IT時評:「次の一手を読む」
第5回「竹中懇をどう評価するか」
出典:日本経済新聞「NIKKEI NET」 2006年6月27日
竹中平蔵総務相の私的懇談会である「通信・放送の在り方に関する懇談会」(竹中懇)が終了し、先日(2006年6月22日)、政府側(竹中平蔵総務相ら)と自民党(片山虎之助参院幹事長ら)が、通信と放送分野の改革で正式合意した。焦点となったNTTの組織問題については、≪「2010年の時点」で検討を行い、その後速やかに結論を得る≫と明記された。そして、この政府・与党の合意の内容が、7月上旬にまとめられる経済財政運営の基本方針(骨太方針)に反映されることとなった。
ワールドカップ開催中のドイツに出張していた際、日本経済新聞社からeメールを通じ同懇談会の成果について評価を求められた。当日午前のドイツ政府・企業とのミーティング前にホテルで簡単に記したものがIT PLUS(「通信・放送懇」報告、専門家は何点をつけたか?)に掲載されている。その補足と、前回までの本シリーズのまとめの意味を込め、以下の3点をここで示しておきたい。
1.NTTの再々編問題~2010年に持ち株会社を廃止・グループの完全分割を検討
竹中懇はNTT問題について、情報通信産業の枠組みの中だけでとらえてしまい、マクロ経済の視点が抜けていたのではないだろうか。
◆いま通信市場はどこに立っているのか?
旧電電公社時代には、資本(メタル電話網)と、積滞(電話サービスの加入待ち)解消などのための膨大な労働力が投入され、情報通信基盤が整備された。他国でもそうであるように、ここまでの電電公社の役割は大きかった。
その後、1985年に民営化が実現し、情報通信産業は競争の時代に入った。通信サービスが普及期にある時は、需要の価格弾力性が大きい(値下がりすると需要が増えやすい)ため、低価格競争が進んでも、市場は拡大する。
しかしインターネット時代を迎えた今日では、質量両面で電話から大きく飛躍したサービスが競争の鍵を握るようになった。つまり、さまざまなコンバージェンス(固定と携帯、通信と放送、端末とコンテンツの融合など)のサービスの時代に入った。1999年までのNTT再編問題の議論では、この本格的なインターネット時代の到来を読むことができなかった。
特に今のデフレ経済下では、GDPの最大部門である消費需要(「財布の中身」と「財布の紐の締まり具合」)をいかに刺激・喚起できるかが焦点になる。最近の消費者は、モノやサービスという点で多くが満たされている。したがって、消費者の根源的な欲求・行動までさかのぼって、いかに商品やサービスを訴求できるかが競争戦略、ひいては市場の発展のポイントとなる。高度なマーケティング手法が求められているのだ。このことは、従来の経済学の限界を問いかけている行動経済学という領域に、最近関心がもたれていることとも符号する。
◆情報通信産業全体の拡大均衡の鍵を握る再々編問題の行方
上記をマクロ経済学の成長会計モデル(経済成長率を生産要素投入増加の寄与と、技術進歩にあたる全要素生産性上昇率に分解する分析モデル)に置き換えて考えてみよう。まず、「新たな資本」(デジタルインフラ)と知識や情報をフル活用できる「知的労働力」の投入が重要だ。デジタルインフラとは、さしずめ光ファイバー網やワイヤレス網のことだ。
この2つの要素に、「3つ目の要素」(TFP:全要素生産性)、つまり技術革新(イノベーション)の進展や、知識・情報の蓄積とその流通(スピルオーバー)が加わることによって、拡大均衡を実現することができる。言い換えると、消費者は一層経済的に豊かになり、情報通信産業ほか関連産業全体も発展する。
この文脈で考えれば、NTT再々編問題は、アクセス系というインフラのパイを広げ、新たなコンバージェンスのサービスの時代に産業全体が移行できるかどうかの鍵を握っている。アクセス部門を巡り、NTTが有利かそれとも競合事業者が有利かといった次元でこの問題をとらえてしまったのでは、わが国の将来の損失は計り知れない。
NTT法の改正まで踏み込んだことは、大きな成果である。しかし、前回のコラムで示した通り、2010年まで先延ばしすることは、将来のあるべき「この国のかたち」形成において、またも禍根を残すことになるのではないだろうか。
2.NHKの経営問題~衛星放送の2チャンネル分とFMラジオを廃止
NHK問題については、戦後ほぼ同じような状況下で設立された、今のNTTの発展やNTTを核に周辺市場が大きく拡大発展していった情報通信産業に照らし、何とも旧態依然の感を抱かざるを得ない。NTTを巡る問題のアナロジーは、NHKや放送業界にも当てはまる。
NTTは、電電公社が民営化され、さらに情報通信産業の共有地(コモンズ)とも呼ぶべきアクセス網の開放を巡り、“飛躍”の機会に直面している。アクセス部門を切り離し、最近のマネジメント手法であるオフバランス的な思考にのっとった上で、経営の自由度を高めるほうが、将来の事業価値(会社の価値)向上につながるはずだ(詳しくは前回参照)。欧米のオペレーターには、このような経営マインドがある。
スピードと創意工夫・戦略などのバランスシートに載らない要素が、競争を決める時代となった。NTTにとって、旧(ふる)い資産の価値に比べ、それを維持することの経済的かつ政治的コストはあまりにも大きい。NHKについても、同様だ。
すなわち、NHKは最低限の“公共性”のみを残し、民営化するのが時代の流れだろう。そして、民営化した後に「新たなメディアカンパニー」を目指すことも有効な方策であるはずだ。もちろん、これまでの独占的な要素と規模の大きさを考慮し、公正な競争を促すために、いくつかの過程を踏む必要はある。
その上で、民放事業者とのダイナミックな競争のフレームワークを放送メディア業界にも導入することが求められる。業界再編の後、例えば、放送メディアカンパニーが主導で(場合によっては、通信網を所有するか利用する形で)、通信と放送の両陣営のコンバージェンスを進める。同カンパニーの経営者の意思により、コンバージェンスが自然と進むようにすることがポイントで、そうすれば、国富を増大させることにも寄与するはずだ。
3.放送コンテンツのネット配信~全国配信を認め、実施は事業者の判断に委ねる
TV番組などを含むコンテンツを、放送業界のみの発想と流通の仕掛け(放送インフラなど)で囲い込んでしまっていることによる経済的損失は大きい。コンテンツを2次流通させる(マルチウィンドウ化する)ことは、前述の通り、知識や情報を社会や市場に流通(スピルオーバー)させること、つまり、経済成長(関係産業の発展)の鍵を握るTFPの上昇にもつながるだろう。
この問題に限らず、わが国の通信・放送行政は放送業界の既得権益を許してきた。統合的な組織の下での通信・放送行政は、英国やドイツでは既に実施されているにもかかわらず、わが国ではなされてこなかった。再送信問題はタテ割りという行政のあり方にも課題を突きつけている。そしてその結果、行政がいかにマクロ経済という経済・社会システム全体を見渡してこなかったかという問題も惹起(じゃっき)している。
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以上、当懇談会で取り上げた議題は、どれも大変重要なものだった。「この国のかたち」を決定付けるような事案が多かっただけに、やや中途半端あるいは失速気味で議論が終了してしまったことは、大変残念である。
わが国は、英国や米国並みに、年率4%台(できれば5%)を狙うような経済成長パターンを模索すべき時期に来ている。懇談会のどの事案も、この国富増大に結びつく可能性があった。その意味で、より高い、あるいは全体を見渡す観点から、この議論がどこかで継続すること、そして早期に実現することを引き続き期待したい。