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IT時評:「次の一手を読む」

第8回「大手電機の憂うつ」

出典:日本経済新聞「NIKKEI NET」 2006年9月28日

 「日立、最終赤字550億円」という新聞記事(9月16日付日本経済新聞朝刊)が目に留まった。ハードディスク駆動装置(HDD)事業の回復の遅れと、原発部品事故が響いたという。日本を代表する総合電機はリストラも終え、収益回復の道を歩んでいたのではなかったのだろうか。

背景に大手電機共通の構造問題?

 今般の出来事はどうも日立製作所だけの問題ではなさそうだ。多くの大手電機では、グローバル市場にあってかつての競争力は影を潜め、最近の業績はぱっとせず、憂うつな精神状態が続いている経営者も少なくないはずだ。そして、この憂うつの種は、電機産業の非効率な経営形態や組織対応力の低下といった、構造問題に起因しているのではないか。

 表出した災難は、海面に見えている氷山の一角にすぎない可能性がある――。この仮説の下、本稿では二重の災難の原因を手繰りながら、背景に大手電機共通の問題点が潜んでいないか探ってみたい。

なぜハードディスク事業だったのか? 

 2003年に米IBMから買収したHDD事業は、2007年3月期の営業損失が400億円に上る見込みだ。ハードディスクとは、パソコンなど大半のコンピューターに搭載されている、代表的な外部記憶装置のことをいう。わが国の「ソフトウエア・情報サービス」市場は2003年で14兆円にも達する。時代はまさに、規格大量生産型社会から知識経済社会へ向かっている。この買収はこうした時代の流れに沿ったもの、正しい選択だったのか。

 産業構造の変化という潮流を見誤ると、事業の非効率性は格段に高まる。いわば逆流のなか艦船を走らせるようなものだ。大型コンピューター分野でかつて国内市場シェアを日立と争っていたIBMは、PC(パソコン)事業を中国企業に売却するなど、ソフトやシステム中心の「サービスカンパニー」のイメージを定着させた。実際、ソフトウエアの売上高はIBM全体の60%超になっているようだ。日立を含め総合電機3社のハードウエアの割合が90%超であることと比較すると、両者の舵取りは好対照を成す。

 古川一夫社長は、当時は見えていなかったいわば負の資産を、庄山悦彦前社長らから継承した立場でもある。記事によると古川社長は、「価格低下で苦戦したが、中国の大型工場も効率よく動いており、2007年度には絶対に黒字化する。技術力が落ちているとは思えない。大部分の事業では品質が高いと思っている。成長戦略として、選択と集中およびM&Aを進める」といった主旨の発言をしたようだ。揚げ足を取るつもりはないが、この発言から、日本の大手電機の経営姿勢に関する、次の3つの課題や問題点が浮かび上がってくる。

コモディティー製品へのこだわり

 1つ目は、価格低下が速いコモディティー製品へのこだわりについてである。HDD事業そのものは、もはやそう付加価値が高そうには思えない。ムーアの法則(第6回参照)が支配し、しかも人件費の安い国・地域において多数の企業が参入する市場では、製品のコモディティー化は免れない。記憶媒体という機能としてみると、ユーザーにはフラッシュメモリーやメモリースティックなどの代替手段がある。したがって、日立がコモディティー製品にこだわる、その意味や戦略に関心が向く。

 中国の大型工場がフル操業状態になれば、生産性が高まってコストが下がり、利幅は大きくなる。そうなれば、コスト競争力のついたHDD製品を世界市場に販売できる。あるいは自社の高付加価値製品に組み込むことで、コスト優位を高めることができる。いずれにしろ、コスト削減が狙いにあるはずだ。

 ただし、HDD事業はあくまで“今日の糧”にすぎない。戦略的に日立が育成しようとする製品事業の核心部分が、コスト回りに終始するものであるはずがない。

不透明な“明日の糧”

 2つ目は“明日の糧”、すなわち持続的な収益確保の見通しについてだ。HDD事業は、パソコンという市況品の売れ行きに左右されるため、見通しを立てにくい。一時的に収益を確保できたとしても、確かな成長をけん引し続けるような代物とは言いがたい。

 日立に限らず大手電機では、現状の憂うつ状態を打開すべく、積極的なM&Aによる成長を思い描いている。ただ、スケールを追求する単なる「収益買収」にとどまるのであれば、現状とさして代わり映えしないだろう。HDD事業の買収も、この種のものだと言えよう。一方、明日の糧を得るには、人材や組織といった知の資産に重点を置いた「能力買収」が求められる。

 前者が戦艦の甲板面積を拡大するものだとすれば、後者は敵に勝つ(または顧客に包括的な価値を提供する)ために、艦船のスピードを上げ、砲弾の命中精度を高めるようなものだ。後者のほうが資金はかからないが、戦艦全体のマネジメント体系の中にうまく最適化する必要がある。これは一朝一夕ではいかないが、トライ&エラーなどを通じた経験知の蓄積こそが、この種の買収を成功させ、企業の成長を飛躍させる。

技術力と品質に対する過信

 3つ目は、技術力と品質に対する神話についてだ。日立に限らず大手電機企業には、技術力が高く品質が良ければ、競争優位が自ずと確保できるという錯覚があるのではないだろうか。
 コモディティー製品における技術力は、韓国や台湾・中国の企業とはもはや差別化できていない。1990年代から本格的に始まった、半導体や液晶などの技術の海外流出により、競争力低下の愚を招いてしまったことは周知の事実だ。戦後から60年代あたりの米国と日本の状況(米国から日本への技術流出)が繰り返されていると思えば、日本から海外への流出を促してしまった技術者を責めることはできないかもしれない。
 品質に過剰な作り込みがあった場合、ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授が言う「オーバーシューティング(性能過剰)」の問題が生じる。つまり、そこそこの性能を持つが圧倒的に安価なローエンド製品が、ハイエンド製品をやがて駆逐してしまう、ということが実証研究により示されている。技術力と品質という「無形資産」は、企業の持続的な競争優位を保証するものではないのだ。

「技術の日立」が陥った「範囲の不経済」

 原発部品事故に関連し、品質管理の問題についても触れておきたい。原発製品の収益を確保しつつ、安全な品質を長期にわたって維持・管理するのは大変なことだ。品質維持には、設計段階の品質の作り込みに加え、日頃の保守に関するマネジメントの質が問われる。

 事故につながった部品は、原発という極めて複雑なシステムを構成する局所部分という位置づけとなろう。それゆえ、単体部品レベルの品質スペック(規格)に関する設計ミスのみが、事故を発生させたわけではないと推察される。すなわち、システムトータルの疲労要因が、システムを成す環の一番弱い部分に表出した結果なのではないか。

 皮肉なエピソードがある。昔、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が設計したタービン翼が大変複雑な形状だったため、GE自身は製品化できなかったことがあるそうだ。GEといえば日立の当時の師匠役であった。そのGEからの依頼を受けた日立の技術陣が、困難を乗り越え製品化したという。「技術の日立」にはそれほど定評があるのだが、複合事業の成否やその効率は、それらの間で「範囲の経済」を発揮できていたかによる。つまり、トータルな経営力の問題に帰着する。  

コングロマリットの限界

 以上のことは、「コングロマリット(複合企業体)」という経営形態が、現状ではうまく機能していないことを意味する。2006年3月期の連結売上高9兆4,648億円を誇る日立製作所は、家電から半導体、コンピューター、通信機器、自動車用電気機器、鉄道車両、重電機器などを幅広く手がける総合電機メーカーの代表格である。米フォーブス誌が毎年発表する世界の企業ベスト2000では、日本企業として唯一のコングロマリットに分類されている。
 ただ、同じコングロマリットでもGEの時価総額が約41兆円(2006年3月)なのに対し、日立はその15分の1ほどの2.8兆円にすぎない。しかも、連結対象の子会社の時価総額(計3.5兆円)を下回り、企業防衛の観点から脆弱(ぜいじゃく)であることが指摘されている。
 他事業部門との複合体制を日立が敷いているのは、一企業体として安定的収益を確保・維持するための知恵であり仕掛けであった。すなわち、安定的な電力事業と、シリコンサイクルなどに大きく左右される市況製品事業とを合わせ、パフォーマンスに高低のある事業同士の相殺効果を狙うことで安定を手に入れられるという図式である。しかし、電力・重電などの重厚長大事業も、家電や携帯電話などの軽薄短小事業も、そのほとんどを内需に大きく依存している現況下では、企業全体の成長を飛躍させる方程式は描けない。むしろ、コングロマリット方式は、重荷(負債)になっているはずだ。
 GEのケースなどを見ると、コングロマリット経営形態が必ずしも非効率で制御不能というわけではない。ただし、“可もなく不可もなく”では、グローバル競争には勝てない。“不可”事業を整理し、“優”事業を次々に生み出し、さらに突出させることが重要なのだ。そのためには、GEのように複雑な事業をマネジメントしていく能力――例えば、将来の産業構造を見越したソフトウエアやサービス分野への舵の切り替え、ハードとソフト・システムを統合化したビジネスモデルの拡充、強力でぶれのないリーダーシップなど――が不可欠だ。それが伴わない場合には、昨今のように不確実性が高い市場では、異なった事業間の相乗効果は狙えずじまい(範囲の不経済)となる。

成長の糧は需要の開発とそのイノベーション

 コングロマリット方式の問題点は、ドイツ証券アナリストの佐藤文昭氏も「日本の電機産業再編へのシナリオ」(かんき出版)で指摘している。例えば、わが国の大手電機において、コングロマリット的な経営形態を前提としたリストラでは限界があったこと、多数企業の国内市場参入による過当競争激化は変えがたい傾向であること、競争力低下を招いた最大要因は資金力不足であったこと、独自技術へのこだわりがあだになったこと、などなど。

 佐藤氏の分析アプローチは、大手電機のさまざまな問題点を見事にとらえている。ただ、「市場や産業の再編(Structure)と生き残り」という供給サイドの視点が強調されているように読めた。さらに一歩進めて、大手電機が競争優位を築き、持続的かつ飛躍的な成長を遂げるには、これまでのような供給サイドの製品・プロセスレベルの効率化や高付加価値化を目指すだけでは駄目だ。市場が飽和してくると、高い技術と品質だけでは製品は売れない。売れたとしても年率で2ケタ台の持続的成長はとても期待できない。
 この状況を打開するには、需要サイドの観点が不可欠となる。つまり、需要を開発すること、さらには需要を革新(イノベーション)することだ。具体的には、企業にとって収益の源泉となる顧客の潜在的需要を喚起すること、またそれを他の顧客やその周辺領域にまで拡大していくことしかない。

 産業組織論には「SCP」というパラダイムがある。産業構造(Structure)上の問題を明らかにし、その構造下の競争のもと、企業の行動様式(Conduct)をモニタリングし、その果実(Performance)を評価するやり方だ。個別産業の競争状況やパフォーマンスの評価では、伝統的にこのパラダイムを適用する場合が多い。

 しかし、このパラダイムにより、産業の診断はできても、組織を治癒し健康体をつくることはできない(成長への解は見出せない)。大手電機にとって、いま欲しいのは各々の企業のマネジメントやそのイノベーションを通じた、飛躍的かつ持続的な成長であろう。この持続的成長に関する深い知見と組織レベルでの対応能力(ケイパビリティー)の有無が、日本企業とグローバル企業の差となって表れている。これらの点に関しては、次回詳述することとしたい。  

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