アジア・マンスリー 2025年9月号
米中のデジタル通貨競争と通貨覇権への思惑
2025年08月28日 野木森稔
米中の通貨覇権競争がデジタル通貨分野で進行している。中国はこれまで中央銀行デジタル通貨(CBDC)を支援してきたが、香港を起点にステーブルコインの支援も開始し、米国へのけん制を強めている。
■香港でステーブルコイン拡大支援の動き
香港政府は、2025年6月26日に「デジタル資産発展政策宣言2.0」を発表したのに続き、8月1日に、ステーブルコイン発行者にライセンスを義務付ける「ステーブルコイン条例」を制定した。香港で、デジタル資産、とくに同コイン市場の拡大に向けた動きが加速したと言える。同コインは、ビットコインやイーサリアムなど裏付け資産を持たない暗号資産(仮想通貨)とは異なり、法定通貨や国際商品など裏付けとなる資産を担保に発行し、価格が投機などで大きく変動しないように設計された電子決済手段となる。同コインの利用により送金の時間やコストが低下し、クロスボーダー決済の強化が見込まれるなど、こうした政策や法整備は香港の国際金融センターとしての機能をより強める狙いがある。
■中国本土での異なる動きと国際的なステーブルコインへの批判
中国本土では、ステーブルコインを含む仮想通貨関連の取引が禁止されている一方、取引が発行当局である中国人民銀行によって管理されるCBDCである「デジタル人民元」の普及を強く推し進めている。香港でのステーブルコイン導入の動きは、それに反するものとなっている。2020年にデジタル人民元の発行が開始され、その流通残高は165億元(2023年6月時点)まで拡大した。加えて、香港政府もこれまで中国政府とともに、デジタル人民元の活用推進に協力していた。クロスボーダー取引でのデジタル人民元利用に向けた動きも進み、実証実験が行われ、2024年6月には香港、タイ、UAE、サウジアラビアの中央銀行が参加のほか、31カ国がオブザーバーとなった。2024年5月には、香港金融管理局(HKMA)がデジタル人民元を香港の商店でも使えるようにすると発表し、実際、同年8月から香港の大手ドラッグストアチェーンでデジタル人民元による支払いが可能になっている。
国際的な議論においても、ステーブルコインに対しては批判的な意見が散見される。BIS(国際決済銀行)が2025年6月に公表した「Annual Economic Report 2025」では、ステーブルコインについて、①米ドルと1対1で取引されるなどの「単一性」、②柔軟な与信や返済によって経済活動への適切な貨幣の供給・調整が行われるなどの「弾力性」、③不正利用への対応などの「健全性」、の三つの基準でみて通貨としての機能が不十分であることを指摘している。多くの各国中央銀行もCBDCの導入を支持しており、ステーブルコインの普及に対しては懸念を持っている模様である。
■米国がステーブルコイン支援を急加速
この流れを大きく変えたのは、トランプ大統領のステーブルコインを支持する動きである。同大統領は就任早々の2025年1月に、米ドル建てCBDCの発行禁止を打ち出し、6月にはGENIUS法(暗号資産ステーブルコインに関する規制の枠組み整備に関する法律)へ署名した。米国では、現在、暗号資産規制に関する「CLARITY法案」とFRBによるCBDCの発行を禁止する「反CBDC法案」も審議されており、中央銀行が管理するCBDCではなく、民間が発行主体となるステーブルコインの普及を重視する姿勢を強めている。これらは、米国による米ドル地位強化や安全保障面を意図した動きとして、中国政府の香港での動きを急がせたとも考えられる。
もともとCBDCに対しては「政府による監視ツールになりうる」という懸念があり、それが影響している面もある。実際、2022年1月、金融監視において乱用される可能性があるとして共和党のトム・エマー議員がCBDC禁止法案を提出するなど、CBDCに懸念を持つ議員もいた。こうしたなか、2025年6月にホワイトハウスが発表したプレスリリースで、GENIUS 法は「米ドルの準備通貨としての地位を強化し、国家安全保障を強化する」と示された。ステーブルコインの発行額は2,000億米ドルを超え、すでに大規模な市場に拡大しているが、その99%以上は米ドル建てである。今後、他通貨建てでの発行も増えると見込まれるが、中国や欧州など米国以外の地域でのCBDC重視が続く一方で、いち早くステーブルコインへの支援を決めた米国でその普及が加速すれば、デジタル通貨市場全体において米ドルの影響力はますます強まっていくことになる。
■米国の独自路線強化のなか、意識される通貨覇権争い
米国のステーブルコインの支援の動きは、世界での通貨覇権争いを意識する中国政府を刺激することになった。2025年6月、上海で開催された「陸家嘴フォーラム」にて、中国人民銀行元総裁の周小川氏は、米ドルに連動するステーブルコインが国際金融の米ドル化を加速させる可能性があると言及した。2025年7月3日付ロイターは、中国の大手ハイテク企業が中国人民銀行との協議で、人民元の国際化を促進するツールとしてステーブルコインが必要であると主張し、オフショア人民元建てステーブルコインの香港での発行を提案した、と報じた。中国政府は、香港でステーブルコイン市場を開放することで、その取引を検証し、CBDCだけでなく、ステーブルコインでも米国に対抗・競争できる環境を確保しようとしていると考えられよう。
香港は、ステーブルコイン市場の拠点となることで、先行き国際金融センターとしての役割を再度高めていく可能性がある。それとともに、デジタル通貨というこれまでとは異なる形での通貨覇権争いが、香港を舞台として始まっていることにも注目する必要があろう。
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