1.「身寄りのない高齢者」への注目の高まり
厚生労働省の地域共生社会の在り方検討会議中間とりまとめ(令和7年5月28日)には「身寄りのない高齢者等が抱える生活上の課題に対する支援策の在り方」として、日常的な金銭管理や福祉サービス等利用に関する日常生活支援、円滑な入院・入所の手続支援、死後事務支援などを提供する新たな事業が提案されており、その後社会保障審議会福祉部会でも議論がなされている。高市新首相から閣僚への指示書(令和7年10月21日)においても、厚生労働大臣への指示として「関係大臣と協力して、認知症基本法に基づく総合的な施策を推進するとともに、身寄りのない高齢者の身元保証等について、関連制度等の必要な見直しを進める。」とあり、身寄りのない高齢者への対策が急がれていることがわかる。
社会保障審議会福祉部会(令和7年11月17日)では、支援の内容が以下のように具体化されている。
| 支援の種類 | 事業内容の例 |
|---|---|
| 「日常生活支援」:地域での生活を営むのに不可欠な支援を行うこと | ・定期連絡等の定期的な見守り ・一定額の預貯金出し入れ、福祉サービスの利用料や公共料金等の支払いなど、日常的な金銭管理 ・福祉サービス利用の手続支援等の福祉サービスの利用援助 ・通帳、年金・保険証書等の重要書類等の預かり |
| 入院・入所等の手続支援」:身寄りがいなくても、入院・入所や退院・退所の手続が円滑に進められること | ・契約の立会や付添など、入院・入所又は退院・退所の手続時の支援 ・緊急連絡先の提供 ・入院費用の支払代行 |
| 「死後事務の支援」:利用者が亡くなられた後、死後の事務が円滑に進められるよう、事前に準備しておくこと | ・葬儀(火葬)・納骨・家財処分の契約手続の支援及び契約履行の確認 ・資格喪失手続、各種証書返却等の行政官庁への届出 ・公共料金の収受機関等への連絡 |
身寄りのない高齢者は少なくとも、事業内容の例にあるような場面において支援が必要になることがわかっており、第二種社会福祉事業において、家族以外の担い手を増やすことが目指されている。これらは元々、高齢者等終身サポート事業が担ってきた領域であるが、ある程度の資力が必要であり、利用可能な地域も限られている。資力のない人も全国で利用できる手立てが求められていることから、無料又は低額な費用でも利用できる手段の検討が行われている。
第二種社会福祉事業における新たな事業の対象者は、「判断能力が不十分な人や頼れる身寄りがいない高齢者等とし、地域で自立した生活をし続けるために、生活上の課題に関して支援を要する者」となっており、「身寄りがあっても、家族・親族等の関係は様々であり、一律に身寄りがある者を対象外とすることは適当ではないと考えられる。」という注意書きが添えられている。身寄りのなさの定義が抽象的であることや、身寄りのなさに伴う困難の異質性が高いため、誰のどのような課題なのかが統一されず、特に「身寄りのない高齢者」についての議論は進みにくい。
2.身寄りの定義について
「身寄り」については、これまでも明確な定義はなされていない。「「身寄りがない人の入院及び医療に係る意思決定が 困難な人への支援に関するガイドライン」に基づく事例集」(2022年7月)では、以下のように記述されている。
| (1)「身寄りがない人」はどのような人か? 民法において「親族」と定義される身分関係にある者でも、その時々の状況によって、法律上認められる権利や課される義務は異なる。たとえば、患者の医療費を負担する義務を負う者、患者が死亡した際にその財産的地位を相続できる者、近親者として加害者に慰謝料を請求することができる者・・・これらは重なることもあれば、そうでないこともある。また、裁判例やガイドラインには、患者が医療について決定することができない状況等において、医療機関が接触を図ることが求められる「家族等」の存在が示唆されることもあるが、ここでの「家族等」と民法上の「親族」は必ずしも同義ではない。このような状況において、「身寄り」という言葉を定義することは困難である。そこで、本事例集は、状況に応じて「身寄り」という言葉の指す内容は変わりうるという考えを前提にするものであることを予めお断りしておく。なお、法的に親族関係のある者が存在する場合にも、それらの者が患者との関係を拒否する場合には「身寄りがない人」に含める。 |
また、長く身寄りの問題に取り組んでいるNPO法人つながる鹿児島(現NPO法人やどかりプラス)の「『身寄り』のない当事者による互助を促進する共生地域創造事業」報告書(2020年3月)には以下のように記述されている。
| 「家族による支援」があたり前の前提とされていて,しかも,連帯保証や身元引受という慣行が存するこの社会において,頼れる家族・親族がいない,つまり『身寄り』のない人が居住・医療・介護といったいのちとくらしにかかわる重要な場面で排除されているのではないか |
いずれも、身寄りが指すものが家族や親族が前提となっている社会の状況は踏まえたうえで、家族や親族がいたとしてもそれが頼れるものでなければ身寄りがあるとは言えないことを示している。
さらに、地域共生社会の在り方検討会議(令和6年10月29日)にNPOやどかりプラスの芝田理事長が参考人として出席した際には、身寄りという言葉を、家族・親族から離れて、改めて解釈している。
| 身寄りの基本的な意味は「身を寄せるところ」。 ところが,今日,2024年の現在において,私たちが身寄りと呼ぶものは,ほぼほぼ家族・親族を指していて,その他のものを含んでいるようには思えません。 つまり,もともと身寄りという言葉には,ご近所,同級生,同僚,同郷等さまざまな「身を寄せるところ」が含まれていたのだけれど,時代の変化の中でこれが含まれなくなった,ということではないかと思われます。 私が,身寄りという言葉に『身寄り』と常に『』をつけているのはそういう意味があります。 『身寄り』とは,辞書に記載されている身寄りの定義とは異なり,今日,2024年の現在において,われわれが身寄りだと思っているものである,ということを示すため,また,身寄りという言葉の意味を今一度考えてもらうためです。 『身寄り』問題の解決は,親類・縁者がなくても「身を寄せるところ」が得られるようにすること,なのかもしれません |
より抜粋日本総合研究所が実施した調査研究事業(※1)においては、地域包括支援センターや居宅介護支援事業所や在宅サービス事業所と、介護保険の給付を受ける施設とでは、「身寄りのなさ」の感覚が異なることがわかった。自宅で生活する高齢者を支援する前者は、頼れる人が全くいない場合だけでなく、入院・入所などの緊急時のみ支援が得られる場合、死亡時のみ支援が得られる場合も、「身寄りがない」という感覚であった。つまり日常生活において、介護保険でカバーされないものも含めた細かな支援が得られなければ、身寄りがあるとはいえないということである。
一方で、施設においては連絡先がない場合だけでなく、緊急時に連絡が取りにくい、連絡が取れても遠方や高齢で来ることができない場合も、「身寄りがない」という感覚であった。日常的な支援は施設サービスの範囲に含まれているため不要だが、施設の業務範囲外となる緊急時(主に医療機関への搬送や死亡)への支援が得られなければ、身寄りがあるとはいえないということになる。このように、身寄りのなさは、その場で必要とされる支援によっても定義が異なり得る。
3.人生の後半期における「身寄り」の定義
これまで、身寄りのない高齢者に対する支援を考える際、親族が全くいない場合だけでなく、親族がいても頼れない場合もあることで定義に混乱が生じている。親族がいる=身寄りがある、と定義を始めると、「身寄りがあるのに頼れず、実際的には身寄りがないことと同じ」という状態をうまく処理できなくなるからである。問題は、親族がいる・いないではなく、頼れる人がいるかどうかであり、その点に着目して新たに身寄りを定義した方がよいと考えられる。つまり、「親族に」「何もかも」任せるという発想から脱し、必要な支援を提供する人を「身寄り」と考えることである。
特に高齢期は多くの人がいずれかの時点で、生活するために人の手助けを必要とする。また、死にまつわる手続きを完結させるためには必ず他人の手が必要である。そのため、支援を提供する身寄りが必要とされる。
本稿では「身寄り」を、人生を全うするために必要な支援を提供する人と定義する。
具体的には、以下のような人が挙げられる。

さらにこれらを必要に応じて適時に提供することが重要である。
これらに該当する人を身寄りとすると、親族とは限らないし、親族が必ずしもすべてを満たさないこともわかる。また、お金や権限のことを考えると、知人・友人だけでは難しい局面があることがわかる。
身寄り≒親族としての理解のままでは、実際に支援が必要な人を見逃したり(例えば、親族はいるが支援が受けられない人)、支援を提供できる可能性のある人(例えば、友人知人)を見逃したりすることが懸念される。
4.「身寄り力」を連続的なものとして評価すべき
さらに、身寄りは「ある・ない」ではなく、「身寄り力」のように連続的なものとしてとらえたほうが考えやすい。下表は支援側の持つ身寄り力のイメージである。同居の子世代の親族は、4種類の支援をすべて提供可能であることから身寄り力は最も高くなっている。近距離に住む親族や遠距離に住む親族も、全てではないが部分的な支援を提供できるので中程度の身寄り力としている。疎遠な親族でも、たとえば死後事務だけは行えることがあるので身寄り力は0ではない。また、友人・知人も、部分的に支援を提供できるので、提供できる支援は異なるが疎遠な親族と同等の身寄り力を持っている。というように、関与する人がそれぞれに身寄り力を有しているととらえられる。

5.「身寄り力」を評価することで、何にどう備えるべきかが見える
また、より実用的な身寄り力の活用としては、下表のように個人別の評価が考えられる。

個人によって生活状況は様々であり、必要な支援もバリエーションがある。Aさんは配偶者と子によってすべての支援を受けられるので身寄り力が高い(外部のサービスを活用することも支援に含まれる)。Bさんは子は海外におり、配偶者は高齢であるが、知人にも助けを借りることができ、同様に身寄り力が高い。Cさんは普段疎遠ではあるが、甥が公的な手続きや死後の手続きを行ってくれることになっており、側には友人がいて日常的な支えになっている。ただ、お金の支払いや、保証人の依頼はできる人がいない。このような場合、金銭管理や保証人等を引き受けてくれるサービスの利用が必要となる。Dさんは友人によって日常生活上の支援は受けられるが、保証人を頼むことや公的な手続きを頼むことは難しく、死後事務を含めたサービスの利用が必要になる。Eさんは支援を提供してくれる人が誰もおらず、身寄りのない状態といえる。この場合は、CさんやDさんのようなサービスの利用に加え、地域との関りを促すような関りも同時に求められる。
このように個人の状況を踏まえ、個別に必要な支援を洗い出すとともに、誰が支援を提供しうるかを想定し、足りない部分をどう埋めるかについて考える必要がある。
6.人生の後半期を、ありたい形で全うするために、誰もが自らの身寄り力に目を向けるべき
人生の後半期の特徴は、誰もが人の手を借りなければならないことである。人生の初期にはほぼ親がいるが、人生の終期において手を貸してくれる人は必ずいるわけではなく、またそれが誰であるかもあらかじめ決められてはいない。誰が身寄りとなり手を貸してくれるか、どんな身寄りを必要とするのかは、個人のそれまでの暮らしによって異なる。
人生は不確定要素が多く、全てをコントロールすることはできないが、せめて、困った時に誰をどう助けることができるか、誰にどう助けてもらえるかについては、年代を問わず全ての人が時折考えておくべきではないだろうか。それにより、「身寄りのなさ」が決して他人事ではないことを感じられるだろう。また、身寄り=親族というとらえ方から脱することによって、「身寄りのなさ」が固定された状況ではなく、例えば自ら身寄りを作るとか、周囲の支援によって作り出すなど、変化しうるものだというとらえ方に変わっていくことも期待できる。
親族の有無という、自分の力の及ばないことによって人生の後半期のあり方が決まってしまう社会であってはならない。「家族ありきではない社会」は近年様々なところで聞かれるフレーズであるが、「身寄り力」への注目はその実現の一歩だと考えている。
(※1)株式会社日本総合研究所
「介護職員等における身寄りのない高齢者等に対する支援の実態に対する調査研究事業」

「介護現場における身寄りのない高齢者等に対するサービス提供の実態にかかる調査研究事業」

報告書(令和6年度老健補助事業)、2025年3月
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

