対外純債務を抱えるインドネシア、フィリピン、インドでは、海外投資家のリスク回避姿勢が強まる局面で資金流出が生じやすく、為替市場における売り圧力が高まりやすい。このため、景気減速時であっても、金融緩和に慎重とならざるを得ず、マクロ政策の自由度が低下し、成長制約として作用する可能性がある。
第三に、脱炭素化の加速に伴う中国依存の高まりである。中東危機により化石燃料価格の高騰や供給途絶への懸念が強まるなか、各国はエネルギー安全保障の観点から、化石燃料への依存度低減を志向する可能性が高い。この結果、内燃機関車からEVへのシフトや、電源構成の脱炭素化が進展すると見込まれる。電源面では、水力や原子力の設備容量を短期間で拡大することは困難であるため、太陽光・風力発電の導入が加速する公算が大きい。こうした分野では、中国が技術、品質、価格を含む総合的な生産基盤を確立しており、川上から川下まで高い競争力を有している。このため、ASEAN・インド各国が短期間で同様の国内生産体制を構築することは容易ではなく、EV用蓄電池や太陽光パネルのセルといった中間財を中心に、中国からの輸入依存が高まる可能性がある。その結果、国内では最終組立など比較的付加価値の低い工程が温存され、生産性が向上しない恐れがある。
20億人以上の人口を抱えるASEAN・インドの経済動向は、世界経済の成長見通しに大きな影響を及ぼす。このため、各国がこうした制約をいかに緩和し、中長期的な成長戦略を描くかが、今後の世界経済を左右する重要な焦点となる。
参考文献
井上肇・村瀬拓人・西岡慎一[2026]、「2040年の日本経済、GDP1,000兆円への道 ~『共生』政策が切り開く『自立』経済~」、日本総合研究所、リサーチ・レポート No.2025-017.
細井友洋[2026]、「米中対立で30兆円規模の生産移転 ― アジアは組立拠点化、高付加価値な中間財の移転は限定的 ―」、日本総合研究所、リサーチ・フォーカス、No.2025-067.
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