オピニオン
海洋における新ビジネス創出への視点~アンカーテナンシーの活用を~
2024年07月23日 岩崎海
日本の海洋産業は、漁業、海運、港湾、造船が金額ベースで大きな割合を占めている。こういった古くからあるビジネス以外にも、再生可能エネルギーやロボティックスなどの分野において、新たなビジネスが生まれようとしている。海洋における新たなビジネスの動向を知る上で参考になるのが、2024年4月に総合海洋政策本部において決定された「海洋開発等重点戦略」である。ここには「海洋立国」の実現を目指した6つの重要ミッション(海洋開発等重点施策)が掲げられている。これら重要ミッションのうちの一つが自律型無人探査機(AUV)である。以下では、このAUVを例に、海洋における新ビジネス創出の方策について考えてみたい。
AUVは、「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第3期 海洋安全保障プラットフォームの構築」に採択されるなど、新しいビジネスとして注目されてきたものである。SIPの「社会実装に向けた戦略及び研究開発計画」(2024年)では、実証レベルの目標設定に留まり、その先に進めていない(※1)。内閣府は「自律型無人探査機(AUV)官民プラットフォーム」を立ち上げ、提言書を取りまとめたが、そこでも具体的なユースケースを提示することには踏み込めていない。海洋における新しいビジネスとして注目されてはきたが、実装の道筋がなかなか見えてきていない。
こういった状況下では、事業者もなかなか新しい一歩を踏み出すことはできない。どうすればこの状況を変えることができるだろうか。それを考える上で参考になるのが、米国の宇宙政策における官民連携の手法である。アメリカ航空宇宙局(NASA)は、国際宇宙ステーションへの人員物資の輸送を事業者に委ねるに際し、アンカーテナンシーを用いた。アンカーテナンシーとは、米国政府のミッションに資する商業宇宙製品やサービスを、政府が十分な量を調達することを約束することを指す。アンカーテナンシーに基づき、複数年の契約につながることから、事業者は将来の需要を見越して投資を呼び込み、必要な開発資金を得て、事業化へ踏み込みやすくなる。実際、SpaceXの成功につながった要因として、アンカーテナンシーを含む政策があったことが大きい。アンカーテナンシーを成立させるには、ビジョンをもつ人物や機関による関係者との粘り強い対話と賛同者の獲得、具体的な計画への落とし込みが必要になる。見通しがつきにくい状況において事業化を進める上で有用な官民連携の手法と言えよう。
では、AUVのビジネス化において、アンカーテナンシーはどのように活用できるだろうか。国際宇宙ステーションへの人員物資の輸送の産業化には、①多額の投資が必要、②幅広い分野の事業者の参画が可能(波及効果が高い)、③国の意向が強く反映される、という特徴がある。AUVの事業化においてこのような特徴が共通するのは防衛や海洋調査といった分野だろう。これらの分野は高スペックな製品やサービスが要求されることから、開発の難易度が高まり投資額が高くなるとともに、多くの企業等が関連してくる。また、民間の需要から比較的離れた世界であり公共の意向が分野動向を左右する。前述の内閣府の提言書においても、AUVの大きな市場成長が見込まれる分野として防衛分野が挙げられている(※2)。アンカーテナンシーが有効に機能し得る防衛や海洋調査分野において、AUVを対象とする需要が創出されるとどのような効果がうまれるのか。政府から高性能なAUVに関する一定の需要が提示されることで、開発を推進するインセンティブが高まり、新たな事業者も参入しやすくなる。そこで開発されたものは公共のために用いられるだけでなく、技術の転用やダウングレードを図ることで民間向けのビジネスに繋がっていき、規模の経済から製造コストの削減にもつながる。例えば、防衛や海洋調査に使われたハイエンドな技術を海底ケーブルの保守に利用したり、廉価版を浮体式洋上風力発電のメンテナンスに利用したりすることが期待できる。
これは、先端科学技術のデュアルユース(軍民両用)を受け入れていこうということでもある。軍事目的の科学研究に一貫して反対の立場を表明してきた日本学術会議は、2022年に「従来のようにデュアルユースとそうでないものとに単純に二分することはもはや困難」として、事実上デュアルユースを容認する見解を示している(※3)。民生のシングルユースではなかなか先が見えないAUVも、防衛分野とのデュアルユースも考慮することで堅実な需要が見えてくる。それをアンカーテナンシーとし、民間のビジネス育成につなげることもできる。海洋は、色々な意味で宇宙と似ている。海に囲まれた日本にとって、海洋は身近なフロンティアであり、海洋における新ビジネス創出は、日本の未来をつくる上でも極めて重要なテーマとなる。米国が宇宙をフロンティアに切り開いてきた新ビジネスの創出手法を、今一度、見返してみるべき時だろう。
(※1) SIP が目指すべき社会実装について関係者の認識を一致させる取組として、成熟度レベル(XRL)が設けられている。事業面に関しては、BRL(Business Readiness Level)が設定されており、レベル1「基礎研究」からレベル6「実証」、レベル7「事業計画」、レベル8「スケール」、レベル9「安定成長」といった段階分けになっている。
(※2) 防衛分野における水中無人機は、UUV:Unmanned Underwater Vehicleと呼ばれる。
(※3) 日本学術会議議長から小林内閣府特命担当大臣に対して、「先端科学技術、新興科学技術には、用途の多様性ないし両義性の問題が常に内在しており、従来のようにデュアルユースとそうでないものとに単純に二分することはもはや困難で、研究対象となる科学技術をその潜在的な転用可能性をもって峻別し、その扱いを一律に判断することは現実的ではない」と回答があった。(内閣府「小林内閣府特命担当大臣記者会見要旨 令和4年7月29日」)
参考文献
・岩崎海「日本の海洋ビジネス振興に向けた官民協働のプロセスに関する提言―アメリカの宇宙政策をベンチマークにエコシステム形成へ―」JRIレビュー Vol.5,No.116
・自律型無人探査機(AUV)官民プラットフォーム「自律型無人探査機(AUV)官民プラットフォーム 提言書」令和5年10月
・総合海洋政策本部「海洋開発等重点戦略 ~海洋の無限の可能性を我が国の成長に活かすために~」令和6年4月26日
・内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP) 海洋安全保障プラットフォームの構築 社会実装に向けた戦略及び研究開発計画」令和6年3月21日
・内閣府「小林内閣府特命担当大臣記者会見要旨 令和4年7月29日」 2024年7月19日参照
・日本学術会議会長メッセージ「『研究インテグリティ』という考え方の重要性について」 2024年7月19日参照
・日本財団「日本の海洋経済規模調査について」2023年4月
・読売新聞オンライン「学術会議、軍民『両用』技術の研究を容認…『単純に二分するのはもはや困難』」2022年7月27日 2024年7月19日参照
・NASA” Commercial Acquisition; Anchor Tenancy” October 29, 2012
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。