IT時評:「次の一手を読む」
第1回「NHKの存在意義は紅白にあらず~NHK改革の本質を考える」
出典:日本経済新聞「NIKKEI NET」 2006年2月24日
IT業界において、2006年は本格的なコンバージェンス(収れん/ 融合・統合)の時代の幕開けになりそうだ。
IT産業全体に波及するNHK改革論議の行方
最近、通信と放送の融合、FMC(固定網と移動網の統合)といった表現が新聞・雑誌をにぎわせている。このコンバージェンスの流れは新しい事業領域を生み出し、そのフロンティアをめぐる新旧プレーヤーのせめぎ合いが起きている。具体的には、放送・メディア業界ではNHK VS. 民放 VS. ギャオ(USEN)。通信業界ではNTT VS. KDDI VS. ソフトバンク(ヤフー)など。この両者にまったく異質なところからGoogleやアマゾンなども加わる。これらプレーヤーの競争状況は時々刻々と変化し、それに伴い彼らのビジネスモデルもめまぐるしく変わっていく。
このコラムでは、激動するIT業界におけるこうした最新の動向や論点を取り上げ、いま何が起こっているのか、問題の核心は何か、それがこれからのIT産業や、企業経営、消費者にどのような影響を及ぼすのか、深層を解き明かしていきたい。まずは通信と放送の融合に関連して最近クローズアップされている、NHKの改革問題を取り上げよう。この問題は今年の、いや将来のIT産業のトレンドを左右するはずだから・・・。
NHKの存在意義に帰着
NHK問題といえば、受信料不払いだけの問題ではない。竹中平蔵総務相は1月8日、民放の報道番組で、私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」(座長・松原聡東洋大教授)で論点になっているNHKの改革問題に言及し、≪NHK民営化論については「公共放送は必要で、基本的に民営化とは少し違う方向と思う」とした上で、「公共放送の範囲がどれくらい必要かということや、コア(中核)でない部分をどうするかということを議論する。受信料制度がいいのかどうかも問題」と語った。≫(IT PLUS 関連記事)
ここでいう「コアでない部分」とは何か。それを突き詰めるとNHKの存在意義に帰着する。
私は、NHKの大河ドラマは毎週家族ともども楽しみにしているし、NHKスペシャルなどもよく見る。地球進化や歴史モノ、経済モノなどのレベルはかなり高い。民放では決して作れない代物だと思う。
しかし、いまやNHKの存在そのものが変容した。昭和の戦後復興期には、伝説的なプロレスラーである力道山の試合見たさに、街頭テレビに大衆が群がった。力道山は当時の大衆にとって、とてつもないヒーローだった。
紅白歌合戦に象徴されるNHKの“越境”
時は過ぎ、いまや力道山をしのぐほどではないにしても、さまざまなコンテンツが山ほどある。テニスのシャラポワ、卓球の福原愛、俳優の仲間由紀恵、山本耕史・・・。いくらNHKが人気タレントを紅白歌合戦の司会や審査員に起用しても、視聴者は他の媒体(民放)でも彼らを目にすることができる。NHKは放送開始初期の頃のような独占事業ではなく、とっくの昔に競争の時代に突入しているのだ。
1951年の第1回紅白歌合戦の出場選手はわずか14組だったが、2005年には60組に増えた。以前は夜9時スタートだったが、最近では午後7時20分からに放送枠を広げている。NHKとしてはその存在感を示し続けたいのだろうが、結果、民放と視聴率競争をしている。私などは、もう久しく紅白を見ていない。もっぱら裏番組のプライドかK1だ。
考えてみてほしい。目玉のこの番組(紅白)にしても、もはや国がやるべきようなことなのだろうか。民業圧迫は放送業界では許されるのだろうか。
国の事業は、国しかできないものをやればよい(詳しくは「”IT革命第2幕”を勝ち抜くために」第72回参照)。持ち分を超えれば、そもそもの使命・役割を逸脱することになるし、民業圧迫となれば、“官民の競争”上も好ましくない。もっと言えば、そのような競争自体がおかしい。NHK改革の本質は、国にしかできないことだけに事業範囲をとどめること。原点に帰ることだ。そう、現在のNHKは勢い余って越境している、ということなのだ。
固定・携帯の融合で高まるコンテンツの価値
通信の世界では、今年はFMC(Fixed Mobile Convergence:固定網と移動網の統合)などの動きが、固定電話事業者のみならず、携帯電話事業者からも活発になりそうだ。携帯電話会社においても、FMCへの対応は避けて通れない死活問題になってきたからだ。
FMCは、簡単に言えば、他人のケータイ(Mobile状態)から自宅にいる読者のケータイにかかってきた場合、実は固定電話(Fixed状態)にあるとみなされて(Convergence)、料金が固定並み(またはIP電話並み)になるようなサービスが実現できる仕組みのことだ。当面は限定的な使い方になるだろうが、月数百円~2,000円程度はケータイへの支払いを減らせるかもしれない。こうしたコンバージェンスが進むと、両者のよいところがリーズナブルな価格で利用できるようになる。事業者はよほどうまく工夫しないと大変だが、いったんユーザーがこの仕組み(サービス)のメリットを享受すると、FMCの需要は拡大していくことだろう。
両者のコンバージェンスが進むなか、固定と携帯どちらにあっても、通信インフラを介しさまざまなコンテンツが消費者へ簡単に届くようになる。需要のすそ野が広がれば、コンテンツそのものの価値も自ずと高まっていく。私たちはいま、そういう状況を目前にしている。
コンテンツの制作能力こそNHKの強み
NHKは、膨大かつ高質なコンテンツ資産を所持している。強力な研究開発力や高度なコンテンツ制作能力がある。しかし、そのコンテンツが十分に活用(開放)されていない。受信料という、いわば国民から徴収した資金により、コンテンツが制作されているにもかかわらずだ。これはおかしい。
ただ、NHKにすべての決定権はないのも現状だ。著作権や肖像権の権利処理はかなりの困難を伴う。紅白歌合戦の出演者のうち1人が許諾しないゆえに、その年の番組は再放送できないといった事情もあるようだ。
“国にしかできない事業”で存在感を示す道
NHK改革に話を戻そう。国にしかできないことだけに事業範囲を再設定するための処方せんとして、NHKは例えば、ホールセール(卸売り)をやればよい。つまり、受信料をとるいまのBtoC(消費者向け)のビジネスモデルを改め、BtoB(民放向け)に転換する。民放と競合する領域では、コンテンツの制作や編集機能までに限定する。民放は競争相手ではなく、お客様となる。ここが核心部分だ。
競合しない、自然独占が許されるような領域では、これまで通り公共放送を行う。この両者を隔てる境界を巡る問題については、監視委員会のようなものを設置してそこへ判断を委ねる。通信業界では最近(2006年2月1日)、英国の動きにならい、通信インフラのアクセス部分を握るNTT部門を、ホールセール機能として他から分離する案が再浮上したが、これと同様の発想だ。放送と通信の抱える問題は、実は構図が似通っている場合が多いのだ。
ここで、視聴者へ直接アクセス(放送)できるから、つまりホールセールではなくリテール(小売り)機能があるから、よいコンテンツが制作できるのではないか、という反論もでるだろう。確かにそういう面もあるが、NHKのような公共放送局が民放と競合する領域で、いつまでもアクセス系(視聴者へダイレクトに放送する機能)を堅持するのは不自然だ。これは放送業界以外ではもはや常識中の常識だ。“最後の護送船団業界”が対応を誤ると命とりになる。
「言うは易く行うは難し」のホールセールビジネスモデル
では、ホールセラーとしてのNHKのビジネスモデルはどのようなものか。ごく簡単に示そう。
高質な番組を、民放はホールセラー(NHK)から買い上げる。そこから先の民放ビジネスモデルは現下の広告モデルでもよし、PPV(ペー・パー・ビュー)でもよいだろう。また、パソコンや携帯電話端末で映像を配信する事業者が、将来放送事業者の代替になるような存在となれば、そこへ卸してもよい。高質な番組を自ら制作できるところがあれば、そこと競争する。さらに、コンテンツだけでなく、NHKの人材やノウハウが地方テレビ局へ流通するような仕組みをつくれば、地方発のコンテンツの強化にもつながる。都心発の同一コンテンツを全国の視聴者がそろって見ている現状は不自然だ。違いを誇れる風潮をつくれるかどうかが、いまの日本に問われている。NHK改革は、こうした風潮づくりにもつながる問題なのだ。
上記のモデルそのものは、いたって単純だ。しかし、これを実行するのが難しい。竹中大臣懇では、問題の深層を探って行動につなげて欲しい。
かくしてNHKの業務は制限されるが、これが本来のNHKの使命であろう。そして、NHKの現下のノウハウを民間企業が、ひいては国民がその恩恵として享受できるようになる。よいことだ。