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Business & Economic Review 2000年06月号

【OPINION】
生活保障システムの抜本的再構築を

2000年05月25日 調査部 山田久


企業部門の回復傾向が鮮明になる一方で、家計部門は依然低迷状態から脱し切れないでいる。このコントラストを生んでいる直接的な原因は、バブル崩壊後急上昇した労働分配率の適正化に向けた、人件費コスト削減の動きにあることはいうまでもない。しかし、より底流にある問題として、戦後の日本社会に形成された「生活保障システム」が、機能不全に陥りつつあるという事情を見逃すことはできない。

  1. 企業によるトータルな「生活保障システム」

    戦後日本社会における「生活保障システム」は、一言で表現すれば、企業が個人の生活保障を一手に引き受けるというシステムであった。具体的には、以下の3つの面において、とりわけ大企業を中心に、企業は従業員とその家族の生涯にわたる生活水準の維持・向上を支えてきた。

    第1に、雇用保障の面でいわゆる「終身雇用制度」が維持されてきた。すなわち、戦後日本社会においては、企業責任としての雇用保障が慣習からも判例上(解雇権濫用法理)も強く要請されてきたわけであり、従業員の解雇回避に対する企業の強い姿勢が、個人生活の基本である雇用機会の確保に大きく貢献してきた。

    第2に、家族扶養費や住居費など従業員の基礎的生活コストに対し、企業が多くの補助を行ってきた。具体的には、扶養家族の人数に応じて支給される「家族手当」、貸家に住む従業員に対する家賃補助である「住宅手当」や安価な社宅が多くの企業で提供されてきたほか、持ち家取得のための融資・利子補給制度も一般化されてきた。

    第3に、社会保障の面で充実した年金制度・医療保険制度の運営のために手厚い支出がなされてきた。従業員およびその家族が少ない自己負担で医療サービスを受けることのできる医療保険制度や、基礎年金のみならず報酬比例部分も含めた厚生年金制度について、それぞれの社会保険料の半分は企業の支払いが義務づけられてきた。

  2. 環境変化に伴う従来型システムの機能低下

    しかしながら、80年代頃以降、こうした企業によるトータルな生活保障システムの存立基盤が揺らぎはじめ、とりわけバブル崩壊後以降はその機能低下が明確になっている。

    すなわち、日本経済が成熟化し既存産業の活力が衰えるなか、終身雇用制度が大きく揺れている。すなわち、経済の成熟化・情報化を背景に需要構造の変化スピードは加速する一途であり、企業がこれに対応するためには、不断の事業構造の見直しに連動して職のスクラップ・アンド・ビルドを進めていくことは避けられない。また、会計基準の見直し(連結会計・時価会計への移行)が進むなか、これまでのように企業が余剰人員を子会社等を通じて抱えることは難しくなってきている。一方、個人側としても、ライフスタイルの多様化や自己実現意欲の高まりを背景に、終身雇用制度にこだわらない考え方が若年層を中心に普及してきている。こうした事情を勘案すれば、一企業だけによる雇用保障という考え方は徐々に時代遅れになりつつある。

    また、「家族手当」や「住宅手当」は、それが従業員報酬の原資である企業業績とは独立に決まるため、報酬制度の下方硬直性を生むファクターとなっている。しかし、企業が一段と激しさが増す国際間競争を勝ち抜いていくためには、報酬制度の弾力性を回復すると同時に、企業競争力のコアとなる有能な人材には十分な処遇を与えることが不可欠である。それには報酬制度における実力・実績主義を徹底する必要があり、これに伴って生活保障給部分のあり方の見直しは避けて通れない。

    さらに、世界に類を見ない少子・高齢化の急激な進行を背景に、年金財政・医療保険財政が悪化の一途をたどっている。こうした事態への対応から、年金制度については1994年の制度改革で基礎年金部分の支給開始年齢が繰り上げられたことに続き、1999年の改正では報酬比例部分の支給開始年齢の繰り上げのほか、給付水準の引き下げが図られている。一方、医療保険についても、1997年に自己負担割合の引き上げが実施され、現在も自己負担上限額の引き上げなどが検討されている。それでも現行年金制度・医療保険制度の維持を前提とすれば、企業負担を一段と高めていくか、社会保障給付の水準を今後一層削減していくほかはない。

    以上みてきたように、個人の生活保障を企業が一手に引き受けるという従来型システムは環境変化に対し機能障害を起こしている。そもそもこのシステムは、若年層の多い人口構成や外需主導による高成長の実現といった戦後の理想的な状況を前提としていたが、こうした理想的な環境はすでに消滅したからである。この事実を無視し、従来型システムを放置し続ければ、企業活力は殺がれ、個人の生活水準も低下の一途をたどるという「共倒れ」の状況が懸念される。

  3. 企業と政府の役割分担の再定義

    では、こうした悲観的な見通しを回避するためには何が必要であろうか。まずは、個人の生活保障に対して企業が担うべき守備範囲を改めて定義し直したうえで、企業が撤退する部分については、「市場メカニズム」を最大限活用しながらも、政府が積極的に補完していくことが不可欠であろう(なお、必要となる政府支出や減税の財源については、基本的には、公共事業費をはじめとした歳出の重点化・効率化・アウトソーシングを中心に捻出すべきである)。

    第1に、「雇用保障機能」については、まずその内容自体を再定義することからはじめなくてはならない。そもそも雇用保障とは、「雇用機会の確保」と「能力開発の保障」という二つのファクターから構成される。企業の永続性を前提とする終身雇用制度のもとでは、企業内配置転換による「雇用機会の確保」と、企業特殊的職業能力の育成という「能力開発の保障」により、強固な雇用保障システムが成立していた。しかし、すでに指摘したように、企業が終身雇用制度を維持することはますます困難となっている。もちろん、企業が可能な限り「雇用機会の確保」に引き続き努力すべきであることは言うまでもないが、現実の負担能力を勘案した場合、今後企業が貢献すべき主軸は、企業間移動を前提とした「能力開発の保障」に移らざるを得ない。この意味で、特定企業が必要とする職業能力のみならず、より汎用性のある職業能力-「エンプロイアビリティー」を身に着ける機会を与えることが、企業の新しい雇用保障機能となろう。

    一方、「雇用機会の確保」については、既存企業の機能低下を補完すべく、政府が適切な措置を講じる必要がある。ただし、政府が行うべきは公共事業の追加や雇用調整助成金といった、旧来型の一時的な雇用確保策ではない。持続性のある雇用機会の創出を目指すべく、(1)規制撤廃、(2)未来型社会資本整備、(3)税制改革を三本柱とする「雇用の受け皿」としての新規産業・新規企業の育成に向けた構造的対策を着実に実施することが求められる。

    第2に、「基礎的生活費の保障機能」については、企業の負担能力が事実上低下していかざるを得ないなか、個人の自己責任が大原則とはいえ、最低限の生活維持に必要な部分について政府がセーフティーネットを整備する必要がある。具体的には、住居費に関しては、安価かつ良質な借家市場の拡大に向けた制度整備や、中古住宅流通市場の整備等いざという時の住宅売却を可能とするインフラ作りが急がれる。また、養育費については、奨学金制度の拡充や保育所への助成金の充実など、安心して子どもを育てることのできる制度整備が求められよう。

    第3に、「社会保障機能」については、いわゆる「ナショナル・ミニマム」については、政府が直接的に税方式で運営し、企業負担を軽減すべきである。例えば、年金制度に関しては、基礎年金部分を全額税方式に切り替え、報酬比例部分については積立方式に移行、民営化する(企業・個人の選択に任せる)ことが望ましい。

    そして、この報酬比例部分民営化の受け皿の一つとして、あるいは老後保障に関する企業の役割の後退を補填するためにも、確定拠出型年金を奨励する政策が欠かせない。しかし、2001年からの導入が予定される確定拠出型年金(日本版401k)については、法案作成段階で1999年7月の4省案から大幅な後退がみられたのが実情である。マッチング拠出の許容や税制面でのインセンティブ強化・他税制との調整等、その普及に向けての制度改正・整備を進めることが求められよう。

    さらに、既存企業年金に関しても、受給権の保護とポータビリティーの確保を図ることが不可欠である。従来、企業年金の支払いについては、自己都合の離職や懲戒免職のケースで減額ないし没収されることがあった。しかし、「企業年金=賃金の後払い」としての解釈を徹底し、その受給権の保護を法的に規定すべきである。このほか、異なる既存企業年金制度間でも、年金原資や加入期間が通算される仕組みを整えることも必要であろう。
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