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Business & Economic Review 2003年01月号

【OPINION】
政府は自動車交通政策のグランドデザインを再構築せよ-東京大気汚染訴訟判決からの示唆

2002年12月25日 調査部 経済・社会政策研究センター 藤波匠


自動車交通政策の欠如
2002年10月に東京地方裁判所で下された第一次東京大気汚染訴訟の判決は、わが国の自動車交通政策の課題を改めて示すものとなった。この判決は、自動車排ガスによる大気汚染が原因で発生した慢性呼吸器疾患について、国や東京都の責任を問うものであった。これまでも自動車排ガスに起因した大気汚染訴訟では、2000年に和解が成立した尼崎大気汚染公害訴訟、2001年に和解に至った名古屋南部公害訴訟などでも、行政の責任を問う判決が出ている。
東京大気汚染訴訟に注目すれば、原告の多くはすでに1980年代に発病した人たちで、それ以前から東京の幹線道路沿いでは恒常的な大気汚染が発生していた。しかし、10年以上経過した現在においても、大気汚染の原因である自動車の渋滞は解消されず、大気汚染の状況も改善されていない。
現在、道路関係四公団民営化推進委員会において、道路公団の民営化に関する話し合いが進められている。道路公団などにより採算度外視で建設される高速道路が、都市域の渋滞解消にほとんど寄与していない現状も、これまでの道路行政の問題点の一つといえる。

例えば、建設中の第二東名(第二東海自動車道)については、首都圏へのさらなる自動車の流入を促進させる可能性が指摘出来る。また、東京都区部の交通量の95%が都区部内を目的地または出発地としており、通過のみを目的とするものは5%にすぎない。したがって、都区内を通過するだけの車両の分散が期待され、建設が進む圏央道(首都圏中央連絡自動車道)が全線開通しても、都心の渋滞解消効果は不透明といわざるを得ない。
さらに、すでに道路延長の余地の少ない都市域では、渋滞解消のための迂回路の建設は進んでいない。わが国で90年から2000年までに新たに建設された道路の98%以上が、東京都以外に設置されたものである。用地確保が困難な大都市では、渋滞解消を目的とした道路建設は、ほぼ不可能な状態といえる。
増える一方の自動車、深刻化する道路渋滞といった道路交通状況においても、国はその解決策を示せず、自動車排ガスによる健康被害者救済のためのスキームも、整備されていない。わが国の自動車利用はどうあるべきであり、そのためにどのような政策が必要であるのか、また自動車排ガスによる健康被害者救済にはどのような体制を整備すべきであるのかといった、いわば自動車交通政策のグランドデザインとなるべきものを、国は提示すべきである。
本稿は、東京大気汚染訴訟を吟味することによって、人と自動車の調和した自動車交通政策の必要性を示すものである。

未整備な自動車排ガス被害者救済のスキーム
東京大気汚染訴訟の判決で注目すべき点は、新規の公害病患者認定が打ち切られた88年以降に呼吸器疾患を発病した原告に対しても、発病と自動車排ガスの因果関係を認め、都などに賠償を命じたことである。公害病認定患者は、「公害健康被害の補償に関する法律(以下、公健法)」により、医療費給付の対象とされる。しかし、新規認定が打ち切られた88年までに届け出が間に合わなかった患者や、打ち切り後に発病した患者は、症状が認定患者と同様であっても、救済の対象とはならない。判決は、88年に新規の公害病患者の認定を打ち切り、その後も未認定患者に対する救済の道を一貫して閉ざしてきた行政の正当性を問い直すものであった。
ここで、国が新規公害病患者の認定を打ち切った経緯について簡単に触れておく。まず、工場など固定排出源からの汚染物質の排出が抑制され、都市部における大気汚染に改善の兆しがみられ始めた83年、環境庁(当時)は中央公害対策審議会(以下、審議会)に対し、今後の公健法における第一種地域の在り方について諮問を行った。これを受け審議会は、86年に「公害健康被害補償法第一種地域のあり方等について」を答申した。
この答申は、「大気汚染の慢性閉塞性肺疾患への何らかの影響は否定出来ないものの、その疾患の有症率の地域差が主として大気汚染によってもたらされていると考えうるような状況ではない」とし、第一種地域指定をすべて解除し、新たな患者の認定を行わないことを提案するものであった。すなわち、固定排出源からの汚染が改善して以降に注目されるようになった、自動車による大気汚染の健康被害を、事実上認めないものであった。
しかし、答申にある「大気汚染の慢性閉塞性肺疾患への何らかの影響は否定できない」という文言からは、国でも自動車排ガスと健康被害の因果関係については、すでにその可能性を把握していたといえる。しかも、指定地域解除の根拠は、改善傾向にあった一般的な大気汚染状況に注目したに過ぎないもので、それよりも明らかに高い汚染状態にあった地域が、当時から幹線道路沿線などに存在していた。したがって、第一種地域の指定を解除し、新規患者の認定を行わないという決定と同時に、汚染がとくに著しい幹線道路沿いの患者を救済する新たな制度が必要であったといえる。
大気の汚染状況を測る目安として、環境基本法に基づき環境基準が設定されている(環境基本法第16条)。同法によれば、環境基準とは人の健康や生活環境保全のため、それよりも低い汚染水準に維持されることが望ましい行政上の目標として示されるもので、工場などの排出に規制をかける目的の排出基準とは異なる。したがって、環境基準の未達成は、健康被害患者の救済や汚染状況の改善を行政に義務付けるものではない。このような環境基準の在り方も、今後再検討を要すると考えられる。
以上のことから、幹線道路沿線などで定常的に大気汚染が発生する地域でみられる呼吸器系の疾患患者救済に関しては、まず疫学調査などに基づいた「最低限達成されるべき基準」づくりが必要となるだろう。そして、この新たな基準と連動した患者救済制度を新たに設けるべきである。さらにその基準への適否と連動した交通規制についても、より踏み込んだ権限を都道府県に与えるべきである。

渋滞回避に向けた行政の責任
もう一つ東京大気汚染訴訟の判決で注目されたのは、大気汚染の原因となった自動車を供給する自動車メーカーの責任が、不問とされたことである。原告側の主張は、自動車メーカーは当時すでに海外の高い排ガス規制に見合った自動車生産技術を有しながら、国内の緩い基準に適合した自動車を供給し続けたというものであった。確かに、わが国の自動車排ガス規制は、欧米に比べ、窒素酸化物については先行していたが、浮遊粒子状物質(SPM)については後追い状態にあった。
これに対し判決は、「自動車メーカーは、一部地域への交通量の集中を回避することに関しては、適切な措置をとることができない」とし、原告の主張を退けるものとなった。これは、自動車の一部地域への集中、すなわち渋滞の発生を回避する責任は、依然として行政にあることを示したものといえる。
この判決は、原告らが罹患した当時から現在までの法律に照らし合わせてなされたものであり、環境経済学のトレンドとは関係なく下されたものである。最近の環境経済学では、環境汚染の発生を防止するための費用を、製品の製造者にどこまで負担させることが出来るのかという点に関して議論がなされている。72年、OECDから「汚染者負担の原則=PPP(Polluter Pays Principle)」が示された。これは、環境汚染の防止費用は、汚染する可能性のある汚染者が第1に負担すべきであり、ある製品が使用段階で環境汚染を引き起こしていても、場合によっては汚染者とは製造者であることを明示するものであった。

環境問題解決に向け、積極的に製造者に責任を負わすこの考え方は、その後徐々に受け入れられ、製品の廃棄物・リサイクル問題の解決のため、廃棄後の製品の処理に関して製造者が責任を負う拡大生産者責任(EPR)の考え方となって、各国の廃棄物行政手法として定着しつつある。OECDでは、EPRを「製品に対する製造業者の物理的および(もしくは)財政的責任が、製品ライフサイクルの使用以降の段階まで拡大される環境政策アプローチ」としている。わが国でも、すでに施行されている容器包装リサイクル法(容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律)や家電リサイクル法(特定家庭用機器再商品化法)で、部分的ではあるが、廃棄物のリサイクル費用をメーカーが負担しており、EPR、PPPの考え方が徐々に根付きはじめたといえる。
自動車ディーゼル車対策に積極的に取り組んでいる東京都では、行政単独による取り組みでは、現状打開は困難であるとの判断から、事業者(トラック運送事業者、整備事業者、SPM減少装置メーカー、自動車メーカーなど)との協働による解決を図っている。東京都のこのような取り組みは、ディーゼル車対策や渋滞回避に限らず、自動車交通政策全体の方向性を示すものといえよう。自動車による大気汚染や渋滞などの問題解決には、行政はもちろん、自動車メーカーや自動車ユーザーまでも含めたすべての当事者に、前向きの取り組みが求められる。そうしたなかで、自動車に起因した問題の解決に向けた行政の責任とは、事業者や国民との協働体制を築くために、リーダーシップを取ることに他ならない。

渋滞による様々な損失の発生
わが国の道路で日常的に発生する渋滞は、大気汚染だけでなく、地球温暖化の大きな要素であり、またヒートアイランドの原因ともなっている。環境問題以外に目を向ければ、社会的な効率性の低下や運転手の時間の損失をも生み出している。また、幹線道路の渋滞を避けるため、自動車は幹線道路から一般生活道路へと逃れる。生活道路での自動車の増加は、当然その地域への大気汚染の拡大と交通事故の増加を招くことになるし、高齢者や子供のリスクを高め、安全な生活を阻害することになるだろう。結局渋滞は、地域住民の生活の質自体を低下させる。東京都など大都市では、道路整備が頭打ちのなか、自動車交通量は増大しており、渋滞は深刻さを増し、それに伴い社会全体での損失も拡大していると考えられる。

人との調和を目指した自動車政策のグランドデザインづくり
一地域への自動車の集中に対し、行政が選択しうる施策は、恐らく、自動車の通行を物理的に抑制する通行規制的な政策が中心となるだろう。例えば、欧州の中小都市でみられる街中への自動車の乗り入れ規制は、環境保全のみならず、文化遺産やアメニティーの保全、交通弱者といわれる高齢者と子供の安全確保に大きく貢献する。

現在東京都が導入を検討しているロードプライシングは、交通量削減への期待が大きい。ロードプライシングとは、混雑地域に進入しようとする自動車に課金し、経済的インセンティブによって、交通量を抑制するシステムのことである。すでにシンガポールやノルウエーで実施され、ロンドンでも導入が検討されている。また、わが国の首都高速道路でも、住宅地域の環境改善を目的として、内陸部のルートを回避し、湾岸ルートを通行する大型車の通行料金を割り引く環境ロードプライシングが、2001 年より一部のルートで試験的に導入されている。
むろんロードプライシングは、インフラ整備にかかる初期投資が大きくなることが予想され、実施は容易ではない。しかし、公共交通機関が高い水準で整備されていながら、自動車への依存度が高まる一方のわが国の現状を打破するためにも、東京都の取り組みは注目される。とくに公共交通機関の整備が進んでいる東京都区部は、最もロードプライシングが導入しやすく、しかも効果が期待される地域でもある。
また、東京に限らず中小都市においても、ロードプライシングといった大掛かりな取り組みでなくとも、様々な規制を組み合わせて取り入れることで、生活道路への自動車の進入を排除することも、試みられるべきである。
これまでの自動車政策は、自動車の利便性を高めることが主目的とされてきた。極端な言い方をすれば、「自動車交通政策=道路建設」ですらあった。場合によっては、歩道のように人の安全な通行に必要な設備の整備を遅らすことになっても、あるいは歩道橋や横断地下歩道のように人の負担を増すような施設を設置してでも、自動車道の確保が優先された。
一方で、冒頭に述べたように、自動車による大気汚染に関する訴訟で、行政の責任を問う判決が重ねられている。わが国においても、人にとって最適な自動車利用の在り方、すなわち人と自動車の調和を基本的スタンスとした自動車交通政策が取り入れられる時期に来ているのではないだろうか。
国土交通省の社会資本整備審議会の中間答申「今、転換のとき~よりよい暮らし・経済・環境のために~(2002年8月)」には、道路行政改革の基本方針が示されている。ここでは、政策目標のひとつとして、「安全で安心できる質の高い暮らしの実現」が提示されている。しかし、答申の中心的課題は、やはり「どこに、どのような道路を、いかにつくるのか」であり、過去の考え方からの脱却がなされているとは思えない。質の高い暮らしの実現という政策目標も、道路建設のための理由付けであるとの印象を受ける。そこには、人と自動車の調和した社会に対する明確なビジョンや、自動車の排ガスや交通事故などによる被害者の救済についての具体的なスキームが示されているとはいえない。また、政策目標のような社会づくりへの、自動車メーカーなどの事業者や国民のかかわり方についても、明確な方向付けがなされているとはいえない。
道路は、社会インフラである。したがって、道路行政はわが国が目指す社会を具現化するものでなければならない。わが国に必要な自動車交通政策は、対症療法的な「いかに道路をつくるのか」でも、「いかに自動車を走らせるのか」でもない。東京大気汚染訴訟などの一連の訴訟は、「人がいかに自動車と付き合うべきであるのか」、あるいは「わが国が目指す社会における自動車の役割」というより基本的テーマに立ち返りつつ、しかも行政・事業者・国民の協働により現状を打開していくような、自動車交通政策のグランドデザインの必要性を、浮かび上がらせるものであったといえる。
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