脱炭素社会に向けて求められる「公正な移行」
わが国政府は、2050年までに温室効果ガス(GHG)排出量を実質ゼロにする脱炭素社会の実現を目指している。もっとも、脱炭素社会への移行では、使われなくなる技術や製品・サービス、失われる仕事もある。こうしたなか、失業等の経済的な不利益を軽減するために、近年、「公正な移行(Just Transition)」という考え方が注目されている。そこで本稿では、「公正な移行」とは何かを確認し、先行する欧州の取り組みを紹介したうえで、わが国に今後求められる対応について検討する。
1.「公正な移行」とは何か
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書によると、公正な移行は「低炭素経済への移行の際に、いかなる人々、労働者、場所、セクター、国、地域も取り残されないようにするための一連の原則、プロセス、実践」と定義されており、脱炭素社会への移行に伴う労働者や産業、地域経済等への負の影響の軽減を目指すものである。
この考え方は、国際的な労働運動を代表する国際労働組合総連合(ITUC)がいち早く掲げたものであり、2000年代から労働の分野を中心に議論が進められてきた。その後、2015年採択のパリ協定においても「公正な移行が不可欠」と記載される等、国際的に重要性が広く認識されるようになっている。
2.EUにおける取り組み
具体的な取り組みも始まっている。先行する欧州連合(EU)は、2020年1月発表の「欧州グリーン・ディール投資計画」において「公正な移行メカニズム」を導入し、中核の「公正な移行基金」の規模は175億ユーロ(2018年価格、日本円で2兆円強)に上る。同基金は、中小企業やスタートアップにおける技術開発の後押しといった企業向け支援に加えて、リスキリング等の労働者向け支援にも資金が重点的に拠出される。
同メカニズムの特徴は、次の3点にまとめられる。第1に、脱炭素移行に伴って悪影響を強く受ける地域を中心に資金が配分される点である。同基金の国別配分額GDP比をみると、ブルガリアやエストニア等の東欧諸国への配分が大きくなっている(図表1)。東欧には産炭地域が多く、脱炭素移行に伴う石炭需要減少の悪影響を受けやすいためである。
第2に、欧州委員会の専門家による各地域の「公正な移行計画」の審査が行われる点である。支援を申請するEU加盟国や地域は、脱炭素移行に向けて各地域がかかえる課題や2030年までの目標、目標達成に必要な事業等を記載した「公正な移行計画」を作成し、欧州委員会の専門家による審査を受ける必要がある。審査を通じて、加盟国及びEU全体の目標との整合性を高めつつ、各地域の実情に即した支援が可能となる。
第3に、地域に対する情報提供や能力開発の支援が行われる点である。欧州委員会は、公正な移行プラットフォームを設置して、ウェブサイト上で申請に必要な様々な情報を提供しているほか、各地域のベストプラクティスも共有している。また、各地域の公的機関や企業の計画遂行能力の強化に向けて、専門家の派遣等による技術的な支援も行っている。
公正な移行メカニズムが支援対象とするのは、GHG高排出産業への依存度が高い地域である。たとえば、EU最大の産炭地域の1つで、鉱業部門に多くの雇用をかかえるポーランドのシレジアには22億ユーロもの資金が拠出され、中小企業の事業多様化や新規事業創出といった企業向けの支援のほか、職業教育と連携した労働者向けの支援などが行われている。ほかにも、欧州最大級の製鉄所が立地しており、同国で最もGHG排出量が多いイタリアのタラントには7億ユーロ弱の資金が拠出され、中小企業におけるイノベーションやスタートアップの支援のほか、労働市場へのアクセス改善に向けた支援が行われている。
3.わが国に求められる対応
わが国も、脱炭素実現には産業構造の転換が不可欠であり、公正な移行に向けた取り組みが求められる。昨年2月策定の「GX実現に向けた基本方針」では、社会全体のGXに向けて、新たなスキル獲得や労働移動の支援等による公正な移行の重要性が示された。
しかし、わが国の公正な移行に向けた取り組みは十分に進んでいるとはいえない。とくに、中小企業の取り組みの加速が急務である。2024年版中小企業白書によれば、脱炭素に取り組む中小企業は全体の2割にとどまり、多くの中小企業がノウハウ・人材・資金等の支援を求めている(図表2)。こうした中小企業には伴走型の支援が重要であり、企業が立地する地域に大きな役割が期待される。各地域において、企業や自治体、地域金融機関、労働組合、教育機関等が連携して、各地域の公正な移行に向けた課題を把握し、具体策を検討・推進できれば、中小企業の取り組みの加速につながると考えられる。
もっとも、各地域での対応には限界がある。そこで、わが国政府には、EUの事例も参考に、脱炭素移行の悪影響が大きな地域を見極め、情報提供プラットフォームの構築や地域の公正な移行計画策定の支援、資金・技術面の支援等を通じて、地域の実情に即した取り組みを後押ししていくことが期待される。
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※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。