IT時評:「次の一手を読む」
第10回「エマージング市場の"非消費層"を狙え!」
出典:日本経済新聞「NIKKEI NET」 2006年12月6日
地球全体を見渡せば、少し前まで貧困にあえいでいた国々の多くが、いまやエマージング市場に仲間入りしつつある。この市場に家電や、携帯電話などのIT機器といった、成熟期に入って久しい製品を売り込んでみてはどうだろうか。そんなもの購入できるはずないと、誰もが思うに違いない。しかし現実に、中国やインド、さらには最貧国の代表格とされてきたバングラデシュなどでも、こうした製品が爆発的に売れ出している。
中国では家電が急速に普及している
例えば中国では、家電大手の格蘭仕(Galanz)が、電子レンジやエアコンを売りまくっている。もともと繊維・服飾メーカーだった同社は、安価な国内の人件費を利用し、1995年頃から本格的に低価格の電子レンジの販売を始めた。価格は中国内で現在、200元(約 3,000円)ほどだ。
中国にはこの便利な機器をまだ消費した経験のない、ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授のいう「非消費(non- consumption)層」が何億人と存在する。都市部の狭いキッチンの集合住宅に住み、忙しく働くこれら非消費層の人々にとって、安くて小型で簡単に操作でき、しかもエネルギー効率の高い電子レンジは、極めて魅力的だ。この電子レンジが瞬く間に受容され、国内市場のなんと7割超のシェア(生産台数ベース)を占めるに至っている。しかも、世界市場でも50%のシェアを獲得しているというから驚きだ。
高機能の電子レンジが20万円近くする日本でも、東京の秋葉原に行けば、機能を落としたシンプルなGalanz 製品が1万円程度で手に入る。最初は中国で非消費層の需要を発掘し、その後、海外の低価格志向のローエンド(低機能)市場にまで販路を拡大したのだ。こんなことが足元で起こっている。
インドでは「インストール型ビジネス」が生まれている
インドでは米ヒューレット・パッカード(HP)が、女性自立支援団体の協力を得て、農村部に女性写真チームを立ち上げている。キャスター付きの太陽光発電(PV:Photo Voltaic)パネルと一緒にすれば、移動式の写真スタジオができあがる。そこで写真撮影・現像をして、その料金収入を同チームとHP側で折半しているようだ。村では証明書類のための需要もあるようだが、家族の写真を撮りたいといった潜在需要が強い。
HPはインド各地のそれら非政府組織(NGO)に対し、移動式写真スタジオと同社のインクカートリッジなど消耗品を販売し、それに付随して、NGOが継続購入する消耗品でも利益を出している。米国の経営コンサルタント、エイドリアン・スライウォツキーが23に分類する利益モデルのうちの1つである「インストール型プロフィットモデル」であり、インドの非消費層の需要爆発に伴い、大きなビジネスになる予感がする。
バングラデシュでは携帯電話が農村の経済自立を促している
一方、バングラデシュでは、バングラデシュ・グラミン銀行傘下の電話会社、グラミン・フォンが初期投資1億2,500万ドルでユニークな事業を始めた。村への電話普及を図るため、使用権を伴う携帯電話を直接、企業に貸し出す。また、村人の女性オペレーターが、グラミン銀行の少額無担保融資(マイクロクレジット)プログラムから融資を受け、携帯電話を購入。「グラミンの携帯女性」とも呼ばれるこのオペレーターが、村人に携帯電話を貸し、グラミン・フォンへの毎月の支払いを代行する「代理店」の役割を果たしている。電力もない村では、電源は太陽光発電でまかなわれる。
これで村人は、遠くの農作物市場に行かなくても市場価格の情報を知ることができる。時間を節約し、生産性アップにもつながる。グラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス氏は、貧困層を対象としたこのマイクロクレジット事業を創案し、今年ノーベル平和賞を受賞した。注目すべきは、それが通常の慈善事業と異なり、ビジネスとして確立している点である。彼のビジネスは1兆円を超える規模になると予想する専門家もいる。
分散型電源としての太陽光発電は破壊的なパワーを秘める
中国とインドを最近では「Chindia」というらしい。両国だけで25億の人口を抱える市場だ。ブラジルとロシアを加えたBRICsはもちろんのこと、旧社会主義国だった東欧圏や旧ソ連12カ国の独立国家共同体(CIS)、その他アジア・アフリカ地域においても、エマージング市場は高い経済成長を示している。部族闘争などが絶えず、国のガバナンス(統治)に大きな問題のある国を除けば、エマージング諸国のGDP成長率は 5%台にはなるようだ。国連がその動きを注視し続けている東欧圏・CISについて、過去5年間の年平均成長率を実際に計算すると、7%にもなる。
こうした国々の電気も通っていないような農村部では、分散型エネルギー(RE:Reusable Energy)の1つである太陽光発電(PV)を用いて、電子機器の需要が喚起されている。一方、ドイツやスペイン、イタリアなどでは、通常の電力ネットワーク方式である、グリッド(系統連携)電力の補完としてのPVビジネスが盛んである。私は欧州で視察したことがあるが、このビジネスが成り立つのは、 REからの電力の買い取りを電力会社(もしくは系統管理者)に義務づけ、一定の価格での買い取りを保証するFIT(Feed In Tariff)という仕組みが機能しているためで、地球環境のことを考えると極めて重要だが、ビジネスの観点ではあくまで補完にすぎない。
しかし、エマージング市場でこのPVを分散(スポット)方式として使用する状況を考えると、これはもう電力そのもの(必需)であるから、市場浸透力の点で破壊的なイノベーションとなる可能性が高い。PVによって、日中だけといえども電気が使えるという恩恵にあずかることができる。電気が使えるのと使えないのでは雲泥の差がある。その電気により、さまざまな電子機器が利用できるようになれば、娯楽の消費にもつながる。
エマージング市場、特に農村部の何億、何十億の人々は、娯楽という消費をまだ経験していない、いわば「非消費層」である。例えば、分散型電源とテレビを組み合わせて、こうした地域へ提供することも一案ではないだろうか。また、高速無線通信技術であるWiMAXやWi-Fiを組み合わせた通信網が整備されるようになれば、インターネットが使え、ネットテレビも観ることができる。前述のバングラデシュでの携帯電話ビジネスと同様に、インターネットを利用した分だけ、あるいはテレビを見た分だけ料金をとる、というモデルでもよい。
非消費層へのマーケティング戦略とハイテク戦略
このイメージは荒唐無稽に思えるかもしれない。しかし、非消費市場はその成長性を考慮すれば、工夫次第でデジタル家電や携帯電話といった電子機器の新たな販路になる可能性がある。富裕国に広めようとすることだけがマーケティング戦略ではなかろう。
非消費市場を狙うことは、これまでの一般常識に反する。いまの常識では、規模が大きく、利益率の高そうなハイエンド(高機能)市場をターゲットにしている。しかし、このアプローチは(1)先進国の消費市場は成長余力に乏しい(2)顧客ニーズが多様化しており先が読みにくい(市場の方向性が不確実である)――という点で、限界に達しつつある。これに対して、エマージング諸国の非消費市場は、人口という数的基盤が膨大なうえ、顧客ニーズもシンプルで力強いため、成長性が極めて高い。
また、「後の者が先になる」ことはよくある。経済発展の途上国では、電話網の整備がこれからなされるとは考えにくい。これらの国々では、例えばいきなり最先端の、しかし安価な無線通信の仕組みが導入され、コンテンツもデジタル化されたものが行き交うようになる。その際に最先端の製品を安く提供できれば、後発組の参入チャンスはさらに広がるだろう。
この非消費層をターゲットとするビジネスのポイントは、前述の例のように非消費市場の立ち上がり時期(タイミング)をいかにとらえ、その際どれだけ低価格で、しかも操作が簡単でエネルギー効率の高い製品を投入できるかにある。わが国が得意とする「ハイテク」を用いた、この種の製品づくり(新たな技術戦略)を視野に入れる時機が、日本企業には到来しているのではないだろうか。そして、この取り組みは、いま安倍晋三政権が改めて進めようとしている国際競争力の強化につながる、もう1つのアプローチになることだろう。