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Business & Economic Review 2004年04月号

【OPINION】
「ワークフェア」を基本理念として日本社会の再生を

2004年03月25日 調査部 経済研究センター 山田久


  1. わが国が直面する根本問題
    デジタル家電分野の活況、中国の台頭による新たな市場の登場など、ここにきて日本経済の復活に向けた環境が整ってきたようにみえる。とりわけ、1990年代に急進展した海外生産シフトの流れに歯止めが掛かり、デジタル家電部品の分野で相次いで大型設備投資が動き出すなど「国内回帰」の風が吹きはじめている。こうした動きに着目すれば、いわゆる「失われた10年」に終止符が打たれ、今後日本の産業競争力ひいては経済全体の成長力が徐々に回復に向かうことに期待が寄せられる。
    もっとも、a.中国の台頭により「世界一の工業国」という地位を明け渡さざるを得ないこと、b.総人口が減少に向かうなか国内市場が持続的な縮小圧力にさらされること、といった中長期的に日本が直面する環境変化は不可逆的なものである。今後、相対的に経済成長率が高まることは期待出来るものの、大局的にみれば高度成長が再現されることは望むべくもない。確かに、国際競争力を維持・強化している先進的企業は高成長を続けることが出来るにしても、経済全体でみれば低めの成長を余儀なくされることは逃れられない。そのなかにあって、かつて高成長時代に作られた様々な制度や慣行は金属疲労を引き起こしている。
    すなわち、右肩上がりの経済成長のトレンドが消滅するなかで、生き残りをかけて企業は不断に事業ポートフォリオを組み替えていく必要性が高まっている。そうしたもとで、戦後の国民生活の安定を根底で支えてきた、「終身雇用・年功制」を軸とする日本型雇用慣行は機能不全に陥り、失業率は90年代入り以降急上昇した後、高止まりを余儀なくされている。なかでも、若年失業への対応や高齢者雇用の確保が深刻な社会問題となりつつある。さらに、不安定化した世帯主の収入へのリスクヘッジが必要となるもとで、女性の社会進出意欲が高まっていることもあり、「男女共働き」が一般化しつつある。
    こうした状況の激変にもかかわらず、家庭生活を犠牲にするほどの恒常的な長時間労働、諸外国に例を見ない正社員・非正社員間の大きな賃金格差等、現行の労働慣行や各種制度は「終身雇用・年功制モデル」、「夫片働きモデル」を前提とする状況が続いている。その最大の矛盾は、「出生率の低下」という国の最も重要な資源である「未来の世代」の縮小という致命的な形で表れている。つまり、男女共働きの増加という「現実」と夫片働きモデルを前提とした保育環境の未整備という「制度」の矛盾が子育て負担を高め、結果として多くの女性に子供を産まないという選択を強制しているのである。さらに、少子高齢化の進展により破綻が懸念されている公的年金制度も、抜本的な改革が先送りされ続けるなか、世代間の不公平感を極限にまで高めつつある。
    このようにみれば、現在の日本が解決を迫られている真の問題は、大局的には低成長時代の到来を余儀なくされるもとで、相対的にどこまで経済成長率を高めることが出来るのかという点よりも一段深い問題、すなわち、雇用不安の高まりや年金不信、少子化の進行等、弱体化する国民生活の基盤をどう再構築すべきかというところにある。すなわち、時代の変化に合わなくなった各種制度の機能不全により国民生活の基盤が浸食されはじめていることこそ、今日わが国が直面する根本問題であると言える。そもそも経済成長や産業競争力の回復も、長期的にみればその担い手である国民の生活基盤、なかでも雇用環境がしっかりしていなければ達成されるはずもない。

  2. 欧米先進諸国にみる三つの対応パターン
    新興工業国の追い上げや国内市場の成熟化が進むなか、現在わが国が直面する失業率の高止まりをはじめとする国民の生活基盤の弱体化という問題は、かつて欧米先進諸国も経験してきたものである。その意味で、今後わが国がどのような対策を講じるべきかを考えるにあたって、欧米諸外国の経験は大いに参考になるはずである。
    戦後の欧米先進諸国は高度成長を享受するなかで、いずれの国もほぼ完全雇用を達成し、高度に発達した社会保障システムを構築してきた。しかし、2度にわたる石油危機を経て、欧米先進諸国は経済成長率の下方屈折を経験し、a.労働需要の減退による失業率の上昇、b.社会保障制度の基礎を損なう国家財政の悪化、という難問に直面した。こうした国民の生活基盤の弱体化に対して欧米先進諸国が採った対応の仕方は三つに類型化される。すなわち、エスピン・アンデルセンが三つの「福祉国家レジーム」(「福祉資本主義」)として分類した国のタイプごとに、それぞれ異なった動きがみられた。
    その第1は「自由主義レジーム」の国々である。具体的には、アメリカ、イギリスを中心とするアングロサクソン系国家である。これらの国々では、「小さな政府」「市場原理の重視」という理念のもと、規制緩和や政府機関の民営化が積極的に進められてきた。雇用政策については「フレキシビリティー強化」のスローガンのもとで、解雇規制の緩和や人材ビジネスの自由化により、雇用の流動化と就業形態の多様化が推進された。
    第2は「社会民主主義レジーム」の国々である。これは、スウェーデン、デンマークなど北欧諸国を指している。これらの国々では、自由主義レジーム」と対照的に、「大きな政府」の維持が志向されてきた。例えば、スウェーデンでは、公的部門により医療・福祉サービスが提供され、高い国民負担率を伴った政府による所得再配分機能が重視された。雇用政策面では、衰退産業の労働者に積極的に職業訓練を施し、成長産業へのシフトを促す「積極的労働市場政策」が展開されてきた。
    第3は「保守主義レジーム」である。これには多くの大陸ヨーロッパ諸国が分類され、その代表例はドイツとフランスである。これらの国々では「社会的弱者に対する公的保護」という伝統的な福祉思想が継続され、男女分業を前提とした「伝統的家族」の在り方を重視してきた。雇用政策面では、手厚い失業保険制度や公的扶助制度が維持されたほか、労働条件の悪い非正規雇用の拡大には消極的な姿勢をとってきた。わが国は雇用環境が悪化したのが比較的最近のことであるため失業保険・公的扶助は手薄いが、家族の在り方に対する考え方からすれば、基本的にはこの「保守主義レジーム」に属すると考えられる。
    これらのうち、経済や雇用のパフォーマンスを比較する限り、「保守主義レジーム」の限界は明らかであろう。ドイツ、フランスでは経済低迷が長期化し、80年代に失業率がジリジリと上昇し、高失業が構造化している。2002年時点でみてもこれらの国々の失業率は9%前後で高留まりしており、アメリカ(5.8%)やスウェーデン(5.2%)を大きく上回っている。
    一方、「自由主義レジーム」と「社会民主主義レジーム」については、公的部門による福祉の提供に対する考え方では対極に位置付けられるものの、意外にも原理的には共通する面があり、さらに、現実には相互の要素を取り込みながら一種の収斂現象が生じているようにもみえる。また、「保守主義レジーム」の国でも、「自由主義レジーム」や「社会民主主義レジーム」の利点を導入することで、経済低迷と高失業の問題からの脱出を目指す動きもみられる。ワッセナー合意以降のオランダは、まさにその典型事例といえる。

  3. 「ワークフェア」への収斂現象
    では、「自由主義レジーム」と「社会民主主義レジーム」に共通する原理、あるいはいずれのレジームにも収斂現象を引き起こしている原理は何か。国民生活の底流を支える雇用に対する考え方に着目すれば、それは「ワークフェア(勤労福祉)」と呼ばれる理念である。これは、「福祉給付受給者やその予備軍の就労インセンティブを高め、出来る限り多くの人々の勤労を促すべき」とする理念である。これが意図するところは二つある。一つは、社会保障制度の既得権益化や高齢社会の進展を背景とする「福祉国家の財政的危機」への対応として、福祉給付受給者の勤労を促すことで、税・社会保障の受給者を負担者へと転換し、社会保障制度の財政基盤を強化しようという点である。もう一つは、長期にわたる福祉給付への依存は結果的に受給者の社会的な排除や疎外を引き起こしているという問題への対応として、就労を通じて社会的包摂を進めようという点である。つまり、「ワークフェア」は、従来の「社会的弱者への給付」を基本とする伝統的な「社会福祉=ウェルフェア」の考え方を大きく転換し、勤労を支援することで全ての国民が「一人の個人として自立する」ことを促そうとする考え方である。
    「ワークフェア」という概念は、元来、「自由主義レジーム」であるアメリカやイギリスにおいて、失業給付や公的扶助の受給資格として一定の就労義務を賦課することを指してきた。一方、「社会民主主義レジーム」においては、スウェーデンの「積極的労働市場政策」にみられるような就労重視の考え方を指して「ワークフェア」と呼ばれることがある。さらに、年金受給者に代表されるように今や福祉の受給者が普遍的かつ一般的になっている点、および、「出来る限り多くの人々の勤労を促す」という理念に着目すれば、今日「ワークフェア」という言葉にはより広範な意味合いを含めることができると考えられる。そこで、ここでは、「ワークフェア」を次の四つの柱から構成されるものと再定義したうえで、それぞれの柱について具体的事例を踏まえて説明しつつ、レジーム間の収斂現象が生じていることを確認していこう。
    第1の柱は、就労形態の多様化である。就労形態を多様化することは、各種雇用コストを引き下げることで企業の雇用需要を喚起し、結果として働く機会を多く創り出す。この取り組みは、元来「自由主義レジーム」において、企業が経営環境の変化に柔軟に対応した組織編成を行うために、労働のフレキシビリティーの向上を目指したものである。とりわけ、アメリカやイギリスでは、早い時期から賃金が低いパートタイマーが活用され、解雇規制の緩い契約社員や派遣社員、請負労働者の活用が進められてきた。一方、「社会民主主義レジーム」の典型であるスウェーデンでも、近年派遣労働や臨時労働が拡大し、これが雇用情勢の改善に寄与している。「保守主義レジーム」からの脱皮を図りつつあるオランダも、パートタイマー比率が世界最高水準になる等、就業形態を多様化したことで有名である。
    第2は、就労可能性を高める職業訓練の強化である。この考え方は、スウェーデンにおける「積極的労働市場政策」の考え方に明確に表れている。北欧諸国では、手厚い社会保障制度を維持するために、福祉受給者を減らし、社会保険料を納める勤労者を増やす政策が採られてきた。「積極的労働市場政策」はその一翼を担うものであり、政府が手厚い職業訓練を提供することで、衰退産業から成長産業への労働者の移動を円滑に行うことを目指したものであった。一方、「自由主義レジーム」においても、イギリス・ブレア政権の「福祉ューディール」により、若年失業者や長期失業者に対する職業訓練が強化された。また、アメリカにおいても、州・地域の基金により設立・運営されている「コミュニティーカレッジ」が、安価で実務的な職業訓練を受けることの出来る社会的教育システムとして発達している。
    第3は、福祉受給対象者への就労インセンティブの給付である。すでに述べたように、この考え方はアメリカやイギリスでそもそも採られてきた考え方であるが、「社会民主主義レジーム」のスウェーデンにおいても、「自由主義レジーム」とは政策の理念が異なるとはいえ、失業保険給付を受けるには職業訓練や職場での訓練生の地位が与えられるなどのプログラムに参加することが条件になってきた。
    第4は、勤労者の仕事と家事の両立支援である。「社会民主主議レジーム」では、安価で充実した保育サービスが政府により提供されるなど、女性の社会進出が政策面で積極的にサポートされてきた。一方、「自由主義レジーム」では、低コストの民間保育サービスが発達することで、女性の職場進出が支えられてきた。さらに、90年代後半のアメリカでは、ジョブ・シェアリングやテレワークなど、女性が仕事と家事の両立をしやすい勤務体系の整備が進んでいる。「保守主義レジーム」でも、オランダにおいて、男女ともにパートタームで働くことで相互に仕事と家事の両立を図る「コンビネーション・シナリオ」が追求されている。

  4. 「ワークフェア」実現の鍵は「フェア・ワーク」に
    こうした「ワークフェア」重視の政策展開は、わが国が直面する様々な問題に対し解決の糸口を与えてくれ、その結果、国民生活の基盤を強化することにつながる。すなわち、「就業形態の多様化」は、学校卒業後定職のない若者や60歳定年を迎えた高齢者、そして、子育てと仕事を両立したい女性等に対し、より多くの働く機会を提供する。「職業能力開発の重視」は労働者の生産性を向上させ、賃金上昇の余地を大きくする。そして、「福祉受給対象者への就労インセンティブの付与」は、年金・福祉負担を減らすことで年金財政を健全化させ、「仕事と家庭生活の両立支援」には女性の能力を活用しつつ少子化の流れに歯止めを掛ける効果を期待出来るであろう。
    元来わが国は、「働く」という営みに重きを置く伝統がある。現在も、日本の高齢者の労働力率は世界最高水準にある。その意味では、「ワークフェア」という理念を今後の“この国のかたち”の基本原理に位置付けることは、無理のない自然な考え方であろう。かつて「和魂洋才」という言葉があったが、まさに「自由主義レジーム」、「社会民主主義レジーム」に学びつつ、わが国が元来持つ勤労重視の考え方を環境変化に適応した新たなバージョンへと進化させることが求められているのである。もちろん、「自由」と「平等」のいずれに重きを置くか、すなわち、社会保障や税を通じた所得再分配をどの程度にするかは国民の選択の問題であり、その結果として、日本が「自由主義レジーム」型社会への道を進むのか、あるいは「社会民主主義レジーム」型社会への道を進むのかは分かれる。しかし、経済環境の変化は、いずれの社会を選択するにしても「ワークフェア」を軸とした社会を構築することを要請している。
    そのためには、前節でみたように、a.就業形態の一段の多様化、b.職業能力開発の重視、c.福祉受給対象者への就労インセンティブの付与、d.仕事と家庭生活の両立支援、の四つの課題に対し、わが国の事情を勘案しながらも、諸外国の成功事例を積極的に採り入れていく姿勢が求められよう。ただし、c.の福祉受給対象者への就労インセンティブの付与については、わが国の場合、長期失業者や生活保護受給者の問題としてよりも、女性や高齢者の就労インセンティブの問題としてとらえる必要がある。
    ここで強調しておきたいのは、これら四つの基本政策を矛盾なく行うためには、「同一価値労働・同一賃金」という原理が貫徹される必要があることである。それは、就業形態が異なることによる差別を排除することを意味している。正社員・非正社員間の賃金格差を残しておいたうえで、労働コストの安い非正規雇用を正社員に代替していくことは、一見コスト削減の視点からは合理的にみえる。しかし、先進諸国が生活水準を維持・向上していくためには、付加価値の高い製品・サービスを不断に開発・提供していくことが不可欠である。非正規労働といえども付加価値の高い仕事につくことで、経済全体の生産性向上が達成されることが必要なのである。しかも、非正規雇用の割合が高まる状況にあって、この視点の重要性はますます高まっている。実際、非正規雇用比率の高い流通・外食・サービス産業では、パートタイマーの店長への登用を進めたり、アルバイトの能力開発の仕組みを整えるなど、正社員と非正社員の処遇均等化に積極的に取り組みはじめている。
    「同一価値労働・同一賃金」を貫くことは、就業形態にかかわらず能力開発を重視することを意味する。そして、非正規雇用でも十分な職業能力を有し、それなりの賃金を得られるようになってはじめて仕事と家庭生活の両立が可能になる。真の意味での「ワークフェア」社会を実現するためには、「フェア・ワーク(仕事に対する公平な処遇)」こそが鍵となるのである。
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