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【日本総研 サステナビリティ・人的資本 情報開示状況調査(2023年度)】
第5回 人的資本編②

2023年08月30日 太田康尚、方山大地、髙橋千亜希國澤勇人


1.はじめに
 ここまでの第1回~第4回においては、有価証券報告書内におけるサステナビリティ情報及び人的資本情報の開示概況について述べてきた。第5回となる本稿では、人的資本情報に焦点を当て、対ステークホルダーの観点から充実した開示に取り組んでいる企業の特徴について分析・解説する。
 第3回でも述べた通り、企業が人的資本情報を開示する際は、様々な開示パターンや指標を用いるが、企業の注力度合いによって、人的資本情報の質や量に大きな差がある。そうした中で、充実した人的資本情報の開示に取り組んでいる、すなわち自社の人的資本の現状及び人材戦略を分かり易く説明している企業の特徴として、以下の2点が挙げられる。

① 自社の経営戦略を起点として、中長期的に必要な人材像を明らかにし、その人材の育成・確保策を関連づけて説明している(=経営戦略と人材戦略の連動)

② ①の人材像を明らかにする際、その人材を把握するための定量的な指標を示している(=As is -To beギャップの定量把握の取り組み)


2.経営戦略と人材戦略の連動に向けた取組
 企業が人的資本経営を実践していく上で必ず意識する要素の一つに、経営戦略と人材戦略の連動があり、人的資本経営の質を左右する要素とも言える。経営戦略と人材戦略の連動とは、具体的には図表1に示した状態が実現出来ていることを意味する。



 具体的には、自社の経営戦略の実現に必要な人材像・人材要件を明らかにした上で、それらと関連づけて人材の育成・確保策を導出すると同時に、人材育成・確保の「土台」となる社内環境整備のあり方も整理している企業は、経営戦略と人材戦略の連動が実現出来ていると言える。
 特に、今回の調査対象企業の中では、「経営戦略⇒戦略実行に向けた必要な人材像・人材要件⇒人材育成方針」の部分を的確に説明出来ている企業と、そうでない企業とで大きな差が見られた。上記の部分を的確に説明出来ている企業は、自社の経営戦略の実行に向けて必要となる具体的な人材像・人材要件を、人材タイプ(ex. 次世代経営人材、イノベーション人材など)や人材ポートフォリオとして表現し、そうした人材の育成・確保に向けた施策が「なぜ必要なのか」も交えながら説明している。開示されている施策群も、単なる研修を列挙したものではなく、その企業独自の施策(ex. 計画的なタフアサインメント、キャリア開発プログラムなど)が含まれている傾向にある。
 一方で、上記の部分が曖昧になっている企業は、そもそも経営戦略に全く触れられていなかったり、必要となる人材像・人材要件が不明確になっていたりする傾向にある。こうした企業の開示は、人材育成・社内環境整備方針といった必要最低限な要素は含まれているものの、経営戦略と人材戦略の連動が意識されているとは言い難い。
 今回の調査対象企業の中で、上記のような経営戦略と人材戦略の連動を適切に説明していた企業はかなり限定的であった。大半の企業では、経営戦略と人材戦略の連動は曖昧であり、人材育成・社内環境整備に関する施策を列挙しただけになっている企業も見られた。したがって、日本を代表するTOPIX100の企業であっても、経営戦略と人材戦略の連動を実現し、本質的な人的資本経営を実践出来ていると見られる企業は少数派である可能性がある。
 それでは、上記の状況の中でも、経営戦略と人材戦略の連動を適切に説明している企業はどのような開示を実施しているのか。以降、具体的な好事例を取り上げながら解説していく。今回取り上げたある好事例企業の開示の全体像は図表2の通りである。



 上記の企業の開示の特徴は、主に以下の3点である。

① 4つの成長戦略の実行を支える人材像が、具体的な人材要件・スキル要件に落とし込まれる形で具体化されている。

② 人材像ごとに講じられている育成施策が説明されている。(=人材育成方針)

③ 人材育成・確保の全社的な土台という位置づけで、組織風土・カルチャーの醸成に向けた社内環境整備の取り組みが明確化されている。(=社内環境整備方針)

 上記①の通り、この企業では4つの成長戦略が示され、それぞれの戦略の実行を支える人材像が具体化されている。また、人材タイプごとに目標とする人員数もKPIとして設定されている。加えて、上記②の通り、人材像ごとにどのような施策を通じて育成していくのかも明記されている。他の企業では、育成施策が総花的に列挙されている企業も多く見受けられたが、この企業では人材タイプごとにどのように育成していくかを丁寧に説明している点が特徴的であった。このように、経営戦略から導かれる必要な人材像・人材要件、そしてそれを実現するための育成施策が一貫して説明されている例と言える。
 さらに、上記③の通り、この企業では4つのタイプの人材の採用・育成・確保に向けた土台として、エンゲージメント向上を通じた組織風土・カルチャーの醸成に取り組んでいる。また、エンゲージメント向上のために、ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DE&I)や健康経営の推進にも積極的に取り組んでいる。組織風土・カルチャーといった社内環境は、特定の人材に作用するものではなく、基本的には企業の全社員に作用するものである。そのため、社内環境整備方針は、「人材像・育成施策ごとに○○の取り組みをする」という類のものではなく、「自社の人材育成・確保の共通の土台」という位置づけで明記される方が望ましい。この企業では、こうした社内環境整備の位置づけを図表で説明している点でも、一定の示唆がある事例と言える。
 このように、「経営戦略⇒戦略実行に向けた必要な人材像・人材要件⇒人材育成方針」の全体像を明確に開示している企業は、経営戦略と人材戦略の連動を意識した取り組みを実践し人的資本価値向上に積極的であるとステークホルダーから評価されるだろう。

3.「As is - To be ギャップ」の定量把握のための取り組み
 求める人的資本の実態とあるべき姿を定量的に示すことは、ステークホルダーの理解を深めてもらうことに有効であることから、本調査で確認した各社の定量的な指標開示の状況と好事例の要点について紹介する。

 本調査対象各社が開示した人的資本に関する指標カテゴリー別の実績と目標の定量的な開示状況は図表3のとおりである。定量実績を開示している割合は、総指標数の内81%であり、さらに定量目標を開示している割合は総指標数の内51%であった。一部の指標には目標はあるが実績を開示していないものもあり、取り組みが初期段階であることを感じさせる開示も見受けられる。

 人材定義や取り組みの状況などにより定量化が難しい指標もあるが、あるべき人的資本を独自に定義し、その実現に向けた取り組みを、より分かり易く開示していく余地は大きい。  
 また、企業単体として開示するが、企業グループとしての開示ができていない実態も見受けられる。人材育成方針や環境整備方針の周知および実践をグループ全体に広げることは、企業グループが大きいほどハードルが高いが、連結での人的資本のモニタリングの仕組み整備に積極的に取り組む企業もある。グループ方針として打ち出している企業の開示範囲が、今後広がっていくことを期待したい。


※指標カテゴリー分類の定義および開示社数は「第3回 人的資本編① 図表5」に記載している。


 “「As is - To be ギャップ」の定量把握のための取り組み“の好事例の特徴は、図表4の5つのポイントに整理できる。①~③の情報を示すことにより、開示情報は分かり易くなる。また、④と⑤を示すことで、より具体的に目指す方向と取り組みを伝えることができ、理解を深めてもらえるための好事例といえる。これら人材育成の全体像を語ったうえで、環境整備方針に基づく健康や安全などの指標についても実績と目標を示すことが望ましい。
 ①⇒⑤の順番に難度が高くなり、開示している企業も少なくなる。特に④と⑤は開示している企業はごく一部であり、難度が高い。せめて①~③については、求める人材要件を具体的に定義したうえで定量的に開示することが望ましい。

① 現状の人的資本の定量把握
開示指標の定量実績にあたるものである。自社の求める人材要件を具体的に定義したうえで、その人材の実態を定量的に示すことが望ましい。さらに経年の実績により進捗を示すことで、取り組み状況を具体的に示すことができる。
② Gapを埋めるための具体策
①と③が具体的に示されることにより、そのGapを埋めるためにどのような施策が必要であるかが浮かび上がり活動の質が上がることが期待できる。
③ 求める人的資本の定量把握
開示指標の定量目標にあたるものである。自社の求める人材要件とその到達点を質および量で具体的に定める。この求める人材象の解像度が低いと、上記①と②の具体性が無くなりぼやけたものとなる。
④ 人的資本とoutcome の因果関係
求める人材象がもたらす結果を定量的に示すため、その因果関係を明示する。ここまで明示することができると人的資本と経営戦略の関係をどう考えているかをより鮮明に伝えることができる。
⑤ 人的資本が生む価値の定量化
④を明示している場合は、さらにoutcomeに繋がる要素を定量的に示すことより人的資本活動の全体像に対する理解を促すことができる。ただし、その要素によっては定量的に明示することが難しく非開示されることも少なくない。

4.おわりに
本稿では有価証券報告書における人的資本開示において注目されていた「経営戦略と人材戦略を連動させるための取組」および「As is - To be ギャップ」の定量把握のための取り組み」の2点について分かり易い開示としての好事例の要点について述べた。
 初回の開示は必要最低限のものとし、より具体的な方針と施策および開示指標の検討を引き続き進めている企業もあることから、今後ステークホルダーに向けたメッセージの質の向上が期待される。
 次回以降の連載では、今回の調査対象企業の中からサステナビリティ情報開示、および人的資本開示の好事例に着目し、対ステークホルダーの観点からより充実した開示に取り組んでいくための示唆を引き続き提示していく。

以上

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。
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