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【論文】
アメリカのインフレ連動債発行を巡る視点

1996年08月25日 調査部 河村小百合


要約

アメリカ財務省は去る5月16日、「インフレ連動債」の発行を96年内に開始する計画を発表した。投資主体としては、年金資金や教育資金目的での貯蓄を行う個人投資家が想定され、発行目的としては、インフレ率を上回るリターンの保証による、国家としての貯蓄の強化が挙げられている。

「インフレ連動債」とは、債券購入者に対して債券発行者が支払う金利を、実際の着地ベースのインフレ率に連動させるものである。その特徴としては、[1]実質金利が発行時点で確定しているという意味で、債券購入者にとっては、従来型債券購入の際に生じ得る「インフレ・リスク(着地ベースのインフレ率が債券購入時点での予想を上回った場合に実質金利が目減りしてしまうこと)」を回避できること、また同時に、国債の場合、債券発行者である政府に対しては、インフレ抑制のための強いインセンティブが働くこと、[2]従来型債券の利回り構造における「インフレ・リスク・プレミアム」の存在を根拠に、債券発行者にとっての利払い負担は、総じて、従来型債券を発行した場合よりも軽減されると考えられること、などの点が指摘できよう。

インフレ連動債について、欧米諸国ではすでに過去かなりの期間にわたり活発な議論がなされてきているが、その主要なポイントとしては、以下の3点が挙げられる。すなわち、[1]インフレ連動債の発行によって政府の利払い負担は本当に軽減されるのか、という点、[2]インフレ連動債と従来型債券が並列的に発行された際に、両者の利回りから市場の期待インフレ率を抽出し、金融政策運営に役立てることが可能かという点、[3]中央銀行がインフレ連動債を公開市場操作の玉とした場合に、資本市場への影響力を高め、マネタリー・コントロールの効率性の向上に役立てることが可能かどうかという点、である。

他の主要国に先駆けて、投資家に対する多様な投資手段の提供という観点から、インフレ連動債を発行してすでに10年以上の実績を有しているイギリスの経験は、これまでのところ総じて肯定的に評価されている。すなわち、最近時点でのその発行残高は、全国債残高の17%を占めるに至るなど、市場規模は順調に拡大している。また、政府の利払い費への影響については、その節減につながったことが実証研究によって示されている。

わが国においても、低成長経済への移行と高齢化社会の進展が同時に進行する中で、今後の年金システムの改革、すなわち確定拠出型年金システムの部分的な導入が不可避とみられている。こうした状況下、投資家に対して実質金利が保証されている投資手段を提供するという意味で、インフレ連動国債の発行を検討する余地が生じる可能性がある。その意味で、わが国としても、アメリカやイギリスにおける本制度の帰趨を注意深く見守る必要があろう。


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去る5月16日、アメリカ財務省はインフレ連動債(Inflation Indexed Securities、一般的にはこの呼称が用いられることが多いが、アメリカの場合の正式名称は「インフレ防衛債<IPS:Inflation-Protection Securities>」)の発行計画を公表した。本稿ではまず、わが国においてはこれまでのところややなじみが薄い「インフレ連動債」の概念を明らかにした上で、本方式国債(債券)に関するこれまでの議論のポイントを整理する。次に、他の主要国に先駆けて、投資家に対する多様な投資手段の提供という見地から本方式の国債を発行し、既に10年以上の実績を有しているイギリスの経験を検討する。そして最後に、経済・金融環境が大きく変化する中で、わが国としては、今後の自国の制度改革を展望しつつ、アメリカにおける新たな試みをどのような視点で見守っていくべきかについても触れることとしたい。

1.「インフレ連動債」の概念

(1)「インフレ連動債」の定義

インフレ連動債とは、債券購入者(債権者)に対して債券発行者(債務者)が支払う金利を、実際の着地ベース(実現されたベース)のインフレ率に連動させるというものである。すなわち、従来型の債券(conventional bonds)とは、発行時点において、支払い金利が、名目ベースでは確定されている一方で、実質ベースでは未確定である債券と定義付けることができる。他方インフレ連動債とは、投資家に対して、発行時点で決定される実質金利に支払い時点での実際の着地ベースのインフレ率を加えた利子が支払われるというものであり、発行時点における支払い金利は、従来型債券とは逆に実質ベースでは確定されているものの、名目ベースでは未確定である債券と定義付けることができよう。なお、インフレ連動債の発行方式としては、第2章で触れるように、元本と金利のうちのいずれをインフレ率に連動させる形とするかなどによって償還までの間のキャッシュ・フローの異なる複数のバリエーションがあり得る(ただしいずれの方式においても実質金利は同一になる)ことに注意する必要がある。

(2)インフレ連動債の特徴

インフレ連動債の第一の特徴としては、債券購入者(債権者)にとって、従来型債券を購入した場合には不可避の、発行時点での実質金利未確定という意味でのリスクの回避が可能となる点が指摘できる。すなわち、従来型債券を購入した場合、債券購入者にとっては、着地ベースのインフレ率が債券購入時点での予想インフレ率を上回った場合、実質金利が目減りしてしまうという、いわば「インフレ・リスク」が存在するが、インフレ連動債が発行されれば、このようなリスクを回避することが可能になるわけである。

また、この点と表裏一体をなす事柄として、インフレ連動国債が発行されれば、債券発行者である政府に対して、経済政策運営に当たり、従来型国債のみを発行した場合よりもインフレ抑制の強いインセンティブが働くという効果も期待できよう。すなわち、国債発行者としての政府は、他の経済主体とは異なり、資金調達を行いながらも、経済政策運営次第で、償還までの期間におけるインフレ率に対してある程度影響を及ぼすことができるという特殊な主体であるため、従来型国債を発行して資金を調達する場合、実質ベースでの支払い金利を自らコントロールすることができることになる。その政府がインフレ連動国債を発行して資金を調達する場合、実質ベースの支払い金利こそ確定しているものの、インフレの進行を容認してしまっては、名目ベースでの支払い金利が増嵩してしまうため、国債の利払い費節減の観点からも、インフレ抑制のための強いインセンティブが働くことになろう。

また、第二の特徴としては、理論的に、現在のところ多数説とみられる見解によれば、債券発行者(債務者)にとっての支払い金利、すなわち資金調達コストを、ケース分けして期待値をとる形で考えると、従来型債券を発行する場合よりも少なくて済むものと考えられる点(注1)が挙げられる。

金利形成に関する[1]イールド・カーブの期待理論、および[2]フィッシャー方程式、の考え方に基づけば、従来型債券の利回りの構造は図表1のように理解することができる。すなわち、[1]によれば、長期金利は、将来における短期金利の予想の累計と考えることができる。また、[2]によれば、名目(短期)金利は予想インフレ率と実質金利との和であると理解することができる。さらに、債券発行時点では償還時点までのインフレ率(年率)は不確定であり、その分のリスク・プレミアムも金利に上乗せされると考えれば、従来型債券の利回りは[1]発行時点での実質金利、[2]発行時点での予想インフレ率、[3]インフレ・リスク・プレミアムの和(いずれも年率)であると考えることができよう。これに対してインフレ連動債においては、発行時点では実質金利のみが決定され(注2)、実際の各利払い時点においては、これに着地ベースのインフレ率を上乗せした金利が支払われることになる。

利回りの構造に関するこのような理解を前提として、インフレ連動債、従来型債券のそれぞれを発行した場合の支払い金利を、発行時点での予想インフレ率と金利支払い時点での実際の着地ベースのインフレ率との関係によって以下の3つのように場合分けして比較してみよう。

・各利払い時点でのインフレ率が発行時点での予想の水準に着地した場合(図表1におけるB0=B1)
インフレ連動債の場合、実質金利プラス着地ベースのインフレ率分の金利が支払われればよいため、従来型債券に比較してインフレ・リスク・プレミアム(図表1におけるC0)の分だけ利払い費を節減できることになる。
・各利払い時点でのインフレ率が発行時点での予想を上回る水準に着地した場合(図表1におけるB1>B0の場合)
債券発行者が利払い費を節減できるかどうかは、図表1におけるB1-B0とC0との大小次第。
・償還時点までのインフレ率が発行時点での予想を下回る水準に着地した場合(図表1におけるB1<B0の場合)
債券発行者はB0-B1+C0に相当する利払い費を節減することが可能。

この[1]~[3]の場合分けに関し、着地ベースのインフレ率が債券発行時点での予想を上回るか下回るかについて、確率的には全く同等であることから、債券発行者の利払い費の期待値をとれば、インフレ連動債を発行する場合の利払い費は、従来型債券を発行する場合よりも少なくなると考えることができる。このように考えれば、インフレ連動債の発行により、債券発行者が支払金利を節約できると考えられる根拠は、従来型債券の利回り構造の考え方におけるインフレ・リスク・プレミアムの存在に求めることができよう。ただし、リスク・プレミアムの種類や存在については異論があり、この点が、インフレ連動債の発行が支払金利の節約につながるとみるか否かの分かれ目となっている(詳細後述)。

(3)各国におけるインフレ連動債の発行実績

このような特徴を有するインフレ連動債は、すでに国債としていくつかの国で発行されている。ただし、注意すべきは、その発行目的が一様ではない点である。すなわち、[1]ハイパー・インフレーションに直面した状況下で、自国の長期資本市場の崩壊を未然に防ぐため(アルゼンチン、ブラジル)、[2]第二次世界大戦後の経済安定プログラムの一環として(フランス、フィンランドなど)、[3]投資家に対する多様な投資手段の提供という見地から(イギリス、カナダ、オーストラリアなど)、など、各国によるインフレ連動国債の発行目的は様々である。なお、後述のように、今回インフレ連動債の発行計画を発表したアメリカの場合は、財務省の発表内容にもある通り、その発行目的は[3]に該当する。また、日本においても同様の[3]の目的でインフレ連動国債の発行を今後検討する余地があると考えられるため(詳細後述)、[3]の目的に立脚しつつ、1980年代初からすでに今日に至るまで10年以上の期間にわたりインフレ連動国債を発行し、かつ最近時点で他国をかなり上回る規模の発行実績を有している(図表2)イギリスの経験が、今後実施に移されるアメリカでの試みと共に、わが国にとっては大いに参考になることとなろう。

2.アメリカ財務省によるインフレ連動債発行計画の概要

アメリカ財務省による5月16日の公式発表、および6月11日に東京で開催された投資家向けの財務省ブリーフィングの内容に基づく、インフレ連動債(正式名称は「インフレ防衛債」)の発行計画の概要は以下の通りである。

発行目的:国債の購入者にインフレ率を上回るリターンを保証することにより、国家としての貯蓄の強化を図ること(注3)。

発行開始時期及び条件:96年内の発行開始を予定(注4)。年4回のquarterly refundingで定期的に発行していく。詳細な発行条件については、投資家の意見を聞いた上で今後具体的に決定。

期間(ターム):目下のところは10年物と30年物を考えている。

発行単位:最終投資家としては個人投資家を主に念頭に置いているため、最低1千ドルと小口化する予定。

想定される投資主体:老後への備えや子供の教育資金などの目的で貯蓄する個人投資家を考えている。そうした個人投資家が強い興味を示せば、年金基金やミューチュアル・ファンドなどの機関投資家も投資に加わることになろう。

インデックス化に使用するインフレ率の指標:[1]CPI-U(The Consumer Price Index for All Urban Consumers)、[2]コアCPI-U、[3]雇用コスト指数、[4]GDPデフレーターの4つのうちのいずれか、ないしその組み合わせを考えている。ただし、6月11日のブリーフィングの際の財務省担当者の説明によれば、[4]は定期的にデータの改訂が行われるため、インフレ防衛債の指標としてはあまり適切ではない、また、[3]はアメリカ国内の年金基金、奨学基金がこれに連動した負債を抱えているため、インフレ連動債の指標として適している可能性があるとの判断を現時点では行っている模様。

発行方式:以下の4つ(5月16日の発表時点では、選択肢は[1]~[3]の3つであったが、6月11日の東京での財務省担当者の説明によれば、それまでのブリーフィング<アメリカ国内主要都市、ロンドンで実施>の際に投資家から提案された[4]の方式も候補に加えられた由)が検討対象となっている模様(図表3)。

ただし、ここに挙げられたいかなる方式を採用したとしても、発行から償還までの間におけるキャッシュ・フローはそれぞれ異なるものの、実質金利はすべて同一となる。

3.「インフレ連動債」を巡るこれまでの議論の要点

インフレ連動債は、わが国においてはまだなじみの薄い概念である。しかしながら諸外国においては、この発想自体は新しいものでもなく、その起源はエリザベス1世時代のイギリス(16世紀)にまでさかのぼることができる。アメリカでは1970年代から議論がなされてきており、90年代に入ってから議論が再び活発化している。そのような議論が土台となって、財務省による今回のインフレ連動債発行計画が発表されたものと考えられる。

アメリカにおいて近年議論が活発化し、今回の具体的な計画の発表に至った背景としては、以下の2点が考えられよう。すなわち、[1]高齢化の進展に伴い、年金目的での貯蓄のための金融商品を充実させる必要性が高まってきたこと、すなわち同国の企業年金システムにおいて、従業員のリスク自己負担型ともいえる「確定拠出型年金プラン」がすでに導入されており、近年「確定給付型年金プラン」から移行が進んでいる(注5)ことを背景に、個人投資家に対して、インフレ・リスクのヘッジが可能で実質利回りが保証されている投資手段を提供するニーズが一段と高まってきたこと、[2]物価が低位で安定し始めたため、インフレ連動債の導入により政府の名目ベースの利払い費が却って嵩むケース(着地ベースでのインフレ率が発行時点での予想インフレ率を上回るケース、第1章(2)における[2]のケース)の蓋然性が低下してきたとみられるため、政府にとってはインフレ連動債を導入しやすい環境になったこと、の2点が挙げられよう。

(1)政府の利払い負担は本当に軽減されるのか?

インフレ連動債に関してこれまで議論されてきた主要な論点のうち、まず、第1章(2)でインフレ連動債の第二番目の特徴として指摘した、「従来型債券の発行と比較した際の、債券発行者の利払い負担の軽減」の点については、異論が存在する。

債券発行者の利払い負担の軽減の肯定派の根拠は、すでに述べたように、従来型債券の利回り構造における「インフレ・リスク・プレミアム」の存在である。発行日や満期といった発行条件がほぼ一致する従来型債券とインフレ連動債が存在することを前提として(発行条件の差が大きければそれをあらかじめ計算によって調整した上で)、両者の利回りの差を求めれば、期待インフレ率とインフレ・リスク・プレミアムの和を求めることはできるものの、そのうちのどれほどが期待インフレ率であり、どれほどがインフレ・リスク・プレミアムであるかという定量的な把握は一意対応的には行い得ないと考えられる。しかし、一説によれば、アメリカのT-Bondにおけるインフレ・リスク・プレミアムは利回りの50~100ベーシス・ポイントと推定されているほか、Bank of Englandの推定によれば、同国のインデックス連動債におけるインフレ・リスク・プレミアムは50ベーシス・ポイント以上とされている(Summers<1996>)。

このインフレ・リスク・プレミアムは、過去の実績としてのインフレ率の、[1]水準が高いほど、また、[2]volatilityが大きくなるほど、大きくなる(Munnell<1986>)との考え方は、直感的にも妥当と考えられる。しかしながら、このように考えた場合、過去に比して物価がきわめて安定的に推移している現時点のアメリカにおいては、従来型債券の利回りの構造の中に、明確に認知されるほどのインフレ・リスク・プレミアムは存在せず、従ってインフレ連動債を発行しても、政府の利払い負担の軽減にはつながらないという反論が存在する(Kaufman<1996>)。

また、利回り構造の中におけるリスク・プレミアムの種類としては、他に「流動性(liquidity)リスク・プレミアム」の存在を指摘する向きもある(Shen<1995>)。これは、インフレ連動国債を発行したとしても、これに投資する投資家が限定されるため、そもそもの発行規模が従来型国債に比しかなり限定されてしまうとみられるほか、その投資目的からして中途で売買せずに償還時点まで保有し続ける投資家が多いとみられるため、secondary marketにおける流動性が従来型国債に比してかなり低くなってしまうという、イギリスなどにおける実際の経験に基づき、インフレ連動国債の利回りには、実質金利に加えて、従来型国債にはない流動性リスク・プレミアムが上乗せされてしまう可能性があるという考え方である。こうした考え方によっても、インフレ連動国債を発行しても、政府の利払い負担は必ずしも軽減されないとの結論に至ることがあり得よう。

(2)期待インフレ率、実質金利指標としてのインフレ連動債の有用性

また、インフレ連動債を巡っては従来型債券と並列方式で発行することにより、両者の利回りから市場の期待インフレ率を抽出することができ、金融政策運営に資するとの考え方がある。この点は92年6月のグリーンスパンFRB議長証言においても肯定されているところであり、その中で同議長は、両者の利回りの差から期待インフレ率を読みとることができ、賃金・コストの上昇圧力をその初期段階で把握できることのみならず、その推移を定期的にモニターすることにより、当局の政策運営に対する市場の信認をも読みとることができるとしている。また、すでに10年以上に及ぶインデックス連動債の発行実績を背景に、四半期毎に公表される"Inflation Report"の中で定期的に期待インフレ率の推移を算出・公表(図表4)しているBank of Englandは、期待インフレ率や実質金利は、金融政策の伝播(transmission)の過程で枢要な役割を果たすものであり、これらは政策当局にとって重要であるのみならず、実際に投資や消費といった意志決定をなすに当たっての重要な判断材料となり得るという意味で、民間の経済主体にとっても重要である(Bank of England<1995>)としている。

ただし、インフレ連動債と従来型債券の利回り構造に関する、第1章(2)で述べたような理解を基に、それらの利回りから実際に期待インフレ率や実質金利を抽出するに当たっては、すでに(1)でも触れたように、考え方によっては、インフレ・リスク・プレミアムや流動性リスク・プレミアムがこれらの中に必ず混在してしまうことになる。また、金利収入に対する課税が、従来型債券とインフレ連動債とで異なる方法で行われている場合には、その要因分の調整もそれぞれの利回り構造の中に含まれてしまい、結果的に抽出した期待インフレ率や実質金利に含まれてしまうこともあり得よう。こうした問題に関しては、期待インフレ率や実質金利の「水準」をみるのではなく、その「変化」をフォローするようにすれば解消され、期待インフレ率や実質金利の変化をガイド指標として各経済主体が役立てることができるのではないか(Breedon<1995>)という考え方が提示されている。

(3)公開市場操作の玉としてのインフレ連動債の有用性

また、インフレ連動債に関しては、これを中央銀行が公開市場操作の玉とすれば、従来型国債などを玉とする場合よりも、よりequity capital(株式など。その収益はより実質金利に近いものと考えられる。)に近いものを売買することにより、資本市場への影響力を高め、マネタリー・コントロールの効率性を高めることができるとの考え方(注6)もある。しかしながらこれはそもそも、前提としてインフレ連動債の発行規模が相当に大きくならない限り、その実現可能性は低い話である。また、金融政策運営に当たって、長期金利、とりわけその中の実質金利部分のコントロールの重要性をどのように評価するかという点とも絡んでくる問題であると言えよう。

4.イギリスにおけるこれまでの経験

イギリスでは、81年3月以降、インデックス連動債が発行され、その後、発行残高は順調に拡大し(とりわけ92~95年の3年間に86%増加)、現在全国債(Gilts)残高の17%を占めるに至っている(図表5、6)。

Bank of EnglandおよびHMTreasuryのとりまとめによる公表資料(Bank of England<1995>)などによれば、インデックス連動債の発行状況は以下の通りである。

最終投資家の内訳をみると、95年4月5日現在で登録されているインデックス連動債の保有者は10万人強に達しているが、その57%(全人数に占めるシェア)は個人投資家と認識されている。また、金額的には、インデックス連動債の最大の保有者は年金基金及び保険会社であり、発行残高の約8割を保有していると推定されている。これらはともに、ヘッジしなければならない実質債務を抱えており、また、必ずしも償還まで保有し続ける必要性はないにもかかわらず、一般的には"buy-and-hold investors"と考えられている点で共通である。ちなみに、ターム別にみると、10年物程度までの短めのインデックス連動債に対しては、個人投資家が強い投資意欲を有していることが窺われるものの、それ以上のターム物については、機関投資家の保有が大宗を占める形になっている。個人投資家が投資対象として短めのターム物を強く選好している点について、Bank of Englandでは現在のところ詳細な背景、理由は不明としている。

インデックス連動債の主たる投資家である年金基金や生命保険会社のポートフォリオ構成の観点からその保有残高の推移を追うと(図表7、8)、81年の発行開始以来、ほぼ一本調子での増加傾向をたどっていることがわかる。この点はとりわけ年金基金に顕著であり、インデックス連動債の占めるシェア(95年)は、年金基金による英国債の全保有残高の46.4%、同総資産残高の5.0%にまで達しており、インデックス連動債に対する強い投資意欲が窺われると言えよう。

また、secondary marketにおけるインデックス連動債の売買規模は、取引金額ベースで従来型国債の25分の1、取引契約数ベースでは同5分の1と、従来型国債と比較してかなり小さくなっている。

インデックス連動債の導入が、政府の利払い負担にいかなる影響を及ぼしたのかについては、これまでのBank of England内部の実証研究(注7)によれば、82年にインデックス連動債保有が全面的に自由化されて以降、政府の利払い費の軽減につながったことが肯定されている。本研究によれば、着地ベースのインフレ率は、発行時点での従来型国債の利回りとインデックス連動債の利回りの差よりも1.7%ポイント低く(第1章(2)における、「インフレ率の発行時点での予想と実際の着地との差」と「インフレ・リスク・プレミアム」の和に相当)、その分政府の利払い負担が軽減されたとの結果が得られている。
イギリスにおけるインデックス連動債の導入に関しては、これまでのイギリス国内、及び諸外国における主な研究などに鑑みれば、一部(例えば期待インフレ率および実質金利の抽出・利用方法など)に問題点もあるものの、総じて肯定的な(ないし決定的に否定的に評価すべき点はないとの)評価が一般的であると言えよう。

5.わが国へのインプリケーション

低成長経済への移行と高齢化社会の進展が同時に進行する中で、年金目的での貯蓄のための金融商品を充実させる必要性が高まっている点では、わが国が置かれている状況は、アメリカやイギリスといった他の先進諸国と何ら異なるところはない。また、以下に述べるように、わが国においても、近い将来における年金システムの改革が不可避である点に鑑みれば、投資家に対して、インフレ・リスクのヘッジが可能で実質金利が保証されている投資手段を提供し、金融商品の品揃えを拡充するという意味で、政府がインフレ連動国債を発行することには、アメリカにおける試みの結果にもよるが、検討の余地があるのではないか。

すでにみたように、アメリカにおいては、経済構造変化を先取りする形での年金システムの改革が実行され、それに伴い、確定拠出型年金の規模が確定給付型を上回るなど、年金資金の実態もすでに大きな変貌を遂げている。

しかしながら、わが国においては、類似した経済構造変化のさなかにありながらも、年金システムの改革がこれに追いついていないため、従来の年金制度の限界が次第に明らかになりつつあるのが現状である。それゆえ、喫緊の課題として、年金システムをいかに改革するかについて、目下活発な議論が行われている。そうした中で、厚生年金基金制度研究会が去る6月24日にまとめた年金基金制度改革案においては、確定拠出型年金システムに関して、「部分的に」との制約つきながらも、その導入が望ましいとの明確な言及がなされた。わが国においては、現状では、年金に関してアメリカほどの自己責任原則を徹底するほどの土壌は整っていないと考えられるため、近い将来に、年金システムを現在のアメリカのような姿に大きく改革することが適当であるとは考えにくい。しかしながら、経済構造の変化という時代の要請に鑑み、たとえ部分的とはいえども、確定拠出型年金システムが導入されることになれば、加入者は、自己責任原則の徹底を迫られることになる。そうなれば、加入者は、近年のアメリカにおいて個人の年金資金がミューチュアル・ファンドなどを通じて株式市場などに流入し、市況の好調を支える結果となっているように、年金資金を元手にハイ・リターンを狙うことも自由となるが、他方で相場の見通しが外れた場合のリスクも自ら負わなければならない。このように考えれば、政府が発行するという意味で安全性が極めて高く、さらにインフレ・リスクのヘッジが可能で実質金利が保証されている金融商品であるインフレ連動国債は、年金目的での貯蓄のための手段として適しており、新たなニーズが出てくる可能性がある。また、政府サイドとしても、年金目的の貯蓄に関するリスクを今後国民各個人に転嫁していくのであれば、同時にインフレ・リスクの面でも安全性の高い金融商品を提供することが、社会的な安定確保の見地からも、政策的に必要になってくる可能性があるのではないか。

このように考えれば、わが国としても、投資家のニーズに見合った金融商品の拡充の観点から、インフレ連動国債の発行を今後検討する余地があると言え、その意味で、今般新たにインフレ連動債を発行しようとしているアメリカや、すでにこれを導入しているイギリスにおける帰趨を注意深く見守ることが必要であろう。

その際には、実際には、[1]どれほどの発行規模が確保できるか、という点が、最も重要なポイントとなろう。また、[2]政府の利払い費は従来型国債のみを発行した場合に比較して本当に節減できるか、という点も、制度自体の導入の妥当性を議論するためには、不可欠であると考えられる。さらに、[3]インフレ連動債の期待インフレ率、実質金利指標としての有用性の点に関しては、必ずしも本方式導入のための不可欠の要件ではないと考えられるが、その有用性が肯定されれば、本方式導入の意義がさらに増すことになろう。

なお、[1]の点に関しては、既述のようなイギリスのこれまでの経験(インデックス連動債の発行残高がすでに全国債発行残高の17%に達しており、また、主力投資家のポートフォリオ構成の観点からみても、年金基金の保有する全国債のうちの半分近くをすでに占めるに至っていること)は、わが国におけるインフレ連動国債の導入に当たっての有力な支援材料になると考えられる。

また、[2]の政府の利払い費の節減の問題に関しては、アメリカやイギリスにおいて得られた、ないし得られるであろう結果にかかわらず、わが国の場合は、あまり多くの節減効果を期待できない可能性がある。すなわち、既述のように、政府の利払い費の軽減が期待できるとすれば、それは従来型国債の利回り構造におけるインフレ・リスク・プレミアムの存在が根拠となる。しかしながら、わが国のインフレ率は、過去の実績に照らし合わせると、水準(図表9)、volatility(図表10)の双方の観点で、アメリカやイギリスよりも低いために、インフレ・リスク・プレミアムはこれらの国ほどは大きくはならず、従って政府はさして利払い費を節減できない結果になる可能性があることに注意する必要があろう。


・第4章で触れるように、イギリスにおける「インデックス連動債(Index-linked Gilt)」発行の経験からは、この多数説的見解を支持する結果が得られている半面、現時点で、異論もアメリカなどでみられることに注意する必要がある(第3章参照)。
・債券の価格とは、当該債券から生ずる将来のキャッシュ・フローの割引現在価値であり、以下の式から算出することができるが、そこでの割引率がすなわち利回り(イールド)に相当する。インフレ連動債の場合の実質金利もこのイールドの一つとして同様に考えることができ、債券発行時点における価格(中途で売買された場合も同様にその時点の価格)を基に、以下の式によって算出することができる。
・ちなみにアメリカの場合、実質金利が相当なマイナスとなった期間が実際に過去に存在(Summers<1996>)。
・1972年に10年物T-Bondを購入して満期まで保有…実質金利は▲2.52%。
・1970年に3ヵ月物TBを購入して10年間ロール・オーバーして保有…実質金利は▲0.89%。
・1965年にS&P500を購入して10年間保有…実質金利は▲3.67%。
・ただしその後ルービン財務長官は、発行開始時期が97年初にずれ込む公算が大きいとの見解を7月29日に表明(7月30日付日本経済新聞夕刊)。
・「確定給付型年金プラン」とは、わが国における適格退職年金や厚生年金基金が採用している方式で、将来の給付額が報酬や勤続年数などによって定められており、それを賄うのに必要な積立金を年金数理計算によって算出し積み立てるという制度である。本制度の主体は企業であるため、年金資産の運用成績が不振の場合のリスクは企業が負う(不振分の穴埋めは企業の負担で行われるという意味)。
一方「確定拠出型年金プラン」とは、わが国の現行制度では採用されていない方式であるが、従業員や企業が拠出した金額とその実際の運用収益に応じて将来の給付額が決定されるというシステムである。本制度においては、従業員個人がある程度運用手段を選択できる代わりに、運用成績が不振となった場合のリスクも従業員個人が負うことになる。アメリカにおいて401(k)プランに代表される本方式の年金資金は、85~95年の10年間に3.3倍に拡大し、その残高は約1兆4千億ドルと、すでに確定給付型の残高を凌駕するに至っている(井潟<1996>)。本方式においては、各加入者毎に個別の口座が設けられ、拠出金及びその運用収益が蓄積されるため、各加入者はその残高を常時明確に認識することができることに加え、転職などの際にも年金プランの積み立てをそのまま継続できる(portability の高さ)点が、一般的には本方式のメリットとして評価されている。
・James Tobin,"Essays in Economics,Volume 1: Macroeconomics"(1971).
・F.Breedon,J.Ganley,"Bidding and Information : Evidence from Gilt-edged Auctions",in Debt Manegement Review : Background Research,Bank of England,August 1995.

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