オピニオン
メタバース世代の生物多様性
2025年05月13日 古賀啓一
SDGsを学校教育として受ける我が子との会話や環境をテーマとした展示会等で見聞きする限り、環境問題としての「生物多様性」に関する知識は、次世代においてより順調に浸透しつつある。では、今後20年、30年経ったときに、彼らは自然とどのように向き合っているのだろうか。
人間と自然の距離の変化
人と自然の向き合い方は、これまでも、都市に人口が移動するにつれて変化してきた。都市部の子どもは、日常生活というよりも、学習やレジャーを通じた体験が主な自然との接点となっている。
今後大きな変化をもたらすのはデジタル環境だ。今は当たり前に普及しているスマートフォンは誰も持たなくなり、スマートグラスやスマートコンタクトに取って代わっているとする予測もある。国が進めるムーンショット型研究開発制度では、空間、時間、身体、脳の制約から解放された「サイバネティック・アバター生活」を目指した研究開発が進められており、2050年までに遠隔操作するアバターとロボットを組み合わせて活動する未来像も描かれている。我々がスマートフォンを通じてインターネットに触れるのが当たり前であるように、次世代ではメタバース(仮想世界)がより身近になり、学業、仕事、娯楽など、より長い時間を過ごすことになる。
こうした未来では、都市か地方かという個人の生活拠点に関わらず、自然との距離は今よりも遠くなっているのかもしれない。見た目が苦手な虫や、土の汚れ、けがのリスクなど、忌避感を覚える事象を避け、自然のなかでも見たいものや体験したいものを、メタバースを通じて取り入れる傾向が強くなるだろうからだ。
自然と人間の距離を遠ざけるメタバース空間がリアルな自然にもたらすメリットも考えられる。例えば、観光公害など、人が自然に立ち入ることによる負荷は、メタバースでの体験に代替することで抑制することが期待できる。他にも、ペットにするための希少動物の違法流通問題も、メタバースでのペットとの生活によって解決できるようになるかもしれない。メタバースが当たり前になるからこそできる自然との関わり方が、新たに生み出されていくだろう。
自然をデータ化する潮流
メタバースを通じて自然と関わるとすれば、リアルな自然がメタバースに反映されていることが必要で、そのためには自然をデータ化することが避けて通れない。地表面の構造や気象、植生に関する衛星データ、土壌データ、遺伝子データなど、自然に関する情報はこれまでにも蓄積されてきた。近年では、ドローンを用いて地域の植生を立体的に把握することでリアルな自然の形状をデータ化するサービスも生まれている。これらのデータがメタバースに反映されるようになれば、例えば今は文字と数字、部分的な地図や絵で示される地域の自然計画が、子どもも含めた地域の人々にわかりやすく共有できるようになる。
データを収集する仕組みについても、これまでの研究目的での収集以外の道筋が見えつつある。例えば、企業が自然に関する情報開示を行うには、自らの事業所周辺等でのリアルな自然のデータ収集が必要になる。国が生物多様性の増進を目的として推進する「自然共生サイト」では、取組成果をモニタリングすることが重視されている。国内外で検討が進む「生物多様性クレジット」においては、取引の基礎となる生物多様性の指標化が不可欠な要素となっている。
現在活躍する科学者やNGO・NPO、市民科学者等に加え、ビジネスの世界も含めたデータ収集の関係者が拡大すれば、リアルな自然に関するデータ量は急速に拡大していくだろう。
リアルとメタバースの自然をつなぐ解説者が求められる
リアルな自然に関するデータ量が拡大すれば、さまざまな用途が提案されるようになる。メタバース上のデータ活用を入口に、予期しないリアルな自然へのリスクを招く可能性もある。
現時点でも、例えばDNAデータについては、環境中に存在する生物の観測のみならず、絶滅した種の復元まで実現しようとするような技術開発につながっている。映画「ジュラシック・パーク」のようなSFの世界は、いわばメタバースの手前のようなものだが、それをリアルに実現しようとしているのだ。そして、これに対しては、アカデミアから危惧の声も聞こえ始めている。DNAデータを保存すればいつでも絶滅した生物が復元できるという勘違いが広がり、危機的状況にある自然を保全しようとする動きを鈍化させるのではないか、というものだ。また、仮に個体レベルで復元させることができたとしても、個体間のコミュニケーションや当時の自然との関係など、記録されていない・復元できないものはある。
このように、メタバース上のデータ活用において、予期しないリアルな自然へのリスクに留意すべきだ。技術の進歩自体は否定されるものではないが、データの限界について、リアルな自然を知る専門家だからこそ分かる・気づけることがある。
メタバースが自然との距離を広げた未来においては、こうした専門家の価値がますます高まるだろう。リアルな自然がメタバースを通じて一般に届くまで、データを収集する者、メタバースに反映する者、それらを使って教育やエンタメといったコンテンツを開発・提供する者など、多くの翻訳を経ることになるため、自然に対する誤った理解が増幅して広がりやすくなる。現代もフェイクニュースや陰謀論で悩まされているところだが、メタバースならではの自然との接点において、リアルな自然を知る専門家の解釈が反映される仕組みが重要となるし、専門家の育成についても進める必要がある。
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※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。