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芋こじという魔法

2015年11月10日 井上岳一


 「芋こじ」という言葉をご存知でしょうか。
 「芋をこじる」の意味で、桶の中に里芋と水を入れ、棒や板でかき回すことを言います。こうすると、芋と芋とがぶつかり合い、こすれ合って、うまい具合に汚れが落ちてゆきます。飛び出る芋があれば、拾って入れてやる。そうやって続けていれば、どの芋も傷つくことなく、自然に綺麗になってゆきます。

 この芋が互いに磨き合う様子に、集団研鑽の原理を見出したのが、二宮尊徳でした。二宮尊徳(1787〜1856年)は、藩政改革や疲弊した農村の復興に尽力した、江戸時代後期の思想家・農政家です。尊徳が直接・間接に復興に関わった農村は600余と言われていますが、復興に当たって重視したのが、農民同士の集会、話し合いでした。農民達自身の内発的な意欲と努力がない限り、復興は不可能であることを知っていた尊徳は、それを生み出すための場として、農民同士の話し合いの場を持つようにしていたのです。そして、この話し合いの場のことを「芋こじ」と呼んでいました。

 2012年の冬、東日本大震災の被災地で、福島第一原発から20km圏内の福島県南相馬市小高区を訪ねた折、市役所の玄関に二宮尊徳の銅像があるのを見て、尊徳が実践していたという芋こじを実践することから、復興の道筋がつけられないかと思いました。相馬中村藩だった相馬・南相馬地域は、かつて尊徳の農村復興に最も熱心に取り組んだ地域であったことを思い出したからです。

 避難指示解除準備区域に指定され、人が住むことができない小高区では、主婦達がNPO法人を立ち上げるべく、準備が進んでいました。そこで、2013年4月に設立されたこのNPO法人「浮船の里」と協働し、5月から、住民達の話し合いの場「芋こじ会」を毎月一回の頻度で実践することとしたのです。以来、2年半の間、毎月開催してきた芋こじ会は、そろそろ30回目を迎えます。

 最初の4カ月間は愚痴ばかりでした。東電・国・自治体に対する不平と不満、それに自分と自分の家族に関する不安。しかし、一通りそれらを出し切ってしまうと、「こんなことばっかり言っていても始まらないよね」「何かやらなきゃ」という声が上がるようになったのです。それをきっかけに、前に進めなくなっていた住民達が、自分達なりのやり方で前を向いて歩き始めました。「昔、盛んだった絹織物をやってみたい」という声をきっかけに、養蚕、紡織、染織を全て手作業で行う手仕事プロジェクトが始まり、「寒い中で働いている人達に温かい食事を出してあげたい」という声をきっかけに、主婦達が運営する食堂が立ち上がりました。

 最初は浮船の里のメンバーを中心とした小高の住民と日本総研、それに浮船の里を支援していた中間支援団体の面々だけで始まった芋こじ会ですが、今では役場の職員、福島大学や東京大学の学生、それに外部の企業、マスコミ関係者など、色々な立場の人たちが集い、ざっくばらんな話し合いをする場に育っています。

 立ち上げ時から、芋こじ会のファシリテーターを務めてきましたが、事前に暗黙のルールとして決めたのは、話し合うべきテーマを決めず、アウトプットもゴールも定めないことでした。一見ズルズルの会合ですが、どうしてそれが住民達の新しい取り組みを生む場として機能していったのか。

 一つには、結論を急がなかったからだと思います。原発被災地が抱える問題は大きすぎて、簡単に答えの出ない問題ばかりです。個人としても判断がつかない問題ばかり。そういう状況の中で夢を語っても虚しいし、判断を迫っても致し方ない。だから、答えの出ない問題には答えを出そうとしない。でも、問題そのものをないことにもしない。そして、直視するのは疲れるので、とりあえず宙吊りにしておく。そうやって宙吊りにしておけば、忘れないし、無視もできない。すると、その問題の重みに押されるようにして、不思議と、何かが始まっていくのです。

 もう一つ、聞き役に徹する役割としてファシリテーターを置いたことも大きかったと思います。ファシリテーターをあえて定義するなら、「一番熱心に聞く人」「聞き役に徹する人」だというのが、3年間芋こじ会のファシリテーターを続けてきた中で辿り着いた結論です。ファシリテーターは、議事進行をする人でも、意見をまとめる人でもなく、その本質は、「聞き役」です。聞いてくれる人がいるから話せるし、話したいと思う。また、話し合いをしていれば、どうしたって感覚の違いや意見の違いは出てきますが、その時に、聞き役に徹する人がいると、異なる意見が異なるままに受け止めてもらえる。意見の違う人の話を真正面から受け止めるには度量がいるけれど、聞き役に向かって話している話を横から聞いている分には案外聞けるものです。そうやって冷静に聞いているうちに、「なるほど」とか、「一理はあるよな」と思えてくる。ですから、ファシリテーターが何も結論を出さなくても、ただ聞いているだけで、その場にいる人たちが勝手に歩み寄ってくれる。聞き役という緩衝役がいることで、「芋」同士が、うまくこすれ合い、磨き合うようになるのです。

 そう思いなすと、改めて「芋こじ」という言葉の持つ深みに思い至るのです。芋こじに必要なものは、芋はもちろんですが、桶と水、それにこじる棒・板と人です。芋こじ会において、芋は集う住民、桶は集う場ですが、潤滑剤となる水を入れ、棒や板を使ってこじるのが、ファシリテーターの役割なのでしょう。

 とは言え、最近は、勝手に皆がこじり合ってくれています。行き詰まった時に話題を変えたり、笑いを入れたりする潤滑剤的なことも、住民達自身が勝手にやってくれる。だから、こじることもせず、介入もせず、ただ聞いています。聞き役に徹する度合いが、以前より高まっているのですが、そのほうが、むしろ雰囲気がいい。話し合いというものは、実に奥深いものです。

 後で知ったのですが、二宮尊徳の思想を受け継ぐ人達は、それぞれに芋こじの実践をしているようです。組合員一人一人の資産が1億円を超え、最も成功した漁協として有名な北海道のサロマ漁協では、昭和39年から毎月、欠かさず芋こじと名付けた常会をしてきたそうです。尊徳の生まれ故郷の小田原市では、市長と住民の対話集会が芋こじと呼ばれています。

 話し合えば何かが動き始める。逆に言えば、話し合わない限り、何も始まらない。そのことを実感させてくれるのが芋こじです。この魔法に満ちた芋こじ、皆さんの職場や地域でも始めてみてはいかがでしょうか?


※執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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