アジア・マンスリー 2025年8月号
中国は過剰生産能力を解消できるか
2025年07月28日 三浦有史
中国では、過剰生産に伴う出荷価格の低下により、近年例をみないペースで企業の収益が悪化している。習近平政権はこの問題を解決するため、企業と地方政府の関係にメスを入れる方針を示した。
■値下げ競争による疲弊
中国の李強首相は、2025年6月、天津市で開催された夏季ダボス会議において、保護主義的な政策によって不確実性が高まっているとしながらも、中国経済は回復基調にあり、2025年およびそれ以降の経済について楽観しているとした。米トランプ政権との関税を巡る協議が始まったことは、一時的ではあるが中国経済に対する先行き不安を和らげる材料となった。
中国政府は、2025年5月にジュネーブで開催された二国間協議において、レアアース(希土類)の輸出規制を交渉材料に持ち出すことで、125%まで上昇した米国の相互関税の税率を当初の34%に戻すとともに、24%の執行を90日間停止する、という譲歩をトランプ政権から引き出した。
トランプ政権による対中関税が最終的にどのような水準に落ち着くか。これが中国経済に大きな影響を与えることに変わりはない。しかし、問題はそれだけにとどまらない。中国国内では、過剰生産に伴う出荷価格の低下により、鉱工業分野の企業の収益が近年例をみないペースで悪化するという、トランプ関税にも匹敵する経済問題が起きている。
この問題は、電気自動車(EV)最大手BYDが2025年5月末に、最大34%の値下げを行ったことを機に、中国国内でも盛んに議論されるようになっている。中国のEV 産業ではこれまでも値下げが繰り返されてきたため、値下げは決して珍しいことではない。にもかかわらず、今回の値下げが大きく取り上げられたのは、それが値下げ競争を仕掛けた企業はもちろん、EV産業全体に深刻なダメージを与えると考えられるようになったためである。
実際、値下げ競争を仕掛けたBYDの株価は、値下げ発表からわずか1週間で2割も急落した。市場は、この値下げ競争を競争力の高い企業が生き残る、市場原理に基づく「適者生存」のプロセスではなく、「底辺への競争」、つまり勝者がいない不毛な競争と捉えたのである。習近平政権はこれを「内巻式」悪性競争と称し、失業者の増加や銀行の不良債権の増加、そして、R&D投資の抑制による競争力の低下を招来しかねない問題と捉えている。
■赤字企業が増加
現在の値下げ競争はなぜ「底辺への競争」なのか。それは、経営破たんにより失業者が増えることを警戒する地方政府が地元企業を支援するため、値下げ競争の終わりが見えないからに他ならない。これはEV産業だけでなく、幅広い産業で起きているとみられる。国家統計局は、鉱工業分野における174品目の出荷価格を月ベースで公表しているが、前年比で価格が低下した品目の割合は2025年6月に81.0%と、2014年の集計開始以来、過去最高となった。
値下げ競争は企業の収益を圧迫する。国家統計局によれば、2025年5月、鉱工業分野における一定規模以上の企業51万9,513社のうち損出を計上した赤字企業は15万8,111社と、30.4%に及ぶ。1月から5月までの5カ月間にわたり赤字企業の割合が3割を超えるのは2024年に続いて2回目である。これは近年では例がなく、アジア通貨危機の影響で輸出が減少するとともに、国有企業改革により失業者が増加した1990年代末以来である。
今回の値下げは、BYDだけでなく、部品メーカーを含むEV産業全体を疲弊させている点からも、限界を迎えていることが明らかになった。多くのEV メーカーが部品を納めるサプライヤーへの支払いを遅らせることによって、値下げの資金を捻出していることが判明したからである。中国の主要上場自動車メーカーの買掛金と支払手形を合わせた流動負債は、2025年3 月末に前年同期比15.1%増の9,609億元と過去最高水準に達し、買掛債務回転期間は平均182日と、日本の製造業の平均47日を大幅に上回る。鉱工業分野における赤字企業の増加は、この問題がEV産業に限らず、広い産業に及んでいることを示唆する。
■地方政府と企業との関係にメス
中国政府は、大手自動車メーカーが優越的な地位を利用し、支払いを延期する問題を改善するため、2025年6月からサプライヤーへの支払期限を60日以内とした。自動車メーカーは相次いでそれに従う方針を表明したが、これにより値下げ競争が終わり、企業の収益が上向くかは定かではない。
値下げ競争が起こるそもそもの原因は、過剰生産により供給が需要を大幅に上回ることにある。この問題はEV、車載リチウムイオン電池、太陽光発電の3産業において顕著であり、背景には中央政府が新興産業として重視する産業を指定し、補助金などの支援策で市場を急速に拡大させる一方、地域経済の活性化を図りたい地方政府が新興企業に出資したり、税制上の優遇措置を与えたりすることで巨額の投資を誘発する、という中国特有の新興産業育成策がある。
不動産投資やインフラ投資の収益率が低下するなかで、地方政府にとって中央政府が重視すると表明した新興産業は格好の投資対象であり、地域経済を活性化する起爆剤と映る。事実、安徽省の省都合肥市は、国内外のEV メーカーの工場誘致に成功したことにより、EV産業の集積地として台頭し、市のGDPが1兆元を超える「1兆元都市」の仲間入りを果たした。これは「合肥モデル」と称され、多くの地方政府がEVメーカーを誘致する競争に参加する契機となった。
鉱工業分野における赤字企業の増加は、こうした地方政府と企業との関係にメスを入れる必要性が高まっていることを示唆する。習近平総書記は、7月に開催された中央金融経済委員会で、①投資促進策を標準化することで、地方政府が企業に個別の優遇策を提示できないようにするとともに、②地方政府の幹部に対する評価に質の高い経済発展を意味する「高質量発展」への貢献度を加えるとした。これは、地方政府と企業の双方に自制を求める従来の政策を前に進めたものと評価できるが、前者は地方政府の反発が予想されること、後者についても言い古されてきた課題であることから、その実現は容易ではないとみておく必要がある。
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