Economist Column No.2025-065
所得税の課税最低限は178万円に ― インフレ調整に意義も、働き控えを巡る誤解に注意 ―
2025年12月23日 藤本一輝
■働き控えの解消にはつながらず
来年から所得税の課税最低限が178万円に引き上げられることとなった。これには、物価上昇に応じて税制の基準額を調整することによって、家計の実質的な負担増を防ぐという意義がある。
もっとも、今回の制度変更がパートタイム労働者などの働き控えの解消にはつながりづらい点には注意を要する。社会保険制度に起因する「壁」が残っているためである。
配偶者の扶養に入っているパートタイム労働者は、年収が一定額を超えると扶養を外れて社会保険料を支払うことになる。この閾値は、パートタイム労働者が勤務している会社の規模によって、「約106万円」と「130万円」いずれかの額になる。
自身で被用者保険に加入すれば将来的な給付は充実するものの、「将来の給付より今の手取り」を選択して、労働時間を短縮するパートタイム労働者は多い。実際、日本スーパーマーケット協会が2023年に行ったアンケート調査によると、就業調整をしているパートタイム労働者の41.6%が「年収額をおさえたい最も大きな理由」として「社会保険(健康保険・厚生年金)の扶養から外れたくないから」を挙げている。就業調整をしている労働者の多くは、所得税の課税最低限が引き上げられたとしても「社会保険の壁」に直面し続ける可能性が高い。
なお、「約106万円の壁」は2026年10月に撤廃される見込みであるが、「労働時間が週20時間以上を超えれば被用者保険に加入する」という要件は残るため、社会保険加入とともに手取り額が減少する「壁」が存在する点は変わらない。
■インフレ・人手不足のなかで求められる取り組み
上記を踏まえると、今後政府には以下3点の取り組みが求められる。
第1に、予算全体のインフレ調整である。足元にかけては所得税の課税最低限にのみ注目した議論が行われてきたが、児童手当や固定資産税の非課税ラインなど他の給付額や基準額についてもインフレに応じた調整が行われなければ、実質的な給付減・負担増となる。一方で、医療・介護などの公定価格が据え置かれれば、利用者としては実質的な負担減となるが、当該分野の労働者の賃上げ原資が確保できないという弊害が生じる。こうしたインフレ下での資源配分の歪みを是正するため、「骨太方針2025」で掲げられている「物価上昇に合わせた公的制度の点検・見直し」を制度全体で着実に進める必要がある。
第2に、「年収の壁」を巡る丁寧な情報発信である。これまでの「『年収の壁』が働き控えにつながっている」という報道と、今般の「『年収の壁』が178万円になった」という報道により、労働者は「年収178万円までなら手取り額が減ることなく働ける」と誤解しかねない。政府には、労働者が正しい情報を基に働き方を選択できるような情報提供が求められる。
第3に、働き控えの解消に向けた「社会保険の壁」の見直しである。働き控えの解消を目指すだけであれば、物価上昇に応じて「130万円の壁」を引き上げることも一案ではあるが、本来目指すべきは手取り額の減少が生じる「壁」の撤廃である。高市政権は、税と社会保障の一体改革として、給付付き税額控除の実現を目指すとしているが、低所得者の社会保険料の負担増を給付で補うなど、「壁」のない制度設計に向けた議論の進展が期待される。
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