コンサルティングサービス
経営コラム
経済・政策レポート
会社情報

経営コラム

オピニオン

【クリエイティブエコノミーが切り開く未来~持続可能な都市において不可欠な「文化芸術」~】
その3:ベンチマーク都市からみた文化芸術を核とした都市戦略

2021年07月06日 前田直之山崎新太、本田紗愛、大庭あかり、森本佐理


1.わが国のベンチマーク都市における仮説
 その2で示されたように、クリエイティブ産業の集積が認められる渋谷区と港区は、都内23区の中でも特徴的な文化芸術投資がなされてきた都市である。都市イメージとしても、渋谷区のうち、渋谷はファッションや音楽のまち、港区のうち、六本木はアートのまちというイメージが広く浸透している。
 企業集積は文化芸術のみによって実現されるわけではなく、アクセス性、地価、オフィス床供給量など複合的な要因による。しかし筆者らは、特徴的な文化芸術施設やプログラム、人材が集積する都市には、その文化が醸し出す雰囲気や空気感(=都市文化)があり、その都市文化がそこに集まる企業に影響を与えていると考えている。
 このような仮説の下、両都市の歴史を振り返るとともに、企業集積に大きな影響を与えてきたデベロッパーへのヒアリングに基づき、文化芸術を核とした都市戦略を考察する。

2.渋谷~若者文化・多様性・IT企業
 ①渋谷における音楽・ファッションの集積
 渋谷には、戦後からアメリカの影響を受けた音楽文化が存在した。1964年には渋谷公会堂の整備、同じ頃にジャズ喫茶の流行があった。70年代に入ると道玄坂のロック喫茶が人気を博する。1980~90年代前半には宇田川町のレコード店が全盛期を迎える。1990年代後半には「渋谷系サウンド」と呼ばれる音楽文化が生まれ、渋谷は「音楽のまち」としてのブランドを確立する。このようなアンダーグラウンドも含めた音楽文化の集積は、大型店舗・企業の進出にも影響を与えている。1981年にはタワーレコード渋谷店の開業、同日本法人の設立、1990年にはHMV渋谷店が国内第1号として開業する。
 ファッションに目を向けると、1967年の東急百貨店本店開業、1968年の西武百貨店開業の後、1973年にパルコが開業した。パルコはアパレル系テナントの入居のみならず、ライフスタイルの提案やパルコ劇場の運営なども行い、若者カルチャーの発信地となった。1979年には渋谷109が開業、1980年代後半は渋カジ、90年代は渋谷系ファッション、裏原宿系など、渋谷は独特の若者ファッション文化を形成し、音楽と同様、「ファッションのまち」としてのブランドを確立する。ファッション業界でも渋谷は企業集積がなされている。1990年にはユナイテッドアローズ、1993年にはBEAMS東京、その後、ベイクルーズやアダストリアなど、大手アパレル企業の本社が立地している。
 このように、音楽とファッションにおいては、渋谷の都市文化形成と、同じ業界の施設・店舗・企業の集積が一体的に循環・進展してきたといえる。

 ②都市開発の進展とIT企業の集積
 渋谷における都市開発とIT企業の集積との関係はどうであろう。1980年代後半から渋谷ではIT企業の集積が見られ、1999年にスタートアップ企業経営者による「渋谷ビットバレー構想」が発表された。その後、ITバブルにのって、新興IT企業は規模を拡大していくことになるが、渋谷では大規模オフィスが少なく床の供給量が不足していた。
 そこに風穴を開けたのが2000年開業のマークシティである。それを皮切りに、2001年のセルリアンタワー、2012年渋谷ヒカリエ、その後の渋谷駅前の大規模再開発により、渋谷ストリーム、渋谷フクラス、渋谷スクランブルスクエアとオフィス床の大量供給がなされている。そしてそれに呼応するように、DeNA、GMO、サイバーエージェント、mixi、LINE、Googleなど数多くの大手IT企業が渋谷に居を構えている。
 これらの都市開発とIT企業誘致を主導してきたのは東急株式会社(以下「東急」という)である。東急の開発の興味深いところは、商業+オフィス開発に加えて、多くの文化芸術施設を整備・運営してきたことである。
 古くは1956年に複合文化施設である東急文化会館をオープン。1989年には東急文化村(Bunkamura)を開業している。その後、渋谷ヒカリエではクリエイティブスペース8/、ヒカリエホール、東急シアターオーブを整備した。これらは開発における容積率の上乗せを得るための公共貢献機能という側面があるが、それだけではなく、積極的な文化芸術投資や意思を持った施設の利活用が渋谷のまちの価値を高め、それがオフィスビルに入居する企業誘致に好影響を与えている可能性がある。
 筆者らが実施した東急へのヒアリングによれば、再開発ビルへの文化芸術施設の導入については、まず創業者の文化振興への熱意やまちの歴史・DNA(例:生活文化の殿堂として建てられた東急文化会館のDNA)を受け継いでいく意識を持っていることが背景としてあるという。そして社内でも、文化施設を意思をもって運営することで不動産事業の収益と価値の両方を生む余地があることが徐々に理解されてきている。特にヒカリエホールについては、IT企業集積との連関があり、例えば2018年から開催しているデザイン関連のイベントが、渋谷のまちに居を構えるIT企業の連携を促進したり、「裏の横のつながり」を大切にするIT企業に受け入れられたりしている。8/やシアターオーブはビルに入居する企業の社員が、一顧客として文化的刺激を享受できる場として、また一企業人として交流する、発表する・見せる場としての役割を果たしている。また、渋谷に集まる人々の多様性はマーケティングの観点から評価されている。これは若者のまちであった渋谷に、東急が大人向け・万人向けの文化投資をすることにより、来訪者の幅が広がったことも影響しているであろう。
 再開発を推進する時には、いかに渋谷の価値を高めるかという「まち創りの戦略」と対応する具体の開発計画を常に両輪で検討しており、「まちの価値」と「開発の価値・収益性」の相互作用を意識していることがうかがわれる。一方、興味深い意見として、都市における文化芸術の集積には「バリューチェーンではないエコシステム」が必要であると考えられている。文化は「ちょっと危ういところ」から生まれるのが面白いが、そこに大手デベロッパーがどこまで踏み込めるのかバランスが重要、との意見が挙げられた。

3.六本木~戦略的な文化都心
 ①六本木ヒルズによる文化都心の都市創り
 六本木は、高級マンションや文化芸術・商業施設が数多く立地している。江戸時代後期には大名屋敷や藩邸が建ち並び、明治期に各国の外国人が暮らしていたことで時代とともに独自の文化が醸成されてきた。このような六本木が醸し出す都市イメージや多様な文化を織り交ぜたセンス、国際的な雰囲気等はどのように醸成されてきたのか。それには2003年に森ビル株式会社が開発した六本木ヒルズに鍵があると考える。
 六本木ヒルズは、「文化都心」というコンセプトを掲げている。「文化都心」とは、文化や芸術を都市に人を引きつける「磁力」と捉え、暮らしや仕事や買い物の合間に気軽に世界のアートに触れ、一流の人々から学び、旬な人々と交流できる場と機会と時間がある街を意味する。
 では、なぜ都市には文化が必要と考えたのか。この問いに対する一見解として、森ビル株式会社(以下「森ビル」という)の第2代社長であった森稔は、著書「ヒルズ 挑戦する都市」の中で以下のように述べている。



 六本木ヒルズ森タワーの最頂部には、森美術館が位置している。六本木ヒルズの象徴的な文化芸術施設として、開館以来、「現代性」と「国際性」を理念に掲げ、テーマ性を持った独自の切り口による多彩な企画展を開催し、毎年多くの来街者を引きつけている。
 最上階を住居やオフィスにするのではなく、あえて美術館を設けたことが、六本木ヒルズのコンセプトである「文化都心」を体現している。従来の工業化社会による職住分離型へのアンチテーゼとして文化芸術を核とした都市創りを掲げたことにより、文化都心化を推進し、六本木エリアの独自の文化を発信する唯一無二の存在になったといえる。

 ②六本木における美術館とギャラリーの集積
 文化都心・六本木ヒルズを象徴する森美術館の存在が、六本木かいわいの文化芸術環境の形成にどのような好影響を与えているのであろうか。
 これまでの六本木エリアの文化芸術施設の整備をひもとくと、森美術館の開館以降、2007年に国立新美術館、東京ミッドタウンのサントリー美術館、21_21 DESIGN SIGHTが相次いで開業した。これらは、森美術館とともに地図上で三角形に結ばれることから、「六本木アートトライアングル」と呼ばれ、共同で各種プロモーションに取り組んでいる。2009年からは、これら六本木エリアの美術館と商店街振興組合、港区等と連携した、約70万人以上の来場者を誇る一夜限りのアートの祭典「六本木アートナイト」が毎年開催されている。官民一体となった文化事業により、かつて夜の歓楽街のイメージが強かった六本木が、現代アートの街へと変貌を遂げている。
 こうした六本木の街のイメージの変化に呼応するように、六本木ヒルズ周辺には現代美術ギャラリーが続々と集積されてきた。まず、2011年にはピラミデビルにオオタファインアーツ、ワコウ・ワークス・オブ・アート等が入居し、2017年にはパリに本拠地を持つ仏有力画廊であるペロタン東京が進出した。また、2016年にはピラミデビルの隣に世界的に高い評価を受けている現代美術ギャラリー等が集積したcomplex665が開業した。ここには、小山登美夫ギャラリー、シュウゴアーツ、タカ・イシイギャラリー等が入居している。
 このように、相次いだ大規模美術館の誕生や継続的なアートイベントの開催により、日常生活の中でアートが身近にあり、アートを楽しむライフスタイルが市民に拡大・浸透されてきたことが、六本木かいわいにおける有力ギャラリーの集積促進に好影響を与えているものと考える。「六本木に行けば良質な現代アートが見られる」というイメージは、大規模美術館と有力ギャラリーの集積が相互作用を持って実現しているといえる。

 ③森ビルによる文化芸術投資の意義
 六本木を含む港区を戦略エリアとして、これまで多くの都市開発を進めている企業が森ビルである。森ビルは、六本木ヒルズに位置する森美術館を核とし、前述のピラミデビル、complex665に現代アートギャラリーを戦略的に集めたことで、大規模美術館と有力ギャラリーが互いに刺激し合いアートを発信できる拠点を面的につなぐことに成功した。加えて、このような積極的な文化芸術への投資が、六本木の街の価値を高めているのは確かである。
 では、六本木において、ハイエンドなアートを扱う施設が集積することは、企業にどのように捉えられているのか。
 筆者らが実施した森ビルへのヒアリングによれば、文化芸術施設の整備を行う狙いについては、まず、森稔の生涯を通して挑戦した文化都心の意思が、全社の方針として脈々と受け継がれていることが背景としてあるという。都市で豊かに楽しく暮らすためには、美術館が人々の生活に当たり前に必要であるという強い意思の下、必ずしも採算性の高くない美術館にチャレンジしてきた。森美術館は、屋上の展望台と組み合わせることで、収益性を担保しているが、何よりも特筆すべきことは、六本木ヒルズの最頂部という一番良い場所を、文化芸術のために広く開放したことにある。結果、海外を含め高く評価され、企業ブランドの構築に結び付いたという。この戦略が、六本木の街の価値とポジション向上に貢献していることがうかがえる。
 再開発を進めるうえで、森ビルは、文化芸術のクオリティが街の格を決めるものと考えている。本物の現代アートに注力したコンテンツを集積させたことが、文化芸術を掲げている他都市との差別化に寄与したといえる。
 企業が進出する街を決める要因について、森ビルは、その街が大事にしている文化が寄与していると考えている。六本木のグローバルスタンダードな「職・住」に加えて、多彩で鮮度の高い文化芸術に触れられる都市環境が、ヒルズ流のワーク&ライフスタイル(都市文化)を生み、こうした文化を、立地企業の社員は高く評価しているという。
 一方で、美術館があるから人が集まるというわけではないことを指摘している点が興味深い。商業施設も一定のレベルがそろい、かつ1つの考え方で統一されていることに加えて、個々の施設間のコミュニティや人的ネットワークといったソフト面も重要であるとの意見が挙げられた。
 森ビルによる文化芸術の積極的かつ長期的な投資により、国際的な文化芸術都市となった六本木には、外資系金融機関やグローバルIT企業、ベンチャー企業がオフィスを構えるエリアとなった。六本木に立地する企業は、ステータスや成功といった身分・地位の目的だけでなく、文化都心である六本木の特性や環境に魅力を感じ、身体的・精神的にも刺激や共感を獲得できていることが、グローバルトップ企業を引き付けているのではないか。


出所:森ビル株式会社ウェブサイト森ビル株式会社ニュースリリース2016年9月14日付をもとに日本総合研究所作成


4.文化芸術を核とした都市戦略
 ①ベンチマーク都市の考察
 渋谷と六本木では、文化芸術を享受できる環境の充実が都市開発の重要な要素の1つとなっており、そのような環境整備と特徴的な企業集積が好循環を生んできたといえる。前節までの内容を踏まえると、両都市の都市戦略にはいくつかの共通点がある。
 1つ目が「①地権者による戦略的な都市開発」という点である。東急と森ビルはいずれも渋谷や六本木の地権者であり、所有する土地・建物の価値を創出し向上させるために、まちの価値に対する長期的なビジョンをもって開発を行っている。そして戦略的な都市開発の基となるのが「②アート思考のリーダー・チームの存在」である。いずれの都市も、デベロッパーを率いる経営者や専門チームの強い意思や価値観がその開発の正当性を支えている。
 3点目は、「③エリア・マネジメントの取り組み」である。大規模な都市開発の後に、周辺の施設やプレイヤーと連携しながら、まちの魅力を高めるさまざまなソフト面の取り組みがなされている。そうすることでまち全体で文化芸術を享受できる環境が整い、都市文化が醸成されていく。4点目は「④分野と質の絞り込み」である。さまざまな文化芸術分野に手を広げるのではなく、音楽、ファッション、現代アートなど特定の分野への集中的な投資、またハイエンドなカルチャーやカウンターカルチャーなど、文化芸術の質の統一性にも配慮がなされている。最後に5点目は渋谷や六本木のまちが持っている「⑤多様性を許容する懐・余剰・遊び」である。本稿ではデベロッパーによる都市開発に注目したが、その足元の商業エリアではアーティストやクリエイターの活動と交流の場が提供されている。ある意味では雑多で猥雑で混沌としたエリアが都市の懐として機能しさまざまな属性の人々に居場所を与えている。

 ②提言
 全3回にわたって、文化芸術が都市の競争力や経済成長、持続可能な発展に寄与する可能性について論じてきた。最後に、わが国において文化芸術を核とした持続可能な都市を創るための提言を述べる。
 まず、都市開発や地域の再整備を主導する地権者が、長期的なビジョンでまちの価値を高めるための戦略的な文化芸術投資を行うことが重要である。首都圏であれば大手デベロッパーがその役割を担うが、多くの都市では自治体と地元老舗企業がそれに当たるであろう。渋谷と六本木でもまちの文化形成と企業集積には20年以上かかっている。市長や企業経営者などのリーダーは短期の投資回収を求めず、ビジョン先行型(ビジョン・ドリブン)で環境整備をけん引することが求められる。
 次に、文化施設整備や単発のイベントで終わらせず、継続的に周辺施設や地域のプレイヤーと連携したエリア・マネジメントを実施することが重要である。そのためにはエリア・マネジメントを担う主体を組成することが効果的である。また総花的にならないことも重要である。まちの歴史や特性をひもとき、分野を限定することで、真に地域に根付いた、その土地ならではの都市文化が形成されることとなる。そのためには都市政策、歴史、哲学、美術、建築などの専門家とともに、都市戦略を構築することが望ましい。例えば近年、美術館の整備が続く青森県では、県内の5つの文化施設(青森県立美術館、青森公立大学国際芸術センター青森、弘前れんが倉庫美術館、十和田市現代美術館、八戸市美術館)が連携協議会を組成し、「AOMORI GOKAN」という連携プロジェクトを立ち上げている。いずれの施設も、現代アートを扱う点、現代アートに精通した館長等の存在、施設整備に建築家が関わっている点が特徴的であり、分野に特化したエリア・マネジメントの好事例といえる。
 最後に、多様性を重んじることが重要である。大規模から小規模まで、ハイエンドからアンダーグラウンドまで、プロからアマまで、さまざまな取り組みや主体を排除せず受け入れる必要がある。時には前衛的なものやタブーに触れるかもしれないものを許容することも求められる。自治体や地場企業は、場の提供を行い、具体的な活動はアーティストやクリエイターに任せることで、懐のある都市の形成に深く寄与することができるであろう。

(山崎新太・森本佐理)


※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
関連リンク
経営コラム
経営コラム一覧
オピニオン
日本総研ニュースレター
先端技術リサーチ
カテゴリー別

業務別

産業別


YouTube

レポートに関する
お問い合わせ