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コラム「研究員のココロ」

お客様は神様でない

2007年06月25日 井上岳一


1.お客様は神様か?

 日本の小売・サービス業では、「お客様は神様である」という言葉が当たり前に流通している。通常は「お客様を神様と思って徹底的に奉仕せよ」という意味で用いられるようだが、この言葉を聞くたびに、いったい神様に対して人間ごときが何をできるというのだろうと不思議に思う。そもそも神は奉仕する対象なのか。一見、非常にもっともらしい言葉のように聞こえて、その内実には違和感がある。だから、「お客様は神様です」なんてことを後生大事に言っている小売業やサービス業の会社を僕は信じない。だいたい、そんなことを言っている会社ほど、サービスがなっていないのが常なのである。
 そう思って、この言葉の起源がどこにあるのかを調べてみても、どうもよくわからない。昔の商人道にでもある言葉なら別だが、そうでもないらしい。三波春夫の「お客様は神様でございます」が一役買っているのは間違いないのだろうが、彼が言い出しっぺかどうかもわからない。もっとも、三波春夫の場合は、「徹底的にサービスせよ」というよりも、お客様によって生かされてある自分の芸人としての立場なり、もともと神に祝詞を捧げることから始まった芸道の本質なりを意図して語った言葉のようなのだが。
 いずれにせよ、こういう言いぶりは西洋においては珍しいらしい。経営の“グル”トム・ピーターズも、自身のブログで、Hua Xing Li Dressという中国の会社で、the customer is god and the market decides everything(お客様は神様であり、市場が全てを決める)という標語がかけられていたことを報告しているくらいだから、よっぽど珍しいものだったのだろう。もっとも、この中国企業の言う「お客様は神様である」は、日本で流通しているそれとは文脈が異なっているように思う。「市場が全てを決める」から導かれるのは、せいぜい「お客様のことをもっとよく知ろう」であり、「徹底的に奉仕しよう」とはなり得ないように思うからである。

2.お客様にはどう接するべきか?

 近年、小売・サービス業の世界では、サービスよりもホスピタリティが重視されている。サービスは格下の者が格上の者に対して行う義務としての奉仕、ホスピタリティは対等の立場で行う心からのおもてなし、というのがその違いである<注1>。「お客様は神様である」的言説は、ずっと格の高い相手に対する一方的な奉仕の響きを持つと理解されやすいから、ホスピタリティとは対極にある考え方だとされる。
 実際、自分自身、小売やサービス業のコンサルティングの現場では、そう話すことが多い。が、「ホスピタリティが大事です」と言いながらも、いまいち心に響いていかないのを感じているのも事実である。そりゃそうだろう。そもそも日本語にない概念だから「ホスピタリティ」などとそのまま使うわけで、内容の説明を聞けばわかったような気になるが、実際にどう行動に結びつけたら良いのかわからないというのが本音なのだと思う。ホスピタリティで有名なリッツ・カールトンのことを引き合いに出しても、「そりゃ、あそこは特別だから」と思われてしまう。
 いったい、理想的なお客様との向き合い方は、どう説明するのが望ましいのだろう?

3.芸人、役者、或いは伝道師としての商人のあり方

 もっと直裁な言い方で「お客様は神様である」に異を唱えるのが、「芸人」や「役者」、或いは「伝道師」として商人を定義する言説である。「芸人」の場合、お客様を喜ばせることの対価(おひねり)が売上であるから、売ろうと思わずに、お客様を喜ばせることに徹しろ、という言い方になる。また、「役者」であれば、お店という舞台の上で光り輝く演技をし、お客様を魅了しろ、となる。ディズニーランドでスタッフを「キャスト」と呼ぶのはまさにこの例である。さらに、「伝道師」となると、無知なお客様に対して自身が提供するものの良さを熱く語り、その商品の信者を作る、つまり、布教活動こそが商人の本質である、というような物言いになる<注2>。特に、ブランドビジネスの現場では、この伝道師という言葉がよく使われている。
 これら芸人、役者、伝道師としての商人像には、確かに商人としての本質がある。一人でも多くの人を喜ばし、魅了し、自分が信じるものの価値を伝える。これこそが商売の本質だと思うし、そう捉え直すことによって、単なるモノの売り買い以上の意義を付与することができるから、現場のスタッフ達のモチベーションを高める上でも効果的だろう。少なくとも、「ホスピタリティが重要である」などと言う言葉よりはずっと力を持つものだと思う。
 しかし、「芸人」という言葉には、「そんなこと言われても自分は芸達者な人間でない」と限界を感じる人もいるし、ディズニーランドならまだしも、普通の店では役者なんて言われても何だか白々しい感じがしてしまう。伝道師という言葉にも、「うちの店には自分が欲しいものも、語るべき物語がある商品もないじゃないか」という言葉が返ってくる。
 それももっともだという気持ちがこちらにもある。いずれの言い方も一面では本質をついているが、やはり帯に短し襷に長しの感が否めない。何かもっと適切な表現はないのだろうか?

4.抱っこの作法

 私事で恐縮だが、我が家にも子供が生まれ、生後8ヶ月の小人と格闘する毎日を送っている。「子育ては楽しい」などと自慢できるほど役に立ってはおらず、妻に任せきりだから偉そうなことは言えないが、それでも、毎日、1時間程度は子をあやす日々を送っている。
 これが結構、大変である。
だいたい、母親の柔らかな身体に比べ、父親の無骨な胸に抱かれても、子は気持ち良いはずはない。それに、乳をあげられるわけでもないから、父親は単なる木偶の棒である。あやせども泣き止まず、余計に火がついたように泣く子を抱え、ただただ途方にくれるしかない。なのに母親が抱いた瞬間に泣き止んだりすると、父親なんて本当に無力なものだなと我が身が切なくなるのである。
 ずっとそんな悩ましい日々を送っていたが、ある時から、子を抱くのがとても楽になった。そのきっかけとなったのは、「泣くには理由があるんだろうからそれを理解するよう努力しよう」と思い始めたことと、「無理に泣き止まそうとするのはやめよう」という開き直りである。そう思い始め、「今日は疲れたんだね」とか「きっとあの時のことを思い出して泣いているんだね」と何とか泣く理由に到達しようと色々な言葉で問いかけながら、ひーひーと泣き続ける子を抱っこをしていたら、そのうち泣き止んで、大人しく抱かれるようになったのである。それどころか、くすくすと笑顔になったと思ったら、すやすやと気持ち良さそうに我が腕の中で寝るではないか。
 この時の体験をきっかけに抱っこの仕方が変わり、以後は、抱くのが楽しくて仕方なくなった。子が見せる笑顔や安心しきっている寝顔ほど、親としての幸福を味わう時はない。子の笑顔のためなら、どんな苦労も厭わない。勿論、対価なんて求めない。欲しいのは自分に向けられた子の笑顔だけである。そのためには、泣くしかできない子が何を感じているのかを掴もうと必死になって思いをめぐらし、どんなに泣いて騒いでも、笑顔を絶やさず、鷹揚な気持ちで、包み込むように抱くほかないのである。
 母親のようにお乳をあげて機嫌を取ることは父親にはできないし、お菓子を与えて誤魔化すことならできるだろうが、それはしたくない。ひたすら相手の言葉にならない想いを汲み取ろうと努力する。そこにしか、泣く子供をあやす解決策はない。それがここ数ヶ月の体験で得た確信である。

5.お客様は子供である

 そして、そう確信した瞬間、「これは、接客の極意そのものじゃないか」と思ったのである。
 多くのお客様は、自分が本当のところ何を欲しているのか、実はわかっていない。仮に目的買いで来た場合も、そのモノを欲する理由は、単純な物欲以外のものだったりする。だから、どんなお客様に対しても、まずは、何が本当の望みなのか、どんな気持ちを持ってお店に来ているかをどうにかして汲み取り、あるいは引き出すしかない。これは、言葉が不自由で、泣くしかできない子に対する接し方と全く一緒である。
 クレームにしても同様で、お客様がわめくのは、自分の気持ちを察してくれないことに対して苛立つからである。お客様は色々と言うだろうが、本当に言いたいことは実は言葉にはできていないと思ったほうが良い。その言葉の裏にある、言葉にならない気持ちを想像することが大切なのだ。そのためには、何を言われようが、笑顔を絶やさず、鷹揚な気持ちで相手を包み込むように接するほかない。
 そして、何のためにそんな苦労をするかと言えば、ただただお客様の喜んだ笑顔を見たいがためである。接客スタッフが本当に欲しているものは売上という名の対価ではない。自分のことを人として認め、笑いかけて欲しい。自分のおかげで良い時間を過ごすことができたと喜んでもらいたい。それが接客スタッフ達が一番に求めているものである。でなければ、単なる接客ロボットでしかなく、それでは心の触れ合いも個人の尊厳も仕事の喜びも感じられなくなってしまうからである。これもまた、ただただ子の笑顔をみたい親の心境に近いものである。
 そう考えると、値引き販売でお客様をつるのは、お乳やお菓子で泣く子の気を引くのと同じに思えてくる。そんなことしても、一時しのぎにはなるかもしれないが、次からはお客様は恒常的に値引きを求めるようになる。お菓子の甘みを覚えた子が、次からは、お菓子を見せない限り泣き止まなくなってしまうのと一緒である。

6.お客様を子と思うことの利点

 このようにお客様に接するのと子に接するのとはかなり似ているから、お客様を子に例えることには無理がない。無理がない上、接客の内容を豊かにするための行動指針として、かなり役立つ考え方だと思う。
例えば、子はほっておくと何をしでかすかわからない。怪我をしないよう、変なものを口に入れないよう、常に注意を向けておかないといけないし、離れていても見守っていることの安心感を伝えるよう、常に暖かな視線を送っている必要がある。これは、接客の場面においては、お客様を見守り、一挙手一投足を常に注意深く観察せよ、という行動指針になる。
 また、子には自分の知っていることや信じる価値観は全て伝えたいと思うし、良いものを与え、正しい方向に導いてあげたいと思う。それに、何かを聞かれた時に答えられないと親の尊厳が保てないから、必死で勉強して、常に子より博識であろうとする。これは、お客様を正しく導くことができるよう、正しい知識を身につけ、語れるようになれ、という接客スタッフに対する物言いになるだろう。
 子を喜ばせようと必死な気持ちになると、どんなつまらないものにでも子を喜ばすための道具としての価値を見出すことができるようになる。例えば、新聞紙はそのまま転がっていれば新聞紙だが、くしゃくしゃと丸めて音をたててあげれば、途端に子を魅了する不思議な楽器へと変質させることができる。これを接客の場面に敷衍すれば、どんな商品にだって、その気になれば、お客様を喜ばせるポイントを見出すことができるはずだとなる。それを探し出そうとしないで、商品自体の魅力のなさを嘆いたり、そんな商品しか仕入れないバイヤーの無能を愚痴ったりしているだけでは進歩がない。この世にあるものの多くは、まだ自分が気づいていない価値や意味があるのだと思ったほうが良い。子供はそれを見つけ出す天才なのである。
 このようにお客様を子と思うと接客の具体的な行動指針が浮かび上がってくるから面白い。さらに言えば、接客以外の、例えば、企業風土のあり方についても示唆を与えてくれるものとなる。
 子は、言葉はわからなくても、不思議と親の感じていることを本能的に理解してしまうものである。だから、夫婦の不和は伝わり、不安を感じた子は、泣き止まなくなったり、体調不良を訴えたりするようになる。子の笑顔のためには、夫婦が互いに気遣って、平和な家庭をつくることが不可欠となるのである。ここから導かれるのは、お客様を良い気分にさせたければ、社員同士がお互いにリスペクトし、気遣い合う風土を築くことが不可欠になるということだろう。どんなに良い商品をどんなに綺麗なお店で売っても、その企業やお店の風土に愛が欠けていれば、お客様はそれを敏感に察知してしまうと思ったほうが良い。表面的な取り繕いに騙されるほど、お客様は馬鹿ではないのである。

7.三越の卓見

 以上見てきたように、「お客様は子と思え」は、かなり「使える」考え方だと思う。身近で奇をてらっていない上、そこから導き出されるイメージも豊かで奥行きがある。子を持ったことのない若い販売員には理解しがたいかもしれないという懸念はあるが、少なくとも芸人、役者、伝道師という言い方よりは、「親が子に接するようにお客様に接しろ」というほうがわかりやすいし、より包括的な概念になっていると思う。
 だから、これはかなりオリジナルな発見ではないかと独り悦に入っていたある日、なんと、三越百貨店に伝わる「小僧読本」の中に、同様の記述があるのを知った。以下がその部分の引用である。
 御客様は子供の如し。余念なく子供衆と見よ。三越の小僧はその御相手と思えば間違いなし。いかなる難題も柳に風と受け、笹に雪とこたえ、在店中はいかにも楽しく愉快に、観覧娯楽に身も心も堝化するまでに仕向けざるべからず。入店の折は家庭に不幸、煩悶、憤怒、不機嫌等のありたるのも店を出ずる際には、「あゝ是で気持ちがさっぱりした。三越で遊んだので心の底まで愉快になった」と思はすに至れば、三越の繁栄実に今日の比にあらざるべし。
 これ小僧の心懸一つにて、御客様をかほど迄に思はしめ、延いて三越の盛大を至すとせば、三越の小僧たるもの、寸時も油断せず一々御客様の脈をとらぬまでに、親切、用意、慇懃、正直、機敏、あらゆる匙加減を用うべきなり <注3>
既に100年近く前に、天下の三越が、「お客様は子供と同じようなものだから、子供だと思え。三越の販売員である『小僧』は、『子供』を御相手するのである」と言い切っているのである。自らのことを「小僧」と称すことで、お客様のことを「子供」と言っても全然失礼な感じがしない点もさすがである。
 何もない文脈で、「お客様は子と思え」と言ったら、お客様を馬鹿にしているような誤解を与えてしまいかねない。しかし、「我が子と思え」なら、愛情がこもった言い方になるから、その心配もないと思う。小売・サービス業に携わる経営者の方々は、接客の質を高めようと思ったら、これからは「お客様を我が子と思え」と言ってみたら良いと思うのだが、どうだろうか。

注1 筆者コラム「挨拶の背後にあるもの」参照

注2 例えば、小阪裕司著『「儲け」を生み出す「悦び」の方程式』(PHP研究所、2003年)等

注3 千野信浩著『できる会社の社是・社訓』(新潮新書、2007年)からの引用
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