アジア・マンスリー 2022年7月号
アジア景気は良好も、金融面で下振れリスク
2022年06月27日 野木森稔 、松本充弘
アジア地域は安定した経済成長が続く見通しであるが、一方で、米国の金融政策正常化に加えて新型コロナとウクライナ問題などの外生要因により資本フローが不安定になるリスクにも注意を要する。 1.2022年は安定した成長が持続 2021年秋口からアジア諸国の景気は総じて回復に転じたが、2022年に入ってから国・地域間のばらつきが大きくなった。これには、新型コロナ感染への対応の違いが背景にある。中国と香港では、感染が再拡大したことを受けて、厳しい活動規制が発動された。特に中国では、ゼロコロナ政策が頑なに実行されており、3月には最大都市の上海でロックダウンが発動されたことで、個人消費の急減や生産活動の停止が景気を大きく下押しした。一方、中国と香港以外のアジア諸国は、「ウィズコロナ政策」へ方針転換し、感染対策として厳しい活動規制を実施していない。韓国や台湾では、新型コロナ感染者数が年明け以降急増し、人々が感染を回避するために経済活動を自粛したことで内需が停滞した。しかし、電子部品を中心とした輸出の伸びが支えとなり、景気の持ち直しが続いている。また、ASEANでも春先にかけて感染者数が増加したものの、商業施設などで人出が増加するなど、経済活動の停滞は回避されており、内需の力強い回復が景気全体を支えた。 先行きについては、以下の通り、①活動規制の緩和、②中国経済の持ち直し、③外需の増加の三つの要因によりアジア地域経済の回復が続くと予想する。 第1に、多くの国・地域が活動規制を一段と緩和することである。すでに、中国を除くアジアでは、小売・娯楽施設の人出が大幅に増加し、消費活動が活発化している。今後も規制緩和の進展が予想され、それに伴う需要回復で小売業やサービス業が経済成長のけん引役になると見込まれる。 第2に、中国経済の持ち直しである。中国では、ゼロコロナ政策は維持されているものの、感染者数の減少により活動制限は着実に緩和されており、個人消費や工業生産は今後、リバウンドが見込まれる。また、春先のロックダウンによる経済の落ち込みを受けて、政府は財政支出を拡大する方針を示している。2022年の経済成長率目標(+5.5%前後)の達成は容易ではないものの、政府は公共投資を中心に、できる対策を打ち出してくるとみられる。中国経済が公需を軸に持ち直すことで、アジア景気全体が押し上げられると予想する。 第3に、外需が堅調を維持することである。財輸出は昨年にかけて大きく増加したことで、今年はその動きが一服し、増勢の鈍化は避けられそうにない。しかし、テレワーク向けのIT機材やサーバーの需要増加などハイテク製品の普及・拡大が進むなか、世界の半導体への需要は依然として強く、貿易取引の増加基調は続く見込みである。加えて、中国を除くアジア各国は、外国人観光客の入国規制の緩和へ動いている。これまで観光収入の減少により、各国のサービス輸出は低迷を続けていたが、今後は多くの国で外需全体の押し上げに寄与することが予想される。 これらを踏まえ、2022年のアジア全体の成長率は前年比+4.7%と予想される。2021年の同+7.2%からは減速するものの、コロナ禍前の2019年(+5.0%)並みの、安定した経済成長になると見込まれる。 2.新型コロナとウクライナ危機が高める金融リスク 一方で、金融面の不安定化が景気下振れリスクとなる可能性に注意が必要である。2020年3月、新型コロナ感染拡大を契機に、米FRBはバランスシート(資産)を急激に拡大させるなど大規模金融緩和を再開した。その動きは、新興国に対しても資本流入の加速や流動性リスクの低下を通じて、経済成長を支えてきた。しかし、現在では、緩和局面が終了し、金融政策の正常化が急速に進められている。 米国の大規模な金融緩和による新興国向けの資本フロー(直接投資、証券投資、その他投資の純流入)への影響を試算したところ、米国の金融緩和は2020~21年の主要新興国への資本フローを同GDP比で年平均1.3%ポイント押し上げた。しかし、米金融政策の正常化が進むことで、2022~23年の資本フローの押し上げ効果は同+0.8%ポイントと、▲0.5ポイント低下することになる。これは前回の正常化(利上げと量的引き締め)局面である2015年から2019年の5年間かけての資本フローの押し下げ幅に匹敵するものであり、短期間で大きな資本フロー減少圧力がかかることを示唆している。仮に、米国の政策金利やバランスシート規模が2008年の世界金融危機前の状態に戻ると想定した場合(正常化急加速ケース)、資本フローは▲1.2ポイント低下すると試算される。新興国の資本フローが米国の金融政策に左右される度合いはかなり大きく、その正常化の進展度合いによってはアジア景気への下押し圧力もかなり大きくなり得る。 政策金利の引き上げと中銀バランスシートの縮小が同時に進行した2018年は多くの新興国通貨が下落するなど、市場が混乱しており、今回でも同様の事態が生じるリスクは高まっている。2018年の為替市場ではアルゼンチンとトルコの通貨下落率が突出していた。両国は、経済の基礎的条件(ファンダメンタルズ)の主な尺度である経常収支の赤字が大きかったことが通貨の売り材料となった。アジアでは、経常赤字国であるインド、インドネシア、フィリピンの通貨が比較的大きく下落した。足元では、インドネシアは資源高によって経常黒字に転じているが、インドとフィリピンは引き続き経常赤字であり、今後、通貨下押し圧力が高まっていくと予想される。 さらに、新型コロナやウクライナ問題を受けて、インドやフィリピン以外のアジア諸国でも、①経常収支の悪化に加えて、②インフレの加速と、③政府債務の累増が三重苦として、経済に下押し圧力を課す懸念がある。コロナ禍による供給網の混乱やロシアのウクライナ侵攻で一次産品の価格が高騰しており、各国の輸入物価を上昇させている。インドネシアとマレーシアを除くアジア新興国では、食料や鉱物資源を軒並み輸入に頼っており、経常収支を悪化させる要因となる。また、アジア域内全体でインフレが加速している。2022年5月の消費者物価がインドで前年同月比+7.0%、フィリピンで同+5.4%、タイで同+7.1%と各国のインフレ目標の上限を超えている。加えて、新型コロナの感染が拡大してから、財政状況も急速に悪化している。2020年に医療体制の拡充や景気支援を目的とした財政支出が急拡大したが、2022年はエネルギー価格の高騰に対する家計支援策などが必要となっており、歳出削減は進んでいない。一般政府債務残高(GDP比)はインド(2019年75.1%→2021年86.8%)やASEAN5(同38.4%→50.7%)など大きく膨張している。 経常赤字、高インフレ、財政赤字は対外的な脆弱性を高めることになる。この三重苦が加速度的に大きくなれば、すでに経常収支に不安を抱えるインド、フィリピンだけでなく、アジア全体で資本フローを急激に不安定化させる恐れがある。 3.脱中国の動きと米フレンド・ショアリングの強化 新型コロナとウクライナ問題は金融リスクの拡大とともに、世界的な脱中国の動きを進め、アジア経済の構造変化を促進する可能性を高めている。ゼロコロナ政策を堅持する中国では今後も厳しい活動規制が実施されるリスクがあり、在中国の外国籍企業は同様の混乱が繰り返し生じる可能性を考慮せざるを得ない。米国商工会議所は、中国の厳格な規制が何年にもわたって海外からの投資を妨げる可能性を指摘している。実際、在中国米国商工会議所が2022年5月に実施した調査では、中国での投資を遅らせる、または減らすと答えた企業の割合は52%と4月の46%から一段と上昇している。欧州商工会議所による調査(2022年4月実施)では、77%の企業が中国の投資先としての魅力が低下したと回答し、23%の企業が中国での投資を他の国・地域へ移転することを検討していると回答した。上海日本商工クラブの調査(2022年5月実施)では、14%が対中投資を減らす、または延期すると回答している。 2017年以降の米中対立の深刻化や2020年以降の新型コロナ感染拡大が生じた際、中国離れを危惧する見方は増えたが、実際には中国離れが本格的に進むことはなかった。しかし、本年2月にロシアがウクライナへの軍事行動を開始したことをきっかけに、中国離れが本格的に始まった可能性がある。中国は明確にロシアへの経済制裁に反対する姿勢を堅持するなど、西側諸国の対応とは異なっている。西側諸国は、中国を念頭に、ロシアに経済支援の手を差し伸べる国が制裁の「抜け穴」になっていると懸念し、ロシアとの経済取引を行う外国人や外国企業に対して制裁を科す「二次的制裁」を実施することを示唆している。海外企業にとって中国でビジネスを展開するリスクはこれまで以上に高くなっている。 そのため、欧米の製造業を中心に中国生産拠点の代替地を探す動きが積極化している。さらに、米国の外交が脱中国を一段と後押しする可能性がある。イエレン米財務長官は4月の講演で友好国でのサプライチェーンを整備する「フレンド・ショアリング」の推進を表明した。5月にはバイデン大統領がアジアを歴訪し、日本や韓国で半導体生産の連携強化を話し合ったほか、新たな国家間の経済協力の枠組みビジョンとして「インド太平洋経済枠組み(IPEF:Indo-Pacific Economic Framework for Prosperity)」の立ち上げを発表した。このように米国は中国リスクを念頭に経済安全保障面で強固な国際協力体制を友好国との間で構築する構えである。脱中国と、IPEFなど米国主導のサプライチェーン強化の動きは、中国以外のアジア諸国の製造業の追い風になると見込まれる。 もっとも、TPPやRCEPとは異なり、IPEFには貿易協定がないうえに、有志国による法的拘束力を伴わない緩やかな協力ベースの枠組みであり、企業の移転やインフラ整備のための補助金拠出など、具体的な推進策も示されていない。一方で、ASEAN諸国を中心に、中国と経済的な結びつきが強い国も多く、米国が考えるような中国包囲網としてIPEFが機能するかは現在のところ未知数である。アジア経済の構造変化の先行きを見通すうえでも、IPEFに関する今後の具体的な動きが注目される。
株式会社日本総合研究所 The Japan Research Institute, Limited
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