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Business & Economic Review 2001年02月号

【OPINION】
「良い雇用流動化」と「悪い雇用流動化」

2001年01月25日 調査部 山田久


1.進む雇用の流動化

従来「終身雇用」が一般的だとされてきたわが国において、近年「雇用流動化」の着実な進展がうかがわれる。総務庁(労働力調査特別調査)によれば、転職者比率(転職者数÷就業者数)はここ数年で大幅な上昇がみられ、2000年8月には5.0%と94年(2月時点)に比べ1%ポイントも高まっている。また、99年12月に労働省が上場企業対象に行った調査(「ホワイトカラーをめぐる採用戦略の多様化に関する調査研究」)によれば、過去3年間に中途採用を実施した企業は上場企業の74.3%に上っており、大企業ホワイトカラーの約2割が転職経験を持つに至っている。

今後を展望しても、以下の2つの潮流を勘案すれば、雇用流動化はいわば「帰らざる河の流れ」であり、好むと好まざるにかかわらず、一段と進展していくことが予想される。

第一は市場原理の強まりである。

企業ガバナンスにおける金融市場(機関投資家)の影響力が強まるなか、業績の悪化した企業は株価維持のために人員削減を含むリストラクチャリングの実施を余儀なくされる状況となっている。加えて、企業会計基準の国際標準化に伴い連結主体の会計基準が導入されるもとで、子会社への出向・転籍を通じた従来の雇用維持手法が機能しなくなってきている。こうして、既存大企業における人員削減圧力の構造的な強まりがみられる一方、新たなニーズを背景に成長しはじめた事業所サービスや介護ビジネスなど新産業では求人が増えている。また、内外価格差是正に向けた物価下落圧力の強まりは企業間競争を一段と激化させ、成長企業の急拡大をもたらす一方、不振企業を最悪の場合経営破綻に追いやっている。以上の状況下、産業・企業をまたぐ雇用流動化の必要性が高まってきているのである。

第二はIT革命の進展である。 近年、商品・サービスのサイクルが短期化し、アイデア創造の必要性が一段と高まるなか、意思決定が現場から遠くスピードに欠ける「多層構造のピラミッド型組織」よりも、顧客に近い現場に権限が委譲され意思決定が迅速な「分権構造のネットワーク型組織」の方が競争上有利になってきている。そうした状況に対し、ITの発達とその普及は、データベース化による情報の共有化促進、eメール普及による序列階層を超えたコミュニケーションの容易化等の変化をもたらし、本格的なネットワーク型組織の構築を実現可能なものにしている。こうしたIT革命を通じて出現するネットワーク型組織では、企業内のみならず企業間の情報の壁が低くなり、合併・分割・提携・アウトソーシング等の企業組織改変が容易になる。それは、いわば企業形態の「バーチャル化」を意味し、従来は永続性が前提とされ、確固たるリアリティーがあった企業という存在の内外の境界線を曖昧にしていくであろう。このことは、企業と勤労者の固定的関係を崩し、転職の活発化・非正規社員の増加等を通じ、雇用の流動化を一段と進めることになろう。

2.「良い雇用流動化」か「悪い雇用流動化」か

では、こうした雇用流動化の進展は、わが国企業および勤労者にとってプラスなのかマイナスなのか。雇用流動化「推進派」は、企業・産業をまたぐ労働力の再配置を通じ、産業構造転換を進めると評価する。一方、反対派は、従業員の高いロイヤリティーが生んだ日本企業の強さを削ぎ、個人にとっても生活の不安定性を高めると危惧する。はたしてどちらが正しいのか。

これに対する答えは、「良い雇用流動化」と「悪い雇用流動化」の双方があり得るということであろう。ここで「良い」「悪い」を判断するには、企業競争力、勤労者収入、生活の安定度等、様々な尺度を考え得るが、結局は、職業能力の発揮・発展につながるものが「良い雇用流動化」であり、つながらないものが「悪い雇用流動化」といえるのではないか。つまり、企業間移動そのものがプラスかマイナスかを問うことは無意味であり、個人の職業能力開発の連続性の有無こそが重要なのである。企業や産業を移っても、あるいはむしろ移ることで職業能力が発揮・開発されるならば、労働者自身の収入の向上や幸福感につながると同時に、個々の企業ひいては経済全体の生産性向上につながることが期待されるからである。

こうした観点からすれば、現在わが国で進行中の雇用流動化は、確かに「良い雇用流動化」ばかりとはいえないのが実情である。これは、このところの転職率上昇は、元来流動性が高く労働条件面で劣る非正規雇用の増加によるところが大きいからである。すなわち、役員を除く雇用者に占めるパート・アルバイト・派遣等非正規社員のシェアは95年2月には21.0%であったものが、2000年8月には26.2%まで上昇しているが、非正規社員の多くはパートであり、企業の雇用理由としては「人件費の節約」や「景気変動に対する雇用量調節」といった消極的なものが大半を占める(労働省「雇用形態の多様化に関する総合実態調査」)。また、前の仕事より収入が減った転職者が全体の40.5%を占めており、収入が増えた転職者の割合(34.0%)を上回る状況にあるという事実にも目をやる必要がある(総務庁「労働力調査特別調査(2000年8月)」)。収入は基本的には就業ポストが要請する職業能力と連動していると解釈すれば、転職者の収入が減るケースが多いということは、転職の結果、十分な職業能力の発揮・開発機会に恵まれるケースが必ずしも多いわけではないことを示唆しているといえよう。

3.「良い雇用流動化」への環境整備

以上みてきたように、現状の雇用流動化には少なからず「悪い雇用流動化」の側面があることを否定することはできないものの、先に指摘した通り、流動化の流れは「帰らざる河」であるとの認識から出発する必要がある。つまり、もはや雇用流動化の是非を論じても仕方なく、いかにして「良い雇用流動化」が多く実現する環境を整えるかを議論することが建設的といえよう。こうした観点からすれば、以下の3点が今後の取り組み課題となる。

第1は「キャリア保障」のシステムの整備である。これまで企業の雇用責任にしろ政府の雇用政策にしろ、現在雇用を行っている企業による「雇用維持」が眼目にあった。しかし、今後は企業横断的職業能力(エンプロイアビリティー)の開発=キャリア保障を中心に据える必要がある。そのためには、まずもって企業人事における配属・異動を個人主導に改めることが重要である。同時に、雇用政策理念の抜本的転換が不可欠である。政府は現在、2001年中の改正を目指し、これまでの雇用維持政策から雇用移動政策へ重点をシフトさせるという触れ込みで、「雇用保険三事業」における助成金を大幅に統合・再編し、予算額を3年以内に25%削減する方針である。しかし、助成金を通じていわば企業に無理やり雇用の受け皿を提供させるという発想は変わっていない。個々の勤労者が環境変化に適応すべく職業能力を更新・高度化しようとする自助努力を支援することこそ、新たな雇用政策の目標とすべきであろう。具体的には、「雇用保険三事業」をより踏み込んで縮減する一方で、自己啓発資金の所得控除制度の導入や、官民学共同の職業訓練システムと充実した奨学金制度の創設に着手することが求められる。

第2は処遇における「仕事本位制」の確立である。中途採用であれ、派遣社員や契約社員であれ、基本的には仕事の能力・成果のみによって報酬や仕事上の裁量が与えられるべきである。さもなくば、今後増加が予想される転職者や非正規社員の能力発揮が限られたものにとどまることは避けられず、一方、生え抜き社員にとっても、健全な競争を通じた能力開発インセンティブを殺ぐことでエンプロイアビリティー向上の妨げとなる可能性も指摘できる。こうした事態を回避するには、各々の企業が年功制の見直しを徹底し、転職者・非正規社員を含めて、公正で透明な仕事成果主義を徹底することが不可欠である。一方、政府としても、年功制度から成果主義へのソフトランディングに向けて、制度的なインフラやセーフティーネット面を整えることが求められている。具体的には、(1)イギリスにおける官民共同の職業資格制度であるNVQ(National Vocational Qualification)に範をとった公正・透明な職業能力評価基準の作成、(2)成果主義導入で大幅な賃下げを余儀なくされた労働者に対する養育費の援助や能力開発・職種転換の支援、等の施策を実施すべきであろう。

第3は成長産業の創出を通じた良質な雇用機会の拡大である。ここで改めて強調したいのは、雇用はあくまで産業活動の派生需要であり、転職者の能力が十分発揮できるような良質の雇用機会を生み出すためには、産業活性化が不可欠だということである。この意味で、あらゆる分野での規制緩和と競争促進政策を展開し、新たな産業分野の成長を促す環境づくりを着実に行っていくことが重要である。とりわけ、医療・介護や教育、人材ビジネスといった産業分野では、社会的規制の名目で規制緩和が遅れてきたが、これらの分野こそ21世紀の潮流である高齢社会・知識社会の到来に伴い、産業としての可能性が飛躍的に拡大することが展望される。しかも、そもそも知識集約的かつハイタッチな産業分野であり、今後の良質な雇用の受け皿として期待されるところが大きいといえよう。
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