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東京五輪会場整備の知見を参考にした、将来日本におけるインフラの多面的活用の可能性

2020年08月21日 山口尚之


はじめに(本シリーズの連載に先立って)

 去る7月24日は東京オリンピックの開幕日の予定であったが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、1年間の延期が決定した。その後も開催の可否については議論が続いており、開催を心待ちにしていた世界中の人々にとっては非常に残念なことではあるが、状況を見守らざるを得ない。
 しかし仮に今年の夏に開催されていたとして、開幕に向けた準備は滞りなく完了していたであろうか。思い返してみると、今回の東京2020オリンピック・パラリンピックはトラブルの連続であった。立候補時点からの大幅な予算超過、大会エンブレムの撤回、新国立競技場の設計見直し、観戦チケット予約システムのトラブル、と問題が続いた。大会の延期が決まった今年3月末時点でも、札幌へ移転したマラソンの詳細なコースや真夏の開催における暑さ対策等、未解決の課題が山積していた。予定通り今夏に開催されていたとして、これらの課題解決に十分な時間が残されていたとは言えないであろう。
 そもそも、オリンピック・パラリンピックとはなぜこれほど準備に時間を要するのであろうか。2013年に東京2020大会の開催が決定してから、7年間もの準備期間をかけたにもかかわらず、問題は次々と発生し続けた。また大会の運営主体である公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会も、設立当初数十人であった職員数が今や3,800人を超えており(2020年4月時点)、さながら大企業並みである。たかだか2カ月弱のスポーツイベントのために、なぜこれほどの準備期間とマンパワーを必要とするのであろうか。それは、巨額の放送権料とスポンサー料だけでなく公的資金も投じられた本大会の調整先が多岐にわたっていること等、さまざま挙げられるが、中でも競技会場周辺の市民生活へのインパクトの軽減が最も重要な課題の一つであり、解決には長い期間を要した。
 大会開催期間中は競技会場の周辺に、数千人から数万人の観客が鉄道等の公共交通機関に乗って詰めかけ、選手や競技関係者、VIPを乗せた車両が遅滞なく到着するために周辺道路は規制される。さらに競技を盛り上げるために最高レベルの音響と照明機材が大量の電力を消費しながら稼働し、最高の瞬間を逃さず世界中に配信するためにメディア関係者が大量の通信容量を消費する。そしてこれら観客と大会関係者のあらゆる活動を満たすために、食事や空調といったアメニティが用意される。このように大勢の人々の要求を満たすために、空間としての施設だけでなく、電力・通信・上下水道といったインフラから交通に至るまで、ハード面での大規模なサポートが求められる。
 当然ながら、これらの大規模な需要は一時的なものであり、大会以前の日常には求められておらず、また大会後のレガシーとしても不要なオーバースペックである場合が多い。これらインフラ等のハード面における「日常」と「非日常」、あるいは「現在」と「将来」の要件のギャップを調整することが、オリンピック・パラリンピックのような大規模イベント開催にとっての大きな課題であった。そしてこの「日常」と「非日常」、「現在」と「将来」の要件のギャップを考えることは、イベントのみならず日本の今後の社会資本全体のあり方を考えるにあたって非常に重要になると予想される。
 近年、地球温暖化に起因する気候変動によって、日本列島では豪雨災害等の自然災害の頻度が増し、その規模も大きくなっている。数十年に一度と言われる大規模な豪雨災害が、毎年のように発生するようになった。自然災害の巨大化に合わせて防災のための施設・インフラの規模も大きくなっているが、結果として通常時に求められる機能と災害時に求められる機能の差が広がっている。これも通常時という「日常」と、災害時という「非日常」のインフラ要件のギャップの例であろう。同様に人口減少社会となった現代の日本において、求められるインフラの規模も「現在」と「将来」の間にはギャップが目立つようになった。
 本シリーズでは、気候変動や人口減少等により予測不可能性が高まる日本社会において、市民生活を支える重要な社会資本であるハード面のインフラに焦点を当て、東京オリンピック・パラリンピック競技大会という世界最大規模のイベント準備での知見に着想を得ながら、持続可能で弾力的な整備・管理・運用のあり方を考える。
 第一回の本稿では、激甚化する自然災害への弾力的な対抗について、災害時だけでなく通常時の積極的な活用可能性を検討しながら、社会資本の多面的活用を論じる。

第1回:防災空間の多面的活用の可能性

1.激甚災害の増加と防災インフラ整備における課題
 梅雨前線の停滞に伴う2020年7月4日からの記録的な大雨の影響で、熊本県の一級河川である球磨川が氾濫し、流域の人吉市や球磨村、八代市等の自治体で死者や行方不明者の出る甚大な被害が発生した。昔から「暴れ川」と呼ばれていた球磨川では、かねてより上流の川辺川において洪水対策のための川辺川ダム建設の是非が議論されていたが、地元のダム建設に対する反対意見が根強く、終にダム整備が実現しないまま今回の洪水被害が発生することとなった。
 川辺川ダムが整備されていれば今回の洪水被害が発生しなかったのか、という技術的検証をこの場で論じることは差し控えるが、今回の災害であらためて浮き彫りになったのが、防災を目的とした大規模なインフラの整備に対する合意形成の困難さである。防災のための施設には、洪水対策であれば堤防や調節池、土砂災害対策であれば砂防堰堤、津波対策であれば防潮堤や防波堤等が挙げられるが、いずれの施設にも共通していることが、施設の規模が巨大であり、その整備には広大な敷地や莫大な建設費用、長期の時間(建設工期)を必要とすることである。このため建設地周辺の住民に与える影響も比例して大きくなり、用地確保のための集団移転ほどでなくとも、大規模な構造物の建設により周辺の景色が様変わりするといった影響は多くの場合で生じる。
 さらに大規模な防災施設の整備が遅々として進まない理由の一つが、住民の防災に対する意識である。防災のための施設は原則として、災害が発生した際に効果を発揮するか、災害を引き起こすハザード(危険事象)が発生した際に効果を発揮する。言い換えるならば、それらの自然現象が発生しない限り効果を発揮しない場合が多い。道路や公園、図書館といった公共施設を整備する際の合意形成には、整備に伴う便益を住民が実感することが常に重要となるが、防災のための施設の場合は基本的に、整備することによってたちどころに受益者である住民に便益が生じるものではない。むしろ災害が今後も発生せず、願わくは効果を発揮する機会がないことが望ましいという、極めて特異な公共施設である。これら受益者に便益をイメージさせにくいことが、防災を目的とした大規模施設の整備を遅延させる一因となっている。先述の熊本県球磨川の洪水でも、被災した住民が報道インタビューに対して「地震は2016年の熊本地震を経験したことで常に警戒していたが、洪水は未経験であり想定外であった」と答えていたことが印象深い。やはり過去に経験のない災害や、日常的に便益を意識しにくい公共事業に対する合意形成は、困難であると考えられる。

2.土木インフラへの理解を深めるための行政の取り組み
 これらの課題に対し、行政もいくつかの取り組みを行っている。その一つがインフラツーリズムである。インフラツーリズムは、橋梁やダムといった土木インフラを観光資源として活用する試みである。かつては、インフラ整備事業に対する周辺住民等の理解を深めることを目的とした現場見学会が中心であり、参加費も無料や最低限運営に必要な金額(ひとり数百円程度)という場合が多かった。しかし最近では官民が協力し、ダム等の公共施設の見学ツアーを民間の旅行会社が企画し、移動も含むパッケージツアーとして販売するものもある。通常は目に触れることの少ない大規模な土木インフラ施設に市民を招待し、実際にその姿を目の当たりにすることは、インフラ整備事業に対する理解へ一定の効果が期待できる。とは言うものの旅行会社が催行するツアーの数は現状それほど多くはなく、黒部ダムや八ッ場ダムといった認知度が高く収益が見込まれる施設を見学するものが中心となっている。
 では、インフラツーリズムとして独立採算が見込める対象は、黒部ダムや八ッ場ダムといった知名度の高い施設だけで、それ以外の一般的に知れ渡っていない土木インフラには可能性が無いのであろうか。
 栃木県宇都宮市の郊外に、大谷資料館という施設がある。ここは大谷石採石場跡を紹介する資料とともに、実際の地下採石場跡を見学できる人気施設となっている。かつて大谷石を採石するために山をくりぬいた巨大な地下空間のライトアップは、さながら地下宮殿を思わせ、地上の現実とは異なる雰囲気を味わうことができるこの施設見学のハイライトである。過去には有名ミュージシャンがプロモーションムービーを撮影するために活用したこともあり、また企業の主催するレセプション会場として使われたこともある。


大谷石採石場跡 地下宮殿のような巨大空間の見物に多くの人が訪れる


 さて、この巨大地下空間と非常に似た土木構造物が、インフラツーリズムの対象となっている。東京都心の地下に存在する、神田川環状七号線地下調節池である。これは大雨時に周辺の神田川や善福寺川、妙正寺川の氾濫を防ぐために整備された、延長4.5㎞、内径12.5mにもなる巨大な地下トンネルで、増水した河川から水を取り入れ、一時的に貯留する施設である。当然ながら、人や車両が通行するものではなく、基本的に洪水時でなければ機能しない。この施設が完成した2008年3月以降、管理する東京都第三建設事務所や公益財団法人東京都道路整備保全公社が主催して現場見学会を複数回実施してきたが、人気の高まりを受けて2019年11月から旅行会社による見学ツアーが試験的に開催されるようになった。


神田川環状七号線地下調節池に近接する和田弥生幹線の見学会


 このように土木インフラは通常、一般市民の目に触れることは少ないが、一方でその圧倒的なスケール感から生まれる「非日常性」は人々の好奇心を刺激し、集客力として効果を発揮する可能性を秘めている。特に昨今の「インスタ映え」や「コト消費」といった、購買・消費行動から体験・参加型行動へのシフトを背景に、非日常的な空間や情景に注目が集まりやすく、トレンドとなりやすい。

3.土木インフラの集客可能性
 すでに集客イベントのフィールドとして価値を発揮している場所もある。東京湾の埋め立て処分場である。東京湾の埋め立て処分場は、かつての夢の島(1957年埋め立て開始)や若洲(1965年埋め立て開始)から時代が進むにつれて沖合へと移動していき、現在は青海の沖合にある中央防波堤処分場を活用している。この処分場は中央防波堤内側と中央防波堤外側、新海面処分場の大きく3つのエリアに分かれ、そのうち埋め立て開始年度の古い中央防波堤内側(1973年埋め立て開始)は1986年に埋め立てを完了し、その後は物流施設や廃棄物処理施設として整備されている。この敷地の一部は東京都港湾局により「海の森公園」として整備中であり、東京2020オリンピックの馬術競技会場として利用された後に開園を予定している。
 この建設途中の公園用地で、2015年5月に大規模なランニングイベントが開催された。Color Me Rad は、色とりどりの粉やアップテンポの音楽に合わせて楽しみながら走る「カラーランイベント」の一つで、毎年さまざまな場所で開催され人気を博しているが、2015年にはこの海の森公園建設地で行われた。東京湾に浮かぶ人の住まない埋め立て地の、しかも無人の公園建設地で開催するイベントであったが、若者を中心に約2万人が集まった。チケットの販売価格が7,500円であったことを考えると、収益性と宣伝効果の高いイベントの成功例と言える。
 このイベントの成功要因こそまさに「非日常性」の提供である。お台場からバスで20分程度の都心で、ゲートブリッジやベイエリアの高層ビル群を眺められる好立地であるにもかかわらず、約50ヘクタールもの広大な空き地で数万人が同じ目的で集うという非日常性が、若者の心をつかんだのである。


Color Me Rad Tokyo 2015 屋外ステージでは音楽ライブイベントも開催された


対岸には、台場の観覧車をはじめとする臨海部のビル群が見える


 このように土木インフラには、市民生活を守る基盤としての機能だけでなく、その存在自体が市民の好奇心を刺激し、集客に結びつくという可能性も秘めている。近年、土木インフラをはじめとする様々な社会資本を、集客や営利活動といった本来の機能とは別の用途でも活用する動きが多くなっている。

4.増えつつある「社会資本の多面的活用」
 例えば、公園に関しては、2017年に改正された都市公園法によって公募設置型管理制度(いわゆる、Park-PFI)が制定された。また、2020年2月に道路法改正案が閣議決定されたことによって、道路空間におけるオープンカフェや店舗の設置が進むことが期待される。さらに、河川敷地占用許可準則が2011年と2016年に改正されたことで、河川敷地内に最長で10年間の営業施設の占有が可能となった。これらはいずれも、公共空間(オープンスペース)を営利目的で活用できる柔軟な法制度の制定が進んできていることを指している。
 では、防災空間の活用についてはどうか。ニューヨーク市は2012年にアメリカ東部を襲ったハリケーン「サンディ」からの復興のために、国際復興デザイン実施コンペティション(Rebuild by Design)を行った。こうして始まった復興事業はBig-U プロジェクトと名付けられ、災害時と通常時とで柔軟に運用を変えるインフラの整備計画が進められている。例えば、水際の低平地を通常時はスポーツレクリエーション公園として開放し、洪水時には氾濫原として利用している。あるいは防潮堤の代わりに上下に可動する防潮扉を採用することで、通常時は親水公園として市民の憩いの場として開放する計画もある。いずれも防災施設や防災空間にひと工夫を施すことで、防災としての用途だけでなく災害時以外の市民のアメニティ施設としての機能を発揮している例と言える。
 一方で日本でも、かまどベンチ(※1)といった通常時と災害時とで柔軟に用途を変える防災施設の例は、小規模ながら散見される。その中でも六本木ヒルズけやき坂コンプレックスの屋上緑化は、比較的規模の大きな事例である。これは屋上庭園と建物本体を積層ゴムで切り離し、地震エネルギーを吸収する制振ダンパーを設けることで、地震の揺れを屋上部分で集中的に吸収し建物本体の揺れを小さくするという仕組みとなっている。この庭園はビルの入居者等を対象に、稲作体験や農業ワークショップ等のサービスを提供するオープンガーデンとして利用されている。制震ダンパーという防災設備を、通常時に屋上庭園というアメニティ施設として活用しており、防災施設と他機能を掛け合わせることに成功した比較的規模の大きな事例と言える。しかしながらさらに大きなスケールを対象に、土地利用レベルで防災空間を多面的に活用した事例は、日本国内においてはまだ少ない。


けやき坂コンプレックスの屋上緑化 背後には六本木ヒルズ森タワーが見える


 新しい試みとしては、河川空間とまち空間が融合した良好な空間形成を目指す「かわまちづくり」の取り組みがある(※2)。一例として、隅田川の防災船着き場を通常時に舟運事業として活用したり、荒川の岩淵水門をプロジェクションマッピングとライトアップによって花火大会を盛り上げたりするのに活用されている(※3)。このように現時点では実証実験レベルの事例が多いものの、少しずつ防災空間を積極的に活用した集客事業等が増えつつある。

5.本稿のまとめと今後の課題
 このように土木インフラをはじめとする大規模な都市基盤は、安全で快適な市民生活の維持のために重要な役割を担っているものの、整備に係る費用や期間が非常に長大になる。そのため特に防災の用途で計画される施設は、住民等の関係者との合意形成が困難となる場合が多い。一方でこれらの大規模なインフラ施設は、その圧倒的なスケール感が見る人に「非日常性」という感動を与え、集客イベント等の営利事業を行う場としてのポテンシャルを持っている。今後はこれらの防災空間を、営利事業をはじめとする多面的な用途で利用することで、施設の整備や管理に対する地元理解を深めたり、営利事業の収益をその施設の維持管理や地元還元に活用したりする動きが活発化すると期待される。
 これらの実現に向けた課題として、営利施設等の設置や撤去の簡便さが挙げられる。土木インフラは、あくまでその施設本来の目的の用に供するためのものであることから、原則としてその他の用途により本来の機能が阻害されてはならない。例えば、地下調節池に集客事業のイベントステージを設置したとして、それが洪水時の水の流入を妨げることは許されない。そのため大雨時等、防災施設の機能を発揮する場面では、それ以外の用途となる施設は速やかに撤去されることが求められる。このことが、土木インフラ等の多面的活用が大規模な事業として普及しにくい理由の一つと言える。
 この課題解決には、東京オリンピック・パラリンピックでの施設整備の知見が参考になると考えられる。世界最大規模のイベントであるオリンピックの会場には、数多くの仮設施設を最大限に活用したが、短時間で設置でき、短時間で撤去復旧できる仮設施設は、土木インフラの多面的活用にも有用であると期待できる。
次回はこれら仮設施設をはじめとして、「リムーバブル」をキーワードに、東京五輪準備のソリューション等を参考にしながら、オープンスペースや未利用・低利用空間の多面的活用の後押しを具体的に検討する。

(※1) 通常時はベンチ、災害時はかまどとして活用できる 「かまどベンチ」参照:公益財団法人東京都公園協会
(※2) 防災船着場整備によるかわまちづくり参照:国土交通省全国かわまちづくりMAP
(※3) 北区かわまちづくり(岩淵水門のプロジェクションマッピング)参照:国土交通省全国かわまちづくりMAP

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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