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Business & Economic Review 2000年12月号

【論文】
賃金格差拡大は経済活性化をもたらすか-「インセンティブとしての格差」の条件

2000年11月25日 調査部 山田久


要約

1.近年、実力・実績主義的賃金制度を導入する動きが活発化しているが、その背景には、処遇格差によって個人間の競争を促し、企業の生産性向上を実現しようという「ミクロ的効率性」に着目した考え方が存在する。一方、賃金改革が所得格差の拡大をもたらす可能性の是非や、平等主義に基づく日本社会の安定性を損ねるとの懸念など、「マクロ的公平性」に関する議論が盛り上がりをみせている。しかし、日本経済全体の活性化という現下の緊急課題からすれば、「賃金システムのあり方が所得格差への影響を通じて経済活力にどう作用するか」という「マクロ的効率性」に焦点をあてた議論がもっと必要である。

2.近年における実力・実績主義的賃金制度の導入の動きは、経済環境の構造変化に裏打ちされたものであり、その意味で決してブームや流行といったものではなく、今後の人事制度改革の潮流として一段と進展していく公算が大きい。しかし、実力・実績主義賃金導入により生産性向上を実現するためには、評価の透明性や納得性といった制度自体の運営における問題に加え、チームワークや人材育成機能の弱体化という実力・実績主義賃金制度が生みやすい欠陥を、別の仕組みで補完するとの視点が重要である。

3.実力・実績主義の広がりに伴い、正社員の賃金格差が大卒男子30歳代から50歳代前半で徐々に拡大しているものの、全労働者ベースでみると大半の年齢層内での格差が縮小している。一方、ジニ係数の動きをみると、バブル崩壊以降、マクロ的にみたわが国の所得格差が拡大傾向にあることが確認されるものの、年齢別にみると、29歳以下で格差拡大がみられる一方、30歳代以上では格差拡大の傾向は確認できない。このように、現在のところ、実力・実績主義賃金と所得格差の間にはマクロ的には明確な相関は認められない。
もっとも、大卒男子の一部で拡大がみられるものの全労働者ベースで賃金格差が拡大していないのは、学歴間および男女間における格差縮小が相殺しているからであり、これらのファクターはいずれ解消に向かう可能性が高いことを考慮すれば、実力・実績主義賃金の浸透は、中長期的には所得格差を拡大させる要因として認識される公算が大きい。

4.若年層で既に確認される所得格差拡大の要因としては、近年この年齢層で単身世帯が増えていることが影響している。しかし、バブル崩壊以降、a.正社員とパートとの賃金格差、およびb.大企業と中小企業の賃金格差が拡大していることも、格差拡大の要因となっている可能性が高い。
これは、a.非正社員や中小企業従業員では、大企業の正社員に比べ使用者に対する交渉力が弱いため、賃金の景気感応度が相対的に大きくなっている状況下、b.バブル崩壊後の景気低迷に伴う労働需要の弱さが、非正社員や中小企業従業員の賃金上昇率を相対的に低く抑えてきたため、との説明が可能である。

5.所得水準とジニ係数の国際比較、アメリカにおけるジニ係数と生産性の関係から判断する限り、所得格差と経済成長との間には必ずしも一意的な関係は存在しない。したがって、「経済成長のためには格差拡大を認めるべき」といった論調が一部に見受けられるが、これは必ずしも説得力を持たない議論といえる。
むしろ、現下の所得格差拡大の一要因となっている正社員・パート間および大企業・中小企業間の賃金格差拡大は、経済成長にマイナスに作用している。

a.パートにおける低賃金の温存は、定形型労働に対するITによる代替インセンティブを阻害し、IT革命の足枷となっている可能性。

b.中小企業における低賃金は、中小企業への人材流入の壁となることで、新産業成長のボトルネックとなっている恐れがある。

6.実力・実績主義賃金制度についても、中長期的に所得格差の拡大をもたらすに伴って社会的に「勝者―敗者」の構図を固定化することになれば、「敗者」の能力発揮機会を奪うことを通じて、むしろ企業の生産性向上や経済成長の足を引っ張る恐れがある。
したがって、実力・実績主義賃金制度を企業の生産性向上ひいては経済全体の活性化につなげるには、チームワークや人材育成面でのインセンティブ導入といった経営的努力に加え、マクロ的にも格差を固定化させない仕組みを整備することが重要。具体的には、「やり直しの機会を与える環境」、「多様なキャリア・ルート」、「世代間の流動性の高い社会」の構築が不可欠である。
しかし、現在わが国の経済社会ではこれらの条件を満たしているとは言い難く、現在の固定的な社会的な仕組みが是正されなければ、実力・実績主義は格差拡大のみならず生産性・経済活力の低迷という予想外の事態を招き兼ねない。

7.以上をまとめれば、現在わが国にみられる所得格差の拡大傾向は、経済活性化にマイナスに作用する性格を強く持っているとの指摘が可能である。しかし、格差拡大をすべて阻止すべきとするのは短絡的であり、経済合理性のない格差を是正する一方で、「インセンティブとしての格差」を確保するための条件整備を行うという姿勢こそが必要といえる。具体的には、IT革命・新産業育成の障害となっている正社員・非正社員間および企業規模間の賃金格差を是正するとともに、実力・実績主義成功の条件としての「人材育成機能の強化」(経営的条件)および「格差を固定化させない仕組みの構築」(マクロ的条件)の実現を目指すべきであり、そのためには、以下の5点に取り組むことが急務である。

a.「同一労働・同一賃金原則の確立」
…実力・実績主義賃金制度における評価の公平性・透明性の前提であるとともに、就業形態間、企業規模間における賃金格差是正を実現するための基本理念。労働基準法における条文規定と職種別賃金統計の整備が実現に向けた第一歩。


b.「職業的価値の多様化」
…多様なキャリア・ルート創造のための前提条件。各職業グループにおける「プロフェッショナリズム」の確立が不可欠であり、民主体の職業資格の創設が一案。


c.「生涯を通じた職業能力開発システムの整備」
…人材育成機能の強化およびキャリア・ルートの明確化、やり直しの機会提供のための社会的インフラ。アメリカのプロフェッショナル・スクール、コミュニティーカレッジのように、産学官の密接な協同が成功のカギ。


d.「教育の機会均等の確保」
…学習意欲の階層差解消への努力が重要。個性重視の教育に加え、基礎学力の全般的な底上げを目指すべき。


e.「生活保障システム」の再構築
…就業形態に中立的な社会保障制度の創設、結果の不平等を緩和する「ナショナル・ミニマム」の
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