アジア・マンスリー 2025年5月号
中国の人民元安許容の動きとそのリスク
2025年04月25日 野木森稔
中国当局は、人民元安の許容を通じて景気支援を狙うとみられる。しかし、それは米国との対立先鋭化や資本流出といったリスクを高め、期待するような結果にならない恐れがある。
■米中金利差拡大と対中関税引き上げが人民元をさらに下押しへ
中国人民元は足元で1ドル=7.3人民元と、2007年ごろの水準まで低下するなど、軟調が続いている。当面、人民元に対しては、以下二つの要因により、減価傾向が強まっていくと見込まれる。
まず第1に、米中金利差の拡大である。米国ではインフレ率が+2%を上回り、さらに関税の引き上げによって輸入価格上昇がインフレ再加速をもたらす可能性が高い。トランプ大統領は、利下げを実施しない米連邦準備制度(FRB)パウエル議長の解任を求めているが、インフレ再加速のリスクが高まるなかで利下げに踏み切ることは中央銀行にとって容易ではない。さらに、4月初めには、関税引き上げを強行するトランプ政権の動きを受け、金融市場の不透明感が高まり、米長期金利上昇が加速する場面もあった。
一方、中国では、消費者物価指数(CPI)の伸び率はゼロ近傍での推移が続いており、内需の停滞を背景にデフレ傾向が一段と強まっている。さらに、中国政府は、3月に開催された全国人民代表大会(全人代)において、年間の実質GDP成長率目標を「+5%前後」に設定したものの、トランプ政権による関税引き上げ決定を受け、この目標達成は早くも困難となりつつある。景気支援策として金融緩和を求める声は強まっており、中国人民銀行は本年中に数回の利下げを実施すると見込まれる。これが中国の市場金利低下に拍車をかける見込みである。
このように、米国ではインフレ上昇圧力の高まりと金融緩和の可能性低下が生じている一方、中国ではデフレ圧力と金融緩和の可能性の高まり、という対照的な経済環境が生じており、両国の金利差の拡大はなかなか止まりそうにない情勢である。米中金利差は為替レートと連動性が高く、当面の人民元下押し要因になる可能性が高い。
第2に、米国による対中関税の引き上げである。米トランプ政権は、中国政府との間で関税引き上げ合戦を繰り広げた末、最終的に対中輸入品に対して145%もの高関税を課す決定に至った。この関税は4月10日付で発動され、中国製品は販売価格上昇に伴い、米国市場での需要が急減する見通しである。さらに、米中対立はさらに先鋭化しており、高関税措置が長期化する可能性も高まっている。中国の輸出企業は生産拠点を中国国外へ移転する動きを加速させ、中国国内における設備投資への下押し圧力も一段と強まることが予想される。
米国向け輸出の減少が不可避となるなか、今後、中国政府は米国以外の国・地域に向けた企業の輸出多角化を支援することになろう。そうしたなか、政府がとる政策として輸出競争力を高める通貨安は有力な選択肢となりうる。対米輸出にかかる145%の関税を相殺することまでは望めないものの、米国以外の輸出拡大には追い風となろう。
なお、EU(欧州連合)は、中国製EVについて暫定的な相殺関税の適用を2024年7月4日から開始し、10月30日に最大35.3%の関税を正式に導入した。しかし、それにもかかわらず、中国からの欧州向けEV輸出は横ばい圏で推移し、人民元安などを背景に「安さ」を武器にした中国製品がなお競争力を維持していることを示している。中国政府がさらなる通貨安政策を戦略的にとることになれば、「デフレ輸出」と批判されている昨今の中国の輸出攻勢は、先行き一層勢いを増す可能性がある。
■懸念される米中対立先鋭化と資本流出のリスク
このように、当面、米中の経済環境の違いや貿易面での対立を背景に、人民元には下落圧力が掛かり続ける見込みである。そして、中国政府・金融当局も輸出および内需支援の観点から、その動きを許容すると予想される。
しかし、トランプ大統領は米国の貿易赤字を生む要因として貿易相手国の通貨安を批判しており、この動きは米中対立をさらにエスカレートさせ、米国が関税措置以外にも中国輸出を規制する措置を増やすなどの副作用をもたらす可能性がある。トランプ大統領は、第一次政権時の2019年、中国を「為替操作国」に認定し、2020年1月の第1段階米中貿易協定を前に圧力を強めた経緯がある。現時点では、米国政府は中国を為替操作監視対象国としているだけであるが、新たな交渉に向け、為替操作国に認定することで中国へ圧力を強める可能性がある。
また、中国では資本流出リスクが高まっている。実際、金融収支(外貨準備を除く)は流出超過が続いており、その規模が足元で拡大している。 とくに、各国製造業の「脱中国」の動きを受け、生産拠点の建設などの直接投資の収支悪化が顕著である。通貨安の許容は、こうした資本流出を助長する可能性がある。実際、2015年には、人民元切り下げを実施したことで金融市場に大きな混乱をもたらし、資本流出による人民元売りが加速したことで、資本規制の強化や1兆元もの外貨準備を使って通貨防衛を実施した経験もある。
このように中国政府による通貨安許容は、トランプ関税や内需停滞に苦しむ中国経済の追い風となろうが、米国対立先鋭化や資本流出というリスクを伴う。そうみると、人民元の急激な動きを回避する慎重なスタンスは崩せず、人民元安も景気を強く支援するものにならない恐れがある。
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