Business & Economic Review 1996年08月号
地域に根ざしたマルチメディア教育システムを構築しよう
1996年07月25日 瀧口信一郎
1.普及期を迎えるマルチメディア教育
インターネット・ブームをきっかけに、日本も本格的な情報化社会への波に乗った感がある。その波に乗る形で、情報化社会で実現されるサービスとして長い間温められてきた、電子ショッピング、ビデオ・オン・デマンド、遠隔医療等のサービスが、実現へ向け進み始めている。コンピューター等の設備を使い、映像、音声を効果的に活用するマルチメディア教育も、情報化社会において実現される典型的なサービスの1つである。マルチメディア教育は実験の段階を過ぎ、一般への普及に向けた機運が高まっており、今後一段と、インターネット等を利用したマルチメディア教育が教育現場に浸透していくだろう。
しかし、インターネットの成果が派手に喧伝される一方、マルチメディア教育に関する議論において、見落とされている点はないだろうか。マルチメディア教育はどのような方向を目指すべきであろうか。本稿では、学習者の自主的教育を推進するという視点から、地域を中心にしたマルチメディア教育構築を提案する。
2.マルチメディア教育の現状
情報化社会において、マルチメディア教育は重要な位置づけがなされてきた。「パーソナル・コンピューターの父」と呼ばれる、アラン・ケイを始め、マルチメディアのリーダーたちは、マルチメディアの中心的存在として、マルチメディア教育を捉えてきた。マルチメディア教育とは、コンピューター等の設備を利用した教育であり、(1)映像、音声を利用した教育が進む(2)双方向性を利用した学習が可能になるという特徴を持つものである。(1)の映像、音声の効果を駆使するという面は、CD-ROM等のコンピューター・ソフトを利用したパッケージ型マルチメディア教育において、利用が進んでいる。日本では、今までに、様々な教育ソフト、趣向を凝らした授業等により、学習意欲を高める工夫が実践されてきた。
しかし、さらに重要な点は、インターネット等のネットワーク利用を中心に(2)の双方向性を利用した学習が可能になるという点である。
現在、アメリカでは、ゴア副大統領の提唱した情報スーパーハイウェイ(NII)と教育が密接に関連しており、教育という錦の御旗の下、ネットワークの拡大に連動しながら、マルチメディア・ビジネス拡大を狙う企業がひしめき合っている(図表1)。
アメリカだけではない。アジアでも、マルチメディア教育への流れは強まっている。例えば、マレーシアもマルチメディア教育に力を入れ始めた。マハティール首相の指揮のもとで、すべての学校をネットワークでつなぐというEDUNet構想が進められている。首相の同構想推進に対する意欲は並々ならぬものがあるだけに、マレーシアでもマルチメディア教育の急速な展開が今後十分に期待できよう。そうした中、日本もマルチメディア教育の流れに遅れまいとする動きを見せている。通産省と文部省が、小、中、高等学校111校に情報通信設備を整備し、情報端末をインターネットに接続する、「100校プロジェクト」を実施した。さらに、第15期中央教育審議会の中間報告では、すべての学校をインターネットに接続するとの方針が示されている。また、民間企業サイドでも、インターネットを利用した、小学校どうしの交流実験支援が行われているほか、ベネッセ、セコム等が通信を利用した在宅学習システムを実施し、NEC、富士通といった大手コンピューターメーカーがコンピューター教育ソフトの売り込みを強化する等の動きがある。
3.マルチメディア教育導入姿勢の問題点
しかしながら、このように盛り上がりを見せるマルチメディア教育であるが、とにかくインターネットで学校間を結ぼう、結びさえすれば夢のような教育が待っている、という単純な見方がまかり通ってはいないだろうか。もちろん、今後、教育の現場がネットワーク型マルチメディア教育の導入という方向性のもとにあることは間違いないだろう。しかし、現在、どれだけの人がマルチメディア教育についてその具体的ビジョンを踏まえた議論をしているだろうか。現状では、学校教育そのものの中でマルチメディア教育をどう利用し、どう位置づけるか、という議論があまりにも少ない。マルチメディア機器が導入されれば、それを利用した授業に一定の時間が割かれることになる。その時間が、生徒全員でいろいろなホームページを見て回ることだけに費やされた場合、どのような教育的効果があるのだろう。コンピューターの使い方授業だけで終わってしまわないだろうか。導入した機器を十分に活用しうる授業内容が見つからず、機器が無駄になる可能性がある。
4.地域における体験教育との融合を
それでは、どのようなマルチメディア教育を行う必要があるのだろうか。そもそも、マルチメディア教育を問題にする以前に、学校教育では、受験教育を始めとする、学習者の実際の体験と関わりの薄い教育が問題とされてきた。これを踏まえ、日本の文教施策にいう「新しい学力観」は、「様々な変化が予想される社会に生きる子供たちが、自分の課題を見つけ、自ら考え、主体的に判断したり、表現したりして、より良く解決することができる資質や能力の育成」を重視している。「新しい学力観」のいう、自ら考え主体的に行動する教育、を実行するには、地域における体験学習が有効であろう。例えば、よく物を買いに行く商店街について学んだり、身近な地域の気候の考察をする。また、自分の話す言葉に含まれる方言を調べてみたり、自分で作ったラジオの構造を知る。そういう体験学習が、学習者の理解をより深くし、より応用性のある知識の修得を助けることになろう。
第15期中央教育審議会の審議においても、科学教育、環境教育の体験学習が重視されるなど、現代社会の科学発展の裏返しともいえる地球環境問題などに対して、体験学習を取り入れることによって改善をはかろう、という流れにある。体験学習は、今後の学校教育において必要不可欠なものであろう。その流れに沿って考えると、双方向性を利点として持つマルチメディア教育は、体験学習と連動したシステムの中に位置づけられるべきであろう。住んでいる地域のことをよく知ったり、自然現象を観察する体験学習を補完するものとして、ネットワーク型マルチメディア教育というものを捉えていくことが必要となる。
例えば、学校の近くの山や川の自然観察に行く前に個人個人がデータベースにアクセスしたり、博物館の教育アドバイザーに助言を求めたりしながら、自分なりの予備知識を持って観察に行く。そして観察によって得られた発見を基に学習を深めていく。マルチメディア教育と体験学習が一体になることが、自主的な学習を促すことにもなるのではないだろうか。そのためには、地域の博物館的データベース、地域の自然に関するデータベース等を整備し、生活に密着した、体験的な学習を助ける環境整備を進める必要があるだろう。双方向を利用したマルチメディア教育と体験学習的な教育が連動して、地域教育ネットワークシステムとして確立していくことが望まれる(図表2)。
日本と比較してネットワーク構築の進んでいるアメリカにおいては、大学を核として地域に根ざしたネットワークから情報ネットワークが構築されてきた。例えば、カリフォルニア州では、コンピューターを用いた教育高度化プロジェクト(DELTA)を進めている。このプロジェクトは、州立大キャンパスのコミュニティーへの接近・浸透を図るものである。カリフォルニア工芸大学サンルイスオビスポ校では、周辺地域の家庭までを取り込んだ形の、バーチャル・ユニバーシティ(仮想大学)を構築することを目標としている。地域が教育の主導権を持っているアメリカでは、地域に根ざした教育というのはごく自然のこととなっている。
また、豊かな表現力を持つマルチメディアだけに、事実を深く考察したり、体験していないにもかかわらず、無意識のうちに事実を修得した気持ちになってしまう、「ハイテク・ロータッチ」という「影」の部分を心配する声がある。3次元の映像技術を駆使したバーチャル体験が取りざたされるにつれて、コンピューター利用によるバーチャルな体験のみではなく、実際の体験を積む必要性がますます、強調されつつある。そのような懸念に応えるためにも、体験学習や直接のコミュニケーションとマルチメディア教育をうまく連動させるシステムを考える必要があるだろう。国境を越えた遠隔教育などマルチメディア教育の派手な側面にのみ注目しがちであるが、仮に地味であっても、一人一人の学習に効果的な、地域に根ざしたマルチメディア教育システムの構築が必要であろう。